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TAROさんとプロダクトデザイン

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《水差し男爵》 1977年 " プロダクトデザイン "という言葉、 多くの著作にその言葉を遺した 太郎さんなのですが、 実はデザインに関する言及は、 ほとんど見つけることができません。 太郎さんの関心は「前衛芸術」、 「シャレていて、機能的」な モダンデザインに"興味なし"。 キュビスムと抽象芸術展 の図録の アルフレッド・バー・Jr の 美術史チャートの翻案を手がけた時に "デザイン"という言葉をあえて使わず に、 バオハウスや近代建築の動向を解説。 そもそも"美術"という用語には、 デザインを含めないことが多いので、 太郎さんは"芸術"= art を好みました。 「 芸術は爆発だ! 」なのです。 《顔のグラス》 1976年 ウィスキー購入者に店頭で 配られる ノベルティグッズ として、 キリンシーグラム の依頼を受けたもの。 「グラスの底に顔があったって  いいじゃないか」 の太郎さんの セリフは流行語となりました。 《水差し男爵》はグラスの続編、 ということだったそうです。 ネットオークションでは、 蓋が欠品 っていうのが目立ちます。 さらに続編があって、 1979年の 《お好み手皿》 。 これは太郎さんのアート、 広島県福山市松永町の 「 日本はきもの博物館 」 にある 《 足あと広場 》 がモチーフでした。 表参道の 岡本太郎記念館 の ドアにもそのデザインが ありました。 中之島美術館の 岡本太郎展 でも、 所狭しと並べられていました。 「芸術作品の価値を下げるから  やめたほうがいい」 という、 周囲からの反対を押し切ってまで やった太郎さん。 ネットでの高騰に どう言い捨てた(汗)?興味大あり です。 森永プラネットチョコレート の 詰め合わせで、 チェリーヌガー 、 ストロベリークリーム などなどが、 入っていたそうです。 ポスターには女優の 松島トモ子 さん。 岡本太郎作品 《瞬間》 を缶の蓋に プリントしたものなのなのだとか。 灰皿 《 火の接吻 》 1970年は、 女性の顔は卓上電子ライター、 灰皿は男性の顔… 火をつけるのは女で消すのは男 … 太郎さんらしい対極です。 《未来を拓く》時計 … 岐阜メモリアルセンターの 未来の丘に《 未来を拓

TAROさんの腰掛け

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《坐ることを拒否する椅子》 "機能的"から反対軸 にある TAROさんのこの椅子が いわゆる通産省の Gマーク が取れたか? おそらく機能そのものを放棄しているから、 不採択…というよりも未エントリー か。 「グッドデザイン商品選定制度」 発足の1957年に先んじて、 百貨店という身近な舞台で 始められた グッドデザイン運動 は、 ひろく人々の間に定着。 シャルロットぺリアンと コミッティーメンバーら  左から一人おいて渡辺力、 岡本太郎 、 吉阪隆正、ぺリアン、 坂倉準三 、 そして 柳宗理 。 いまは 「日本デザインコミッティー」 、 プロダクトデザインというジャンルは、 彼らたちによって形象づくられました。 太郎さんはたくさんの椅子を 生み出しているのですが、 「芸術はくらしの中でこそ活きる」 という考えで作られたもの。 静岡県伊豆市吉奈温泉の 御宿さか屋 、 源泉かけ流しの湯の大浴場は、 その名も「 太郎さん風呂 」。 太郎さんのデザイン・設計で、 太郎さんの得意とする曲線の美しさ、 女性が座った跡を表現 したものとか。 浅い段差に腰掛けながら湯浴みができ、 身体の線にちょうど良く合う 心地よさが実現されています。 《座ることを拒否する椅子》 は 宿主が浴室内に配したもの、 赤いヤツにはヒビ が入っています。 酔ったお客さんの仕業とか… 湯船になだらかな丘 が 作成当初は存在したのですが、 お客様に危ないから… 1975年頃に撤去したら 太郎さんよりお叱りがあったそうです。 「今思えば、苦情があったから  変えるのではなく  "合理的でないことこそ芸術なんだ"  と胸を張るべきでした。」 と。 《ほおづえ》1968年  背もたれの部分に 太郎さんデザインの顔があり、 肘かけから脚の部分まで 細部にわたっての曲線が 優雅さを感じさせます。 1969年の 《駄々っ子》 、 赤の他人座っていると、 だんだんお互いが 向き合ってしまうんだとか… 《駄々っ子》1951年 油彩、カンヴァス 椅子《駄々っ子》 … 大阪万博と前後し、 第二次世界大戦にアメリカ海軍が 発明したFRPでできている。 繊維強化プラスチックFRP は、 自由な形状が実現でき、 軽く耐久性があり、 なにより発色の良い素材は 太郎さんを魅了しました。 《太陽の

