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京祈りの地をあるく 臨済宗相国寺派・鹿苑寺

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金閣寺が18年ぶりまばゆい姿 屋根ふき替え、 鳳凰の金箔も補修… というニュースを、 ネットで見つけ(・ω・)v 行ってきました ピカピカの金閣寺 !! 年の瀬の30日に雨でキレイに されたこともあって美しい。 まばゆい光を放っておりました。 傷んだ金箔の一部も貼り替え、 耐水性がある椹材を約10万枚、 9月からの葺き替えの時期は、 本来は秋の観光シーズン… でも今年はコロナ禍で 参拝客が減少していたので、 このウチにやっておこう! ということになったらしい。 12時頃にルート検索をすると、 「かなり混んでいます」 との情報。 やはりニュースにでたので、 混んでいるのか? 入場制限してるかも? 祇園四条からは市バスで45分くらい。 東山から北山なので 当然時間がかかる訳で… 市バス乗車中の堀川通を 上がるころはかなりの冷たい雨。 着くと雨で拭われてキラキラと… 鏡面とはちがった金色が 煌めくのは舎利を祀る場に 相応しい姿といえます。 鳳凰を頂く舎利殿 … 屋根の四隅が 跳ね上がっているので、 そのままでは雨水が屋根中央に 集まり滝のように流れてしまう。 これを避けるため、 長い雨樋 を用意したのだとか… 「こけら落とし」 というコトバ、 劇場が新築・改築をして 初めて行う興行のことだが、 今では杮葺とすることは稀。 瓦屋根になっても江戸時代の劇場に 桟敷席などに「こけらぶき」の 小さな屋根が残されました。 この「こけらぶき」の部分に残った 木の細片を落としきれいにする… 劇場を建てるときの 最後の作業であったのです。 完成、開場を意味する ところなのです。 書院前の枯山水… 水流を表現した砂紋 が ふたたび象ちづかれつつ ありました。 鎌倉時代のこの地には 西園寺公経 の 別荘「 北山第 」が在りましたが、 足利三代将軍 足利義満 が気に入り、 北山殿 としてのがそれです。 後小松天皇 を招いたり、 日宋貿易 を盛んにして 文化の発展に貢献した舞台には、 さまざまな風景があります。 龍門瀑 には 鯉魚石 が立つのは、 中国の故事 登竜門 に因んだもの。 安民沢と呼ぶ池には、 白蛇塚 という五輪の石塔、 西園寺家の鎮守 と伝わります。 山路を登ると… 椹の木で葺き替えられた 舎利殿の屋根が見えました。 金閣はたびたび存亡の 危機に見舞われました。 池泉庭を修復したのが

