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迫り来る春に追い立てられて…

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「みどりのリズム」と枝垂桜 弥生の月の今日でおしまい... 4月から職場が変わりますし、 ココロを亡くしては いけないとは思うのですが、 ついつい 「いそがしい」って 言葉が洩れてしまいます( ;∀;) 春の訪れに追い立てられる週替り、 こちらは先週の 大阪城・森ノ宮周辺の咲き誇り。   桜も満開になりつつありますが... こちらは「 バニハスモモ 」。 街路樹でよくつかわれる花名「 紅葉李」。 大阪城梅園はこの時すでに、 ピークを過ぎているようでしたが、 お城をバックに 華を添えていました。 紅梅は早咲きなのでしょうね。 こちらその名も「 見驚 」 (けんきょう) 。 野梅の一種ですが八重の大輪たちが、 咲き競うようでした。 梅の実の実つきはいいのだそうですが、 ラグビーボール型のようになるので、 ちょっと漬物には不向きなのだそうです。 梅の薫りは いつも気持ちを解してくれます。 実は梅園は看板もたくさん立っていて、 立ち寄る人も多いのですが... 京橋口あたりに「 桃園 」もあるのです。 北外堀と寝屋川にはさまれた 「三の丸の外曲輪跡」ってとこにあります。 オープンは実は1999年なのですが、 最近は樹木もしっかりしてきたので、 なかなかよい雰囲気です。 こちらは「 寒緋桃 (かんひとう) 」。 きっちり咲いて桜より花持ちがいいので、 さいきんは 庭のシンボルツリー なんかに 選ばれているという品種なのだそうです。 こちらは「 関白桃 」。 透き通るような純白は気品漂う関白様。 桃のなかでは珍しい白色。 清楚で凛とした風情もあり、 女子の出生の お祝いに 贈られることがあるそうです。 こちらは「 源平桃 」。 源平のよに 紅白咲き競い。 赤と白、絞りの花が乱れ咲きます。 年によっては白が多かったり、 赤ばかりになったりもするのは、 源平の合戦を伝えているのかも知れませんね。 春霞というなの花粉に負けじと、 駆け抜ける春をも しっかと 掴まえられるよう。。。 ココロにもカラダにもアソビを持たせて、 新しい年度ももっともっと、 楽しく過

建築史探偵団・京都13 四条烏丸のリノベーション

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建築史探偵団・京都も 今回が最終回です。 四条烏丸の交差点には いわゆるメガバンクが並んでいます。 元々は、 三菱銀行京都支店 の建物の一部。 1925年の 桜井小太郎 の設計。  イギリスで建築を学んだ後に 海軍技師を経て、 その後三菱合資会社に入社。 技師長として 三菱の丸の内ビジネス街の 建設の 主軸を担ったのが 桜井小太郎その人。 三菱地所を退社した後に、 桜井小太郎建築事務所を開設した、 いわば独立後のの第一作でもあります。  こちらは 「 長谷部竹腰建築事務所 」の設計。 1982年に取り壊され、 その2年後に新築されたビル角に、 組み込まれました。 今は三井住友銀行京都支店と 展示ホールなどを持つテナントビル。 になっています。  京都の新たなランドマークとして 「リノベーション」された、 「COCON KARASUMA 」 “古今烏丸" と... このビルの前身は、 1938年に 建設の「 旧丸紅ビル 」。 第二次世界大戦後の戦火を免れたビルは、 無傷のまま進駐軍に接収 されたのだそうです。 再生を手がけたのが世界で活躍している 現代建築家 隈研吾 さん。 旧丸紅ビルに刻み込まれた時間を継承しつつ、 新しい風景を添えています。 「丸紅商店 京都支店」 →「COCON KARASUMA 」 建築年:1938年(昭和13) 設計:長谷部竹腰建築事務所 改修設計:隈研吾 施工:勝呂組 構造:SRC造地下1階地上8建

建築史探偵団・京都12 モダン校舎・明倫小学校②

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校舎のモチーフは祇園祭の山鉾だといわれる。 正門の正面4階は、 寄棟の屋根に2本のポールが立つ。 ポールは 真木 (しんぎ) で、 半円アーチの入り口は車輪を連想させます。 1階の談話室は明倫小学校の展示スペース。 「情報コーナー」になっていて、 当時使われていた黒板や靴箱などに、 京都市内外の、ギャラリーや美術館などの ポスターやチラシなどがおかれています。 天井梁や窓枠、そして腰壁などはそのまま? そして老舗カフェ 「 前田珈琲の明倫店 」もありました。 そしてギャラリースペースも... 階段柱と手摺などの装飾にも 贅のかぎりが尽くされています。 階段の踊り場の造りも 丁寧な仕事が施されています。 南館の最上階である4階には和室「 明倫 」。 もとは明倫小学校の「同窓会館」として 使用されていた部屋なのだです。 十五畳の和室になっていて、 「明倫茶会」や 伝統芸能の ワークショップなどに 利用されています。 外観は当時の「現代建築」であるところに、 きっちりとした和室が作りこまれていました。 南館、北館、西館... 運動場が抱かれています。 土曜日でもあるので地元の人たちが テニスに興じておられました! 西館は初期に建てられたもので、 2階部分は講堂になっているそうです。 屋根を支える意匠は見事。 垂木が支えるような外観を設えています。 西館がちょうど南館と北館をつなぐような、 ちょうど渡り廊下のような役割が持たされています。 1階へとつづく長いスロープ。 今やバリアフリー化が叫ばれていますが、 講堂までの行き来に 階段を避けた造りなのでしょう。 1階には階段柱。 最下階もゆるやかなスロープになっています。 子どもたちが使うための洗面も 大きな鏡に半円の窓... 外から見るとこんな感じです。 スロープに応じて縦長窓が 段違いになっているのがわかります。 時間がゆったりと流れていました。 こちらは向かいにある「旧 明倫幼稚園」。 現在は、明倫消防分団詰所、 明