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MOOMIN谷をたずねて②〜主役と脇役

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ムーミンには超一流の脇役がいる。 主役たちの行動や成長を促す名脇役たち、 スベンソンは全ての登場人物に、 かけがえのない役割を、 そして等しく愛をもって描いています。 自由と孤独を愛する「 スナフキン 」。 冬が来る前に南へ旅立ち、 春になって戻ってくる。 キモチをナチュラルにってことは、 自然に畏敬の念があってこそ。 「気がむきゃ、いくさ。 だけど、ぜんぜんいかないかもしれない。 おそらくぼくはべつのとこへいくだろうな」 「 ちびのミィ 」 ミムラ夫人の末娘ってことだから、 スナフキンの妹ってことになる。 家族でムーミン谷を訪れ、そのまま居つく。 のちにムーミン一家の養女になる。 「いやよ、ばかなことしないで」 と、ちびのミィはいいました。 「これが、大さわぎするほどのことなの?」 「 スニフ 」は少しわがまま、 きれいな物やめずらしいものが好きで、 森でムーミンたちと出会った。 はい虫の ティーティー・ウー なんかは、 最初は名前がなかったとか。。。 スナフキンに迷惑がられていながらも、 名付け親はスナフキンとか。 「アダ名」と「ニックネーム」... 虎次郎は小学生のうちは「 テッカ 」って、 テヅカだから…そう呼ばれていたのでしょう。 中高大の間は「アダ名」は特にありませんでした。 中1から10年間学生生活、 そしてひょんなことから職場も一緒にの、 古い友人である腐れ縁の彼は キッテの「アダ名付屋」なのに。 どっかでアダ名のないジブンが、 面白みのない奴や!! と思われている気がしていました。 最近よばれるのは「 てんてん 」。 職場の後輩が呼び出した愛称??? いまだにちょっと慣れませんが(TдT) トーベ・ヤンソンが来日時に ランチョンマットに描いたスケッチ。 鳥羽国際ホテル のん。 ムーミンカフェ 関西初出店だったんだけど、 ギョーレツで待ちませんでしたけど... ニョロニョロのオレは飲めばよかったなぁ〜 とちょっと後悔しています。   フィンエアー のポスター欲しかったなし。

MOOMIN谷をたずねて①〜あべの・ムーミン展ゆ

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1914年8月9日 フィンランドのヘルシンキ生まれ、 彫刻家の父と挿絵作家の母を持つ、 トーベ・マリカ・ヤンソン の生誕100年。 アベノのハルカスは、 「 星にかなでるクリスマス 」とか... ヤンソンさんは子供の頃から絵を描いたり、 詩や物語を作って遊んでいたそうですね。 《ムーミン谷の彗星》 1968年 挿絵、インク ムーミンの原作をたどると、 ちっちゃい時に観たアニメとは一線を画す おどろおどろしい異形のものたちが見える。 《ムーミントロール立像》制作年不詳  ポリスチレン、石膏、ミックスメディア 《たのしいムーミン一家》 1948年 挿絵、インク 〈 ムーミン谷 〉と『 ゲゲゲの鬼太郎 』の 妖怪世界は地続きのよに思える。 日本も北欧も自然とゆったりと調和しながらも、 古くは貧困や戦争とは 無縁の世界が広がっていたということ。 《ムーミンパパ海へ行く》 1965年 習作、インク 無形財(intangibles) とも言われる 「地域コミュニティや特定の民族によって 創作され伝承されてきた有形無形の文化資産」 である フォークロア的 な想像力は、 暮らしのなかに息づいていたのである。 異形と呼ばれるマイノリティ とも その世界にあそび・くらし・まなぶことで、 彼らを通じて「人間の営み」を見つめる力が、 養われていたということ。 ファンタジーが今なお親しまれるのは、 科学的を信じしすぎたとも思われる そんなキライもある時代だからこそ、 そんな役割が必要としてるののかもしれない。 《たのしいムーミン一家》 1948年 挿絵、インク 「歩いたあとが凍りつく、孤独で大きな魔物。  けれど灯りやたき火などに近づきたがる。」  『たのしいムーミン一家』山室静 訳より 化け物「 モラン 」はしばらくすわっていて、 ゆっくりと暗やみの中へ... その後はまっ白に凍っている。 最近 喋りすぎているのか、 いろんなトコに近づくとふと振り返ると... シラケられていないか心配になります。 虎次郎...最近 モランってます(TдT)