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横浜・大実業家の大邸宅〜三渓園ゆ 壱

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東京湾を望む横浜の東南部・ 本牧 の地に、 広大な敷地にひろがる実業家の大邸宅... 生糸貿易により財を成した 原三溪 の手による。 広さは175,000平米… 城下町でもなく、 西洋文化が薫る横浜なのに... 京都や鎌倉などから移築された 歴史的に価値の高い建造物が立ち並ぶ。 その昔は海苔の産地だった浜も、 今はコンビナートの風景を見下ろす高台へ。 断崖に立っていたのは「 松風閣 」という レンガ造りの洋館だったそうです。 重要な客人たちをもてなすゲストハウス。 1916年(大正5)には、 アジア初のノーベル賞受賞者のインドの詩人、 ラビンドナラート・タゴール が滞在したとか。 横浜に港が開かれた直後は、 何が商売になるのか全く解らなかったそうです。 外国人は絹をたいそう好むことがわかって、 生糸の売買が輸出の花型商品となったとか。 そんななか、 生糸の売買を手がける商人は、 莫大な富を得ることになったということ。 「 旧燈明寺三重塔 」重文・室町時代  京都・木津川市の燈明寺(廃寺)にあった建物。  現在、関東地方にある木造の塔では最古。 明治に入っての廃仏毀釈運動などで、 各地で寺院経営が難しくなったことを契機に 取り壊されそうになった堂宇が蒐められました。 こちらは飛騨・白川郷にあった合掌造り、 「旧 矢篦原家 (やのはらけ) 住宅」 。 いまでも囲炉裏では 毎日薪がくべられています。 寺院に用いられる 火灯窓 ... 矢篦原家は 格上の農家だったとか、 飛騨の三長者の一人 と 言われていたそうです。 黒光りした柱と床に秋草 ... めっきり秋めいてきました。 「 三渓園ゆ 」しばらくお付き合いください。

京の夏の旅2014〜祇園閣③

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祇園閣 の続き... しばらくぶりです(・ω・)v 大雲院は 織田信長・信忠 の菩提を弔うために、 開山されたものなのだが、 烏丸二条南から伽藍が遷されているので... 境内にある墓なるものは、 モニュメントのようなもの なのでしょう。 実は信長の墓所は30近くあり... 本能寺の変の報を聞き住職がかけつけて、 裏手の藪で火葬したあと埋葬したとされる 上京区寺町通今出川上ルの 「 阿弥陀寺 」とか。 信長の一周忌の法要ために、 秀吉が建立したとされる 大徳寺の塔中の一つである 「 大徳寺総見院 」などなど... ここ大雲院も その一つということでございます。 もうひとつの有名人の墓もここに 一説によると、 秀吉暗殺を画策 し、 捕縛されたともされる人物がなぜ? そもそも一介の盗賊が天下人を 暗殺したかったとは思えませんが... 五右衛門と大雲院のかかわり... いわれているのはこんな感じなのです。 当時の大雲院は処刑場までの道筋である 四条寺町にあって、引き回しの道すがら 大雲院の 貞安上人 に出会ったとか。 自ら自分を弔ってほしいと 懇願したことによるとか。 処刑後つけられた五右衛門の戒名ってのも、 ちょっと不思議なのであります。 「 融仙院良岳寿感禅定門 」って戒名、 寺や社会への貢献を称えている字が並ぶ。 ミステリアスなスポットでもあります。

京の夏の旅2014〜祇園閣②

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祇園閣の「 大雲院 」は1587年(天正15)に 正親町天皇の勅命により、開山されたもの。 天正年間の頃は 寺町四条南 にあったが、 周辺が商業の地となって、 この地に移ってきたとか。 創建400年の1987年に記念事業として、 祇園閣の修復が施されたのである。 仏教文化の隆盛と日中友好の一助と なればとの 願いから、 描かれたのが 敦煌壁画の模写 なのである。 敦煌莫高窟の壁画の模写は、 北魏より隋、唐、五代、宋、元の 各時代が網羅されている。 「249窟 アスラ神(西魏)」 アスラ神は護持八部衆の一つ。 背後に須弥山、宮殿も描かれる。 現地に行ってもこれだけの壁画を 見て回るのは至難の業だという。 それぞれの有名な個所がズラリ… まさにエエとこどりなのである。 「272窟 脇侍菩薩(北涼)」 敦煌窟のなかでも かなり早期に描かれたもののひとつ。 もともと祇園閣に祀られている 阿弥陀仏の脇侍を彩っている。 「254窟 “捨身飼虎の図”(北魏)」 あの 法隆寺玉虫厨子 にも描かれた図案。 飢餓に苦しむ虎の母子を見て 自身を与えようとする物語。 「182窟 観無量寿経変相図(盛唐)」 「159窟 “吐蕃王図”(中唐)」  当時ここを占領していたと言われる 吐蕃賛普(君長)の姿が描かれています。 「3窟 千手千眼観音菩薩(元)」  観音菩薩を題材にした現存唯一の窟壁画。 縦長である壁面に応じて、 左右にある 吉祥天 と 婆藪仙 (ばすうせん) は 下方部に描かれている。 普段...いや… きっと莫高窟には行けないだろう 。 良い体験をさせてもらいました(・ω・)v ★壁画はパンフレットより転載★

