投稿

ラベル(近代化建築)が付いた投稿を表示しています

地鉄を征く〜あすなろう鉄道③ 四郷村役場へ

イメージ
四日市市でずっと 見たかったのがコレ! かつての 四郷村役場 。 あすなろう鉄道乗り鉄 の 一番の目的がココに 訪れることだったのです。 1982年に四日市市の 有形文化財に指定されていて、 今は 四郷郷土資料館 に… 建設されたのは1921年、 大正時代の建造物ですが、 明治期の建築様式 を伝える 洋館風の佇まい。 南東にそびえ立つ 塔屋 … 存在感が際立っています。 後に東洋紡績の 三重紡績 を創業、 私立 四日市商業学校 の設立にも 貢献した 伊藤傳七 が投じた 寄付金により建設されたもの。 玄関寄せの作りもなかなかです。 素朴ながらも格天井。 裏手に回ると… アーチ型の大きな窓の 存在がわかります。 裏手の入口にも瓦屋根。 実は毎週土曜日は 開館されているのですが… 訪れたのは日曜日。 南東塔屋には 狭いらせん階段 が 3階まで通っているとか… 1階では酒の醸造や製糸、 そして… 大正天皇の皇太子時代の 行啓時の 貴賓室 復元など 展示があるそうです(T_T) こちら… 日野瓦屋清左衛門 の 銘が残る 法蔵寺 の鬼瓦。 東本願寺の真宗大谷派のお寺。 再建の本堂は1859年(安政6)、 白壁の土塀が囲こむ、 静かな一角に立つお寺。 佐佐木弘綱 の歌碑 「うこきなくよにさかゆへき  このやどの しるしにたつる  かたしはそこれ」 佐佐木弘綱 は、 三重県鈴鹿市が生んだ歌人 鈴鹿市石薬師町には、 佐佐木信綱記念館 があるとか… 四日市あすなろう鉄道 のHP 「 沿線の魅力発見 ちいさな電車旅 」 2016ミス・ユニバース 三重代表の 矢田百恵 さんのレポあり、 内部の展示が分かります。 「四郷郷土資料館」 旧四郷村役場→ 所在地:三重県四日市市西日野町 建設年:1921年(大正10) 設計 :野田新作 構造 :木造2階建、塔屋3階建 【四日市市有形文化財】

かごしまゆ④ かごしま異人館

イメージ
白ペンキ塗 木造2階建ての モダンな西洋館… 異人館 という愛称で親しまれる。 鹿児島のここかしこに、 こんな顔出しボードが ありました。 「 旧鹿児島紡績所技師館 」 島津忠義 がイギリスから 紡績機械を輸入、 日本初の洋式紡績所を作ったとき、 イギリス人技師ら 7名の宿舎として建設されたもの。 多面形のポーチ は 八角形の半分が表に、 4面にはバルコニーで、 その全ての窓が透明ガラス、 当時の日本には無かったもの。 あの 西南戦争 では、 傷病者の救護施設にも使用、 1897年(明治30)に 閉鎖されました。 開口部はアーチ型が採用、 屋根の小屋組は全て尺貫法。 しばらくは、銀座煉瓦街設計の トーマス・ウォートルス の 手によると見られていたが、 奄美大島で製糖工場の建設に あたっていた時期と重なるため、 設計者は不詳となっています。 周囲は回廊。 こちらは裏手、 オリジナルを 留めているのかも? ただ、少なくとも紡績所に 関係したイギリス人が 設計・指導ということに 違いありません。 イギリスで設計され、 日本の寸尺の技術で 完成したもの です。 異人館の起工した直後、 イギリス公使 パークス の通訳 アーネスト・サトウが来鹿、 技師の仮宿舎に 滞在したそうです。 「薩長と友好関係にあることが  イギリスにとって幸福である」 サトウはそう考えていたそうです。 通気孔 2階へ 2階もぐるりとベランダ。 寝室の家具はオリジナルでは ありませんが… 契約書によれば、 19世紀後半のイギリスの家具を 技師たちが持ち込んだと 考えられています。 集成館に関する展示… ほど近くに紡績所跡 急逝した 斉彬 は、 洋式帆船建造のため、 帆布を 自前製作 を目指し、 紡績事業の必要性を 説いていたそうです。 反射炉や蒸気船などに 関わっていた 石川確太郎 ※ は、 12代藩主 忠義 に紡績事業の 必要性を伝えた人。 やがて機械の一部を 大阪・堺に移されたそうです。 関西の紡績業のルーツ 、 ここ鹿児島にありました。 ※石川確太郎とは? 石河正竜...

かごしまゆ③ スタバ変身の薩摩洋館

イメージ
神戸山手のスタバ も粋だったけど、 鹿児島にも洋館リノベのスタバ。 島津家の家紋 丸に十 の字 健在です。 もと県北西部のいちき