京祈りの地をあるく 東山五条・若宮八幡宮

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京都の夏の風物詩でもある「 陶器市 」、 五條坂にある若宮八幡宮の陶器祭が 8月7日から10日まで行われます。 右相殿のこちらが 陶祖神社 、 陶祖神の 椎根津彦命 を1949年に 合祀されたことから陶器神社 としても知られています。 椎根津彦命は 神武東征 の文官、 というのも武器を持って戦う というっことではなく、 知略を発揮した と伝わります。 神武の宇陀での戦いで、 椎根津彦命は神器の土器を 造ったことで陶器の神 に。 こちらは京都や奈良の町屋、 中屋根 によくおられる 鍾馗(しょうき) さま。 元は中国の民間伝承を ルーツとする 道教の神 さま。 唐の 玄宗皇帝 が病の床につき、 夢中に現れる鬼に悩まされていた。 その夢の中で鬼を退治する者、 玄宗皇帝が正体を尋ねると… 「自分は終南県出身の鍾馗。  官吏になるため科挙を  受験したが落第し、  そのことを恥じて自殺した。  だが高祖皇帝が手厚く  葬ってくれたので恩に  報いるためにやってきた。」。 疱瘡除け として江戸中期には、 顔を赤く塗った鍾馗もあったとか。 瓦からできている鍾馗 も 焼き物であることから、 京都市内唯一の鍾馗神社。 鍾馗祭り が行われます。 境内には神石がふたつ… こちらは" 蓬莱石 "と呼ばれるもの。 足利尊氏 の信仰があり、 病気平癒を祝して献じた 珍宝七種の一つと伝わるもの。 ただ長らく御本殿の片隅に 埋もれていたのですが、 御神託によって約650年ぶりに 見つけられてものと伝わります。 もう一つが本殿に向かって左、 ハートストーンと 評判の石。 小さなハートの石が2つ… 美容・安産・縁結びの神として、 信仰を集めているとか。 本殿前には 姿見の鏡台 絵馬は ハート型 … 御祭神の一柱である神宮皇后は、 大変美しい神様とされ、 あやかれるよう御祈願された 美人御守、美の鏡御守、 美貌御守 などもあるとか…。 もとは 八幡太郎 の名で有名な 源義家 の父 源頼義が 六条醒ヶ井 の邸内に、 八幡の若宮として 石清水八幡 を 勧請したのがはじまり。 ただ 応仁の乱 で社殿は荒廃すると、 その後は社地を転々と… 氏子地域がなくなってしまったとか。 源氏と天皇家に伝えられてきた社宝も、 いまは 京都市に委託 されているそうです。 六條八幡 とも 左女牛八幡 と

清水寺をあるくvol.5 極彩色と龍虎のこと

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1631年再建の 西門 。 極楽浄土への入り口の門、 浄土を観想する 日想観の聖所 。 一般参拝客はこちらを昇らずに… 仁王門 を潜ります。こちらが清水寺の正門、 応仁文明の乱によって焼失後、 16世紀初めに再建です。 祖父母の家は京都にあり、 夏休みになると" 京都人 "だった 虎次郎にとっていまなお 違和感を感ぜずには居られない、 朱塗りの八坂神社の色目… こちらは 京都府教育委員会 に 残る修学旅行の記念写真の一枚。 撮られたのは1983年ごろ… 左に仁王門、 奥に西門、三重塔が見えます。 こちらの印象しかないのです。 清水寺の現在の伽藍は、 1469年の 応仁文明の乱 の あとに再建されたものと、 江戸時代1629年の火災後に 再建されたものとなっています。 屋根葺き替えなど建物を維持修理が 繰り返されてきたのみだったので、 塗装についてはほとんど 手が入れられないまま近年に 至っていた と考えられています。 1984年から87年にかけての 三重塔の半解体修理。 塔の2層と3層を解体し、 組み立て直されたのです。 外部部材の一部に極彩色の 痕跡が発見されました。 丹塗りにすべきかの議論の末、 極彩色として蘇ったのです。 16世紀半ば、戦国時代の頃に 描かれたと伝えられた 《清水寺参詣曼荼羅》 には、 朱塗りの伽藍がみられます。 清水の舞台も朱塗り… 鐘楼 は平安期に建造、 江戸中期1607年に現在の 場所に再建・移築されました。 菊花彫刻 の蟇股 こちらは軒桁を支える 枓栱( ときょう)と呼ばれる組物。 こちらは赤い菊 西門と三重塔は一直線に… 西門も彩色彫刻がてんこ盛り。 蟇股彫刻 が秀逸です。 海老虹梁 も美しい… 三重塔の塗装復旧は 大きな反響を呼びました… 賛否拮抗 ではありましたが、 次第に建築当初の丹塗りや極彩色が 受け止められていったようです。 京都府教委に残る一枚… 別どころのように見えますね。 1994年に西門、1996年に阿弥陀堂、 1999年に鐘楼、2000年に経堂、 2003年仁王門… 2005年に 田村堂 2013年に 子安塔 2017年に 阿弥陀堂 の順に。 色的には1633年の再建整備時に 近い状況になったということです。 清水寺の西門前には、 " 祥雲青龍 " が立ちます。 京都は四神相