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京祈りの地をあるく 松ヶ崎の新宮神社

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松ヶ崎の産土神、旧村社であった 新宮神社 は、かつては " 大比叡大明神 " と呼ばれていたそうです。 御祭神は 熊野速玉神 、 伊弉奈枳命、伊弉奈彌命 、 そして 猿田彦命 です。 松ヶ崎村が 天台宗より日蓮宗 に 改宗した折に、 日像上人 直筆の曼荼羅を ご神体として合祀せれ、 妙泉寺の鎮守社 であったので、 僧が祭事を行っていたそうです。 神仏分離令後の 廃仏毀釈 により、 妙泉寺から離れ、 白鬚神社 として独立。 猿田彦命 は、 白鬚大神 ともされ、 天台宗開祖・最澄に宣託を 下したとの伝承が残ります。 境内東隅に祀られた 嶋森大神 。 この先は涌泉寺、 松ヶ崎大黒天 の妙円寺への 山道が続いているそうですが、 ほぼ " けものみち " 立ち入ること ままならずでした。 御神木のそばに小さな祠… 七五三参り で本殿の写真を 残すことができなかったが、 山のすぐ下に本殿があって、 磐座か御山をご神体 とされて いるのかも知れません。 提灯や幕の神紋は、 藤紋 。 熊野の新宮神社の紋とは、 異なる社紋なのは、 熊野速玉神らの御祭神と 猿田彦命を合祀したときに、 由来することなのか… 定かではないが事情があるのかと。 比叡山の真西に位置する場所、 最澄の延暦寺より前に 創建されていたとの想像が 過りますが、 日吉大社の大比叡大明神を、 松ヶ崎の林山に迎えたとも。 かつての例祭では、 和鞍をつけた馬の行列と 競馬の祭事が行われ、 壮観であったそうです。 1887年に 新宮神社 に改められと、 村志が伝えています。 天台宗と日蓮宗 …村の信仰の変容、 そして" 諾冊二神の勧請 "… いまここに 猿田彦命 を跡を 探るのは難しいようでした。

猿田彦のミチを開くvol.18 京都五条・猿田彦社

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五条通麩屋町通 を 上がったところ… 子猿を抱く猿の石像 … 神石二石が注連縄で 祀られています。 夫婦石かも? 恵比寿、大黒の 石 と 伝わります。 天から降臨したとも… ほぼ拝所のみの 猿田彦社 こんな感じでお祀りされています。 扁額には 猿田彦命・宇壽女命 三番叟の猿 通りに面するのは 「 朝日神明宮 」とあり、 かなり迷いました。 かつては広大な境内があり、 南北は五条通から松原通、 東西は河原町通から 富小路通まであったそうです。 鎮守の森は 「幸神(さいのかみ)の森」 と呼ばれていたそうです。 祭神は本社に 天照大神 、 相殿に 国常立命 (くにとこたちのみこと)、 伊弉諾命、伊弉冉命、 倭姫命です。 国常立命はなじみない神 、 『日本書紀』 では一番最初に 現れた神様とされていて、 「永久に国土が立ち続け、  不変的であるように」 との意が込められているとか。 朝日神明宮は 『京都名所案内図会』 の 神明二十一ヶ所の19番 と されていました。 ただ… 1788年の 天明の大火 、 1864年の 蛤御門の変 で 大半が焼失してしまい… 社地もこの一角のみ。 「石門心学修正舎」 とあり、 江戸中期の思想家 石田梅岩 を開祖とする 石門心学の学問所跡。 1911年に万寿寺町から 移転してきたのですが、 今は石碑のみを残します。 信仰はいまも篤いようで、 境内はキレイに されていました。 五条大橋の義経弁慶 より、 やや西に位置します。

猿田彦のミチを開くvol.17 幸神社(さいのかみの やしろ)

