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遊郭の残照 鯛よし百番 第三幕 半鳥居の天満宮

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半分だけの天満宮さんの鳥居 四天王寺の塔 が描かれ、 その奥には 天神祭 の情景。 用を足すには、こちらから1階へ。 天神祭の船渡御 天神祭船渡御に参加の 桃太郎、犬、猿、雉 の 面々が1階にいました。 " 清浄殿 "と綺麗な室名ではあるが、 男性用の便所となっています。 四羽の 孔雀 に守られています。 水面の煌めきを表現した 色小石 に 小船を隠喩した 浮板 、 入口の床面を飾っています。 "清浄殿"と"桃山殿”は同じ1階廊下に、 「 秀吉と北政所の醍醐花見図 」。 国立歴史民俗博物館 に所蔵の、 《 醍醐花見図屏風 》の写し。 東壁面には「 南蛮貿易図 」。 ぐっと近づくと青追い空のに 天守のような描線がみえる、 " 聚楽第 "だったとか、 いつ頃なぜ変更されたのか? こちら" 牡丹の間 "の板戸の女性たち。 ガラス障子の上部の透彫、 " 鳳凰の間 "の名をあらわす。 襖には御所車が題材に。 " 紫苑殿 "の刻印の引手金具。 襖絵は「 紫苑の群生 」、 菊科の紫苑は、 平安時代の物語に 由来する追慕の情が 込められてます。 花に集う鳥の図 いろんな写真も掲げられていました。 こちらは、1998年3月の花魁の饗宴、 花魁役は 藤間絵里嘉 さんが、 三十キロにもなる鬘でがんばったとか。 太鼓持となった 桂文福 さんも 写真に収まっておられます。 『 あヽ愛しき夫婦 』 藤純子 さん主演で、 百番でロケされたそうです。 ぼやき漫才で一世を風靡した 人生幸朗 と生恵幸子夫婦の泣き笑い、 桂文枝 (当時 三枝さん)の脚本で 綴られらのだそうです。 陽明門の前でのワンショット。 最後に  橋爪紳也 教授の ことばで、 締めくらせていただきます。 「自由闊達に、  あらゆる断片をあつめて  表現に至っている。  建築物としての統一感はない。  いわば 破調の造形 である。    豪華で派手な座敷の装いは、  桃山時代の風物に由来しているが、  襖絵や格天井の板には、  山水画ではなく  花烏画や美人画が用いられる。  また歌舞伎などに見受けられる  江戸文化のセンスも  引き受けている。   部屋ごとに意匠と趣向を違え、  部分の意味をわざと競...

遊郭の残照 鯛よし百番 第二幕 日光陽明門へ

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顔見せ の裏側は" 日光の間 "、 陽明門 が煌びやかに誘います。 左甚五郎の "眠り猫"のそっくりさん 、 百番では陽明門にて座候。 木鼻たちも本家にぐっと、 細部に至るまで模倣され、 装飾で彩られています。 唐獅子の彫り物も秀逸。 引戸には 黒漆螺鈿の細工 があり、 花卉の装飾は裏表に八面ずつ、 計十六面が施されています。 こちら室内側の四面。 "日光の間"は待合 金地の" 天女飛翔図" 右側には 付書院 水墨画の" 雲龍図 "に 見下ろされます。 唐獅子、牡丹、鳳凰な どの モチーフは 桃山美術 を意識… 過剰な装飾は キッチュとも思わせます が、 遊郭という空間の演出として 当然のものでりました。 大阪公立大学の 橋爪紳也 教授は こう解説されています。 「桃山風意匠のパッチワークの  ごとき室内は、 いささか俗悪と  捉える人もいるだろうが、  同時に小粋でもある。  「豪華絢爛たる安普請」  と評した専門家もいるが、  納得できるところだ。 」と。 徳川の葵の御紋も柵なし、 躊躇なく振りかざされます。 東壁面にも金地の" 牡丹図 "、 黒塗枠は 北玄関からの開き戸 、 遊女たちの出入口 に 使われていたのかも知れません。 北玄関ホール天井装飾、 " 遊女部屋" がこの奥にあり 戦前昭和12年ごろは、 「ダンスホール」 だったとか。 ミナミや今里からも、 粋な旦はんが芸妓さんが 踊りに来ていたそうで、 遊女も泊まりの客とそこで よく踊っていたようです。 中庭には 夫婦岩 の石組 大木の モチノキ が2階屋根を はるかに通りすぎる。 夫婦岩の 陽石 は幅80センチ、 高さ280センチの 約1.8トンとか… 陰石は5トン を超える巨岩。 住吉大社 を模した 反橋 その奥には" 桃山殿 ”、 大きな宴会が催されていました。 2階にあがって見下ろすと、 擬宝珠のつく三条小橋 の欄干。 折上格天井 となっている階段ホール タイル貼が遊郭らしさを、 醸し出して思います。 ハーフティンバー風 な部屋 洋館がくっついています。 外観はこんな感じ 中国風な彫り物が迎える部屋 路地風の廊下のつきあたりに井戸、 「 朝顔や つる...