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エリア継体vol.3 大王の埴輪まつり

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今城塚古墳公園 で 一番映える場所 はにわ! 埴輪! ハニワ!  の 「 埴輪祭祀場 」。 外濠に向かって 突き出す長さ65m、 幅10mの張出。 古墳完成後に 付け足されたとされる 「 埴輪まつりのステージ 」。 埴輪祭祀場の東端には、 祭殿風の家型埴輪 がある1区。 こちらがオリジナルで、 日本最大で、高さ170cm。 2区との境界には 柵の埴輪があるのは、 1区は大王が安置された 空間を暗示しているとか… 片流れの家 円筒埴輪に接し、 器台と 蓋(きぬがさ)埴輪 。 埴輪祭祀場2区。 内堤寄りの場所には 太刀の埴輪 、 巫女や小さい家も。 祭祀場の中央に あたるのが3区で、 太刀の列とともに 巫女が二列に並び、 さらに日本最大の 祭殿風家形埴輪が鎮座、 盾形埴輪 に護られています。 両手を高く掲げる巫女 4区は動物と武人たち 門を守っているカタチ。 そして、 内堤に近い部分に白鳥、 その北側に牛・馬、 そして鷹飼いと武人。 ステージの配置は、 きっと埴輪づくりの 総責任者が駆けつけ、 さまざまな埴輪を、 柵で仕切った区画に… 細かく指示したのでしょう。 今城塚古代歴史館 には、 発掘片からの復元展示が なされていました。 角のある牛 止まり木にとまるニワトリ その中で… ボランティアガイド さんが、 いま注目!と指さしたのが 「 獣脚埴輪 」。 それぞれに五指を表現した 人の手を貼り付けたもので、 親指と人差し指の間隔が 広く取らていて、 小指は小さく作られています。 「獣脚」?? 獣の脚とされているが、 そのルーツには 飛鳥時代の拝礼作法 を 示すものなんだそうです。 「 匍匐(ほふく)礼 」とも、 「跪伏礼」ともいわれ、 地面にひざまずく拝礼 。 「ほふく前進」と聞けば、 わかりやすいのですが、 律令制の導入によって、 唐風の起伏礼・立礼に 改められたのだそうです。 匍匐儀礼が殯宮儀礼の 中でも特徴的な儀礼にあたり、 祭礼埴輪列の二・三区、 宮門内の埴輪群に、 「 獣脚 」があったことは、 古代の儀礼を伝える証 とも 言えるのです。 今城塚古代歴史館長の 森田克行 さんによると、 「3区の「獣脚」から 復元される匍匐礼の具体像は、 『 万葉集 』の 柿本人麻呂 作歌に ある 高市皇子の挽歌 のなかの 「鹿じもの い匍ひ伏しつつ」 という表現が...

はにわ大行進!

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ちょっと 古墳にハマってるので、 大阪歴史博物館の「 はにわ大行進 」 を覗いてきました。 特別展の埴輪たちは、 大阪市平野区の長原遺跡のもの。 1974年の地下鉄延伸で 発見された 長原古墳群 。 最初に見つかった古墳は 塚ノ本古墳と名付けられ… その後調査された古墳は、 221基 にのぼりました。 4世紀後半から6世紀中葉に かけて造られたのですが、 墳丘の破壊によって 埋葬施設や副葬品が 失われていたこともあり、 築造年代はよく分かっていません。 衝角 を表した冑形埴輪、 衝角とは体当たりで敵艦を 破壊するために軍艦の船首に つけたクチバシ状の突起のこと。 「 冑形埴輪 」国重文   長原170号墳出土   文化庁蔵・大阪歴博保管 古墳時代中期の「 船形埴輪 」 丸木をくり抜いた船底に 舷側 (げんそく)板、 船首と船尾が分かれる構造。 オール を掛けるピポットが4対、 8人以上で漕いでいたよう。 「船形埴輪」国重文    長原170号墳出土   文化庁蔵・大阪歴博保管 こちらの「船形埴輪」は、 栗東歴史民俗博物館 蔵のもの。 ピポットの間に横板がみられます。 漕ぎ手の腰掛けのよう、 船底の2箇所の穴に、 旗竿などの支柱があったのかも 知れません。 盾は矢や刀から実を守る武具、 被葬者を邪霊から護るために 置かれた「 盾形埴輪 」。  国重文 長原170号墳出土   文化庁蔵・大阪歴博保管 前後に張り出した髷(まげ)を 結う 巫女の姿 。 前方に伸ばす腕は、 何かを捧げていたのかも? 動物の埴輪もいろいろ… 馬とか 鶏とか 家とか… 短甲形埴輪と草摺形埴輪 こんな変わった カタチの埴輪もありました。 鞆形埴輪 というもの。 鞆 とは、弓を射る時に 左手首の内側につけて、 矢を放ったあと弓の弦が 腕や釧に当たるのを防ぐ道具。 左腕に「 ほむた(鞆) ...