TAROと"あいみょん"

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こないだから 愛車キックス に、 [瞳へ落ちるよレコ…} が載った! CDで1回聞くとライブラリー入り。 武道館ライブのDVD、 「Tower of the Sun」を 初耳。 Tower of the Sun=” 太陽の塔 ”です、 あいみょんの夢は 「この”太陽の塔”の下で  ライブをすること 」。 「私があの人みたいにチヤホヤされる  天才やったら良かったのにな  良くも 悪くも  人生楽しいって思えるかもしれない  そう言ったって私は私でしかないから  ただひたすらに私として私を生きるだけ  tower of the sun 見ててよ」 ”あの人”とは岡本太郎のこと… 岡本太郎の天才ぶりに嫉妬。 「正直音楽の世界なんか  ひと握りやから  あわよくばって感じで続けてきた  どうも こうも  嫌いやったギターに愛着も湧くし  全然カッコよくないのに  売れてるバンドの悪口言って  ディスって泣いて悔しくて  tower of the sun を見上げたよ」 あみみょんは同級生や先生に 何度も夢を笑われたとか… でも、父や母は 「やりたいとこをやればいい」 と。 大学の学部選びの時に、 周りからなんでそこ行くの? って 虎次郎 は言われました。 でも 父も母も理系 やったけど、 "文化史"ってとこで、 好きな歴史と美術を満喫… 飯のタネにはなっていないけど、 その御蔭で今でもこのブロクを はじめ楽しんでる日々❢ あいみょんみたいに、 なんかしてる訳ではない 載っかるな と言われそ(苦汗) BRUTUS Casa の あいみょん 「〈太陽の塔〉を初めて見たときは  「ほんまに存在してたんや!」  という驚きでいっぱいでした。   クレヨンしんちゃんの映画 で  初めて知ったのですが、  実際にあるんやという感覚。  まさに 「なんだ、これは!」  っていう(笑)。  あぁ、ここは自分にとっても今後、  特別になりそうな気がするという  出会いみたいなものを感じたんです。」 太郎さんの言葉は独特 で、 あいみょんセレクト はこんなの。 「 他人が笑おうが笑うまいが、  自分の歌を歌えばいいんだよ 」 「よく、あなたは才能があるから、  岡本太郎だからやれるので、  凡人にはむずかしい  という人がいる。  そんなことはウソだ。   やろうとしない