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北東というのは鬼門 とされます。 京都御所の北東の 幸神町(さいのかみちょう)に 幸神社 が鎮座されています。 出雲路幸神 とも 出雲路道祖神社 とも呼ばれます。 「さいのかみの やしろ」 とも 「こう じんじゃ」とも… かつては大きな 社地だったそうです。 主神の 猿田彦大神 、 相殿神に天之御中主日御神 (あめのみなかぬしほのおかみ)、 天照皇太神、瓊々杵尊、 少彦名太神、 可美葦牙彦舅尊 (かみあきひこしうとのみこと)、 大国主尊、事代主命、 そして 天鈿女命 の八神。 多くの社が祀られています。 こちらにはお稲荷さんも… 右手に奥入ると… 「石神さん」 … 「おせきさん」 とも呼ばれ、 平安時代から祀られている神石。 触れてはいけません(T_T) 本殿内にも… おそらく 陰陽石 でしょう。 由緒書の 天鈿女命 のくだりには、 歌舞伎の創始の 阿国 は、 当社の稚児・巫女として 仕えていたとありました。 絵馬は 三番叟の猿 。 「おせきさん」の真横あたり、 本殿の北東には神像が あったのですが… 見つけられませんでした。 すこしお参りが遅くて… 社務所は閉じられていました。 覗き込むと… 「猿みくじ」 あらためて参拝せねば。 鬼瓦にも 猿を表す紋 がみえます。 こちら 下鴨神社 の 摂社である 河合神社 。 第一摂社とされ 神武天皇の母神 にあたる 玉依姫神 が祀られています。 境内の東側に苔むした社。 六社(むつのやしろ) 、 諏訪社、衢社、稲荷社、 竈神、印社、由木社。 かつては境内にそれぞれ 社があったそうですが、 江戸時代の式年遷宮に 一棟とされたそうです。 衢社のご祭神 は、 八衢毘古神 (やちまたひとのかみ)、 八衢比売神 (やちまたひめのかみ)。 平安中期の「延喜式」に みられる神名ですが、 猿田彦命と天鈿女命 に 繋がるとみて間違いないと… ちなみに河合神社では、 「 六社の御札 」を 授受されていて、 いずれの神様も 生活の神徳を司る神、 生活守護、新生活の 無事安全に霊徳があります。 最後に…京都御所の 北東角の 「猿が辻」 。 取り囲む塀がここだけ 凹んでいるのです。 鬼門封じの 三番叟の猿 。 京都の鬼門を守る 比叡山にある 日吉大社 の 神使いの「お猿さま」 。 ただこのお猿さま、 夜な夜な辺りをうろついて 通...

神のつかわしめ たち⑤ 鯛〜京都・京都ゑびす神社

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右手に釣竿、 左手に 鯛を抱える ゑびすさま 。 夷、蛭子、恵比寿、 恵美酒とも表されます。 出自には二つのルーツ あって、 一つは イザナミ、イザナギのの第三子 、 満三歳になっても 歩かなかったため、 船に乗せられ捨てられる (ToT) やがて漂着した浜の 人々の手によって、 手厚く祀られたのが、 信仰のはじまりが ゑびす様 。 もう一つのルーツ… 大国主命の御子 であり、 少彦名命様と一緒に 大国主命の後を継ぎ、 出雲国を守っていた 釣りが得意な事代主命 。 由緒書きには… 鎌倉時代に 建仁寺開基 の 栄西禅師 が海での難を お助けになったのが 恵比寿神だったとか。 三十六歌仙の扁額 や 酒樽など…花街に近い ということもあり、 宵ゑびすの 宝恵かご社参 には、 東映太秦映画村の女優 さんたち、 十日ゑびす大祭にも 福笹の授与の奉仕。 なかなか艷やかな 夜の風景が見られる社。 大和大路通に面し立つ 「照昏夜」 の碑石。 昏夜とは暮れと夜のことで、 日が暮れて夜になる頃のこと。 花街が艶めくことを告げる時、 仮名草子に 「昏夜に  鬼を話(かた)る事なかれ。  鬼を話れば恠いたると…」 恠(け)とはあやしいの意。 扁額のある鳥居の次は… ここの 神紋は三つ柏 、 二の鳥居は木の鳥居で、 まんなかに波しぶきとともに 西日があたると眩しく光る。 三の鳥居には額束 のところに、 えびす様のお顔がついた 箕 、 そして 熊手の先には網 がつく。 幸運や金運を掻き集めるとして、 ここへお金を投げ入れるのだとか。 財布塚 には、 役目を終えた財布。 こちらは 名刺塚 … いずれも 松下幸之助 さんの 奉納なのだそうです。 立派な摂社は 天満宮 撫で牛 に 白太夫社 。 こちらは 北野天満宮の遥拝所 。 ここにも撫で牛 八幡神社 に 猿田彦神社 猿田彦大神の扁額。 もうひとつ 岩本稲荷大明神 《えびす》写楽  神使とされる鯛は、 ゑべっさんの好物… と思われがちですが、 好物は海老 。 《恵比寿》貨幣博物館 「鯛で海老を釣る」 は、 ゑびす様から鯛を戴く というところから… 大漁追福や商売繁盛を もたらす神様… お金まわりが良くなる。 京都ゑびす神社には、 「 二十日ゑびす 」 なるものがあって、 旧暦の9月20日、 いまは10月20日。 十日ゑびす はゑび...