清水寺をあるくvol.1 舞台新たに…


清水の舞台
その舞台板の張り替え
50年ぶりの檜皮屋根の
葺き替えともに終了…
張り替えられた舞台は、
白木の真新しさがかなり
際立っていました。

ご本尊に工事の終了を
奉告するための法要が
営なまれたのち、
12月3日午後から舞台への
立ち入り開放
されたので、
参拝は6日のことなので、
まさに狙ったタイミング。

"清水の舞台"の建築形態は、
"懸造"と呼ばれるもので、
急斜面や段差のある場所に
建物を建てる場合に、
床面を水平に保つため
床束の長さを調整して、
床の高さを揃える工法。

各地に共通する懸造は、
もともと本堂自体は
懸造ではなかったが、
信仰の拡がりとともに
本堂に礼堂や庇などを付け足して
前面を拡大したことにより、
礼堂部分が"懸造"となったという
ケースが多いようでして…

清水寺縁起』によると
778年 音羽山に庵が
設けられのを創基とし、
平安時代末には今とほぼ同じ
正面九間の礼堂が
崖上に広がる舞台として
造られていたようです。

懸造は現代風にいえば、
木造の人工地盤」とも…
整然と並んだ束柱を
水平の貫でつなぎ、
さらに柱と貫の接合部には
楔を打って緊結。
現代の鉄骨造でいう
ラーメン構造と同じ工法です。

観音霊場は信仰が篤かったことから
比較的大きい懸造の堂宇ですが、
小規模の懸造の仏堂もみられます。
鳥取県の三仏寺 投入堂
平泉の西光寺 毘沙門堂など、
岩山の洞窟に本尊を祀り
その前面を仏堂としたものや
断崖に張り付くように…

補陀落山に観音菩薩が住まう
と『華厳経典』あり、
観音信仰が広まるにつれ
岩山を浄土と比定し、
仏堂が造られそこに礼堂を
持ったことに所以します。

清水寺の懸造は最も多いところで
束柱に六段にわたって貫が通され、
舞台の高さは12mです。

束柱は欅の一丁材が使われていて、
水平の貫は雨などで痛まないように
上辺に傘のような覆いが付いています。

建築史の面での""は、
鎌倉時代以降に現れるので、
清水寺の懸造は平安時代に
出来上がっていたのを知ると…
果たしてこの構造はいつから?
そんな疑問が湧くのです。

《東海道名所之内 清水寺》
 安藤広重 1860年

江戸時代の清水の舞台…
構造まで詳細に描いたものでは、
ありませんので…
いずれにしても、
どういう方法で懸造を造ったのか
当時の遺構がないため
はっきりとはしないのです。

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