"鵠沼"にある賀来神社のこと

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サーフボードの石碑 に" 賀来神社 "、 江ノ電鵠沼駅 のすぐ近くに鎮座。 1905年に別荘地開発の守護神、 1779年(安永8)に 大分藩 大給(おぎゅう)松平家 が、 藩領で祀られていたものを、 神田淡路町の大給家邸に 勧請されていたものだと… 鵠沼の地は川越より移住した 伊東将行氏 が1886年(明治19)に 別荘地として開発…、 一帯を所有していたのが大給家で、 千駄木の社も併せて遷座された。 波面を象った台座には、 " 勝海舟の拝書" の文字。 1887(明治20)年、 伯爵の爵位を受けた勝海舟が 大給邸に挨拶に訪れたとき、 「海舟勝安房」 の署名入り 神社名を拝書したのだのです。 江ノ電 鵠沼駅の石畳の坂を登ると… 同じフォルムの" 道祖神 ”の碑石、 近年建て直されたものですが、 右手にあるのは 藤沢市初の民間交番 だったそうで町内会管理、 賀来神社の社務所として 使われてきたものだそうです。 賀来千香子 さんが有名なので、 "かく" と読める人が多いのですが… 九州のJ R久大本線に賀来駅 があり、 ルーツは平安末から存在する " 賀来荘" という荘園に由来します。 賀来神社の参道入口は、 さきほどのサーフボードの碑石から、 最南部に鳥居を位置しますが、 階段を上がったところで、 参道は右へ曲げられています。 そのまま直進すれば、 社殿は自然と南面するのに、 わざわざ西向きの社殿 … 日本の神道の伝統の敷地形態は、 社殿を南面して建てるのが通例、 その訳はよくわかりませんが、 ちょっと不思議な配置でした。 ご祭神は 武内宿禰命 で 中央諸豪族の祖、 長寿の神とされます。 左に祀られているのが" 善神王宮 "、 北九州では 竹内宿禰命 とあわせて、 建磐龍命 の二柱に対して崇敬。 建磐龍命は阿蘇神社の御祭神 で、 豊後国の賀来神社では摂社として 善神王宮が祀られていて、 鵠沼にも併せて遷座されたのだと。 小田急江ノ島線 が開通する 1929年(昭和4)より前に 建てられたもの標石。 " 小田急鵠沼本町駅 "、 のちに 本鵠沼駅 が開業。 "藤ケ谷橋ヲ経テ海岸"には、 鵠沼海岸駅 が開設されます。 「 古か

TAROとYOKOHAMA

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ひさしぶりに" そごう横浜店 "の TAROの"太陽" にあいさつ! お昼時の熱射の下… そごう横浜店の屋上は人影なく… 青空に映える黄金の"太陽"が ズドンと輝いていました。 3つの"太陽"の顔があって、 こちらは "朝のやさしさ "。 "夜のおだやかさ" "昼の力強さ" は、 大阪万博の"太陽の塔"の 馴染みある表情。 岡本太郎のアートがあるとは、 知らずにこれに遭遇するのが、 ほとんどなんだろうと思います。 フロア案内には 「岡本太郎作"太陽" 」とあるものの、 アート解説などのパネルなどは、 見当たらないのです。 噴水と一体したアートかと… 水と照明とのコラボで 夜の表情も興味津々ですが、 午後6時で屋上は閉場 されるとか… ネットを探しても夜の表情は、 見つけられませんでした。 アートであるがゆえに、 ちょっとくすんでいるが、 神々しいまでに金色は混在。 "夜のおだやかさ" と "朝のやさしさ" は、 "太陽の塔"の3つの太陽 とは違い… どちらかというと… こいつらの兄弟姉妹なのかも… 青山の 《こどもの樹》 に そのテイストが通じます。 撤去の危機を乗り越え…、 建築家 藤原徹平 さんの手による 《 ストリート ガーデン シアター 》。 《こどもの樹》 を取り囲むように パビリオンとして活かされてるとか… 岡本太郎氏がそごう横浜店のために 新規にデザインした "太陽” 、 そごう横浜店オープンの 1985年9月に設置 されたので、 青山の"こどもの樹" と同時期、 同世代ということなのです。 そごう横浜店には複数の"広場"が存在、 屋上の"太陽の広場"は、 小さな丘や、 ミニサッカーコートを併設 。 屋上遊戯具やビアガーデンでないので、 YOKOHAMAのオシャレな現れなのか?? エネルギー漲っているのに、 なぜか寂しそう… 太陽は孤高がゆえに なせるのか、 TAROの想いは時を越えて…