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甲子園ホテルへ⑤ バーの床に残る謎

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甲子園ホテルが生まれた 鳴尾村 、 阪神間という場所は大正初期は、 武庫川と枝川という大きな 中州のまんなかにあって… その広大な一帯を開発したのが、 阪神電鉄であったのです。 三角州の頂点に甲子園ホテル、 甲子園駅からさらに浜への 電車が伸びていました。 谷崎潤一郎 は 『 赤い屋根 』 のなかで、 赤と白と緑との原色でできた 「 ランドスケープ 」と書いています。 緑は 松林 、白は 花崗岩質の土地 。 ゴルフやダービーのあった鳴尾村が、 甲子園という街となっていったのです。 赤は鳴尾のイチゴとか… 武庫川に架かる 武庫大橋 。 アメリカの橋梁設計事務所に 勤めていた 増田淳 の設計。 [レセプションルーム] 実は阪神電鉄が構想していた ホテルの場所は、 もっと海岸部であったそうです。 大阪からのアクセスで新国道に接し、 この橋つながるよう 林愛作 が希望したとか。 「フランク・ロイド・ライトは、  大学における専攻は  建築学科ではなかった。  建築ではなく土木工学であった。  しかし、ライトがこうした  土木分野である橋梁デザインに  興味があったのか、  また遠藤がそれを学んだのか  定かではない。」※1 メインロビーの南東階段を 数段降りたところ… そこには酒場(バー)があります。 いまはアートショップ。 心斎橋に本店を持つ「 カワチ画材 」、 ネット注文も受け付けて、 週1回開店するそうです。 ふだんづかいはフリースペースに。 最近復元されたバーの椅子。 打出の小槌の雫 がみえる。 写真を参考に学生が模型を作って、 プロポーションを復元したそうです。 床には パッチワーク のように、 彩りのタイルで彩られていました。 タイルには 1930年とあるとか。 予算の関係なのか、 遠藤新の意図なのか… くわしくはわかりませんが、 「 泰山タイル 」とある端タイルたち。 「…その空間に納めるために  事前に製造された製品ではなく、  泰山製陶所の倉庫に残されていた  他の物件の余剰のタイル、 ...

甲子園ホテルへ④ ジャパンなホテルの合理性

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甲子園ホテルには和室があります。 この和室では京都の 三嶋亭 の スキヤキが振る舞われたそうです。 英文パンフレットにも スキヤキディナ が、 スキヤキディナールームとともに掲載、 ただし、外国人向けではなく… ハレの日 のごちそうを ハレの空間 で、 独特なものを提供していました。 各階廊下には フロアステーション が 設けられていました。 そこも和の空間。 林愛作 の視点が、 日本人を中心としたところに あったことを物語っています。 1927年の 「理想的なホテル」 という 林の寄稿にこうありました。 「…一家族投宿などの場合は、  両親が西洋間に、子供三四人位は  日本間に寝ることも出来て、  お客としても便利であるが、  経営者にとっても便利である。」と。 林は京都の 木屋町の旅館 にも 見学に行ったらしく、 日本に育まれた生活空間に 着目していたことが判っています。 パブリックなスペースとの区切りも、 壁ではなく階段差を巧みに活用。 いまではバリアといって、 嫌がられますが… 空間の印象の切り替えに その技が見て取れます。 甲子園ホテルでは、 こんな工夫も… パブリックスペースとも 渡り廊下で客室と分離され、 三部屋以外のお客さん と 顔を合わすことの配置が なされていました。 このホテルの意匠のテーマは 水 であったと言われています。 シャンデリアは 貝 がモチーフ。 四灯になるとこんな感じです。 メインダイニングには さらにたくさんの 組み合わせで豪奢な姿。 今は 建築学科 の製図ルーム、 CADの実習に使われています。 照度はバッチリ!いい環境です。 ただ多くのフードが、 阪神・淡路大震災で飛んで、 割れてしまったそうです。 こちら屋上テラスの照明。 改修後に新しいものに 交換されています。 もとは乳白色のグラデーション、 展示ケースに保存されているもの。 こちらは屋上テラスの 屋根下にのこる吊環。 左右に繋げて 提灯を吊るしたとか… 夕涼みを楽しまれたのでしょう。 ...