京の夏の旅2014〜祇園閣①

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「京の夏の旅」... もうひとつは「 大雲院 祇園閣 」。 京都の八坂神社よりもやや下(しも)、 ねねと秀吉のお寺「 高台寺 」周辺にほど近い。 祇園を見下ろす異様なフォルム。 もとは大倉財閥の創始者である 大倉喜八郎の別邸 だったそうです。 高さ36mの三階建て、 祇園祭の鉾をかたどった造り。 1928年(昭和3)に 「 祇園祭の壮観を常に披露したい 」 との願いから山鉾を模したのだそうです。 閣上からは京都の町が一望できましたが、 外の景色も含めて撮影禁止だったのです。 建物は建築家・ 伊東忠太 の設計によるもの、 鉄筋コンクリート造三階建で36m、 地下の基礎も深さ30mにおよぶそうです。 大倉喜八郎は「 銅閣を建てたいという夢 」の 産物でもあるそうです。 喜八郎のオーダーは 「 雨傘が逆さまに開いたイメージ 」… さすがに伊東忠太は困難だと断ったとか、 その代わりに提案したのが祇園祭の鉾の形。 ただ銅閣としての思いは捨て切れず... 屋根は銅葺き になっていおります。 内部壁面は開創400年を記念の 敦煌の壁画の模写 が奉納されておりました。 内部はパンフ写真を交えて次回にお送りします。

京の夏の旅2014〜建仁寺 両足院

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今年も「 京の夏の旅 」に行って来ました。 夏の記憶を刻んでおきます。 この企画は今回で39回を重ねるもので、 夏の暑い時期にも京都に観光客を 呼ぼうという企画でして、 「京の蒸し暑さに耐えられるか」という チャレンジ精神が必要でもあります。 「 建仁寺 両足院 」は、 建仁寺の開山・ 栄西 (ようさい) の 黄龍派( おうりょうは) という法脈を受け継ぐ、 臨済宗建仁寺派の塔頭寺院。 ちなみに「法脈」とは、 各宗の法義が師から 弟子へと伝えられることで、 茶道とか能狂言の「流派」のようなもの。 境内にある「 毘沙門天堂 」は狛犬ならぬ、 狛虎?? 関ヶ原の戦いおりに 黒田長政 が、 関東方として出陣する際、 尊像を内兜に収めて奮戦したとか。 尊像は代々黒田家で信仰さきたのですが、 明治維新後に寄進されて今に至ります。 勝利の神として慕われていますが、 戦前から祇園の芸妓さんや舞妓さんにも 信仰があり念願成就をお祈りされていたところ。 「いい旦那さんがみつかるように」と願いは、 今は「 縁結びの神 」としても親しまれています。 庭園は、 白砂と苔に青松が美しい唐門前庭。 そして... 本堂を取り囲む「 池泉廻遊式庭園 」... 夏の碧さを満喫でございます(・ω・)v 方丈襖絵が完成記念として 初公開されていました。 遠目に一枚だけ... ボランティアガイドさんが 説明されているのは、 道釈画家である 七類堂天谿 (しちるいどうてんけい) さん の筆によるもの。 如拙筆と伝わる、 孔子・釈迦・老子が寄り添う姿を描いた 「 三教図 」などの 貴重な寺宝も公開されていました。 実はこの平成26年が建仁寺開山・栄西禅師の 八百年大遠諱 を迎えるにあたるそうです。 毘沙門天堂の社紋は「 ムカデ 」... ムカデは 毘沙門天のお使いだと言われています。 ムカデは漢字で書くと「百足」、 「たくさんの足(百足)のうち、 たった一足の歩調や歩く方向が違っても 前に進むのに支障がでる。 困難や問題に向かうには 皆が心を一つにして当るように」 、 毘沙門天の教えを表しているそうで

つよき者の悩める姿〜「曾我蕭白 鳥獣画の探究」へ

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朝日新聞社の創業者・ 村山龍平 さんのコレクション 神戸市にある「 香雪美術館 」に 行って来ました。 曾我蕭白は京都に生まれたという 出生をのぞくと謎に包まれた画家。 十代のころから画業で身を立てることを 目指して学んでいたそうです。 「雪山童子図」曾我蕭白 画(三重・継松寺)  室町水墨画に学んだ個性的表現、 虎次郎の好きな 伊藤若冲 や 長沢芦雪 とともに、 「奇想の画家」として知られる存在。 「鷹図」曾我蕭白 画(香雪美術館) 「 鳥獣画の探究 」と銘打たれた企画展は、 彼が2度滞在したとされる伊勢で 受け継がれた屏風や襖絵などが 展示されていました。 「架鷹図屏風」のうち左隻 部分 曾我蕭白 画  (奈良県立美術館・17世紀) 「波濤群禽図襖」部分 曾我蕭白 画  (三重県立美術館・1764年頃) なかでも三重の民家に大切に受け継がれた 「 鷹図押貼絵屏風 」は これまでみた蕭白の絵とは、 一線を画すものでした。 絵ハガキなどが無かったので 画はないのですが... 猛禽類の頂点にある鷹が狙う"禽類"... 食うものと食われるもののある姿。 強いであるが故に その内面に秘める鷹の威容。 いろんな鳥を襲ってる鷹... そして逃げ惑う禽類。 水に映る鷹の姿は デザイン的にも卓越したものがありました。 「比叡山図」曾我蕭白 画  (滋賀県立琵琶湖文化館) 蕭白の作品は、 ケバケバしいという印象を 持っていたのですが... まさに目からウロコの展覧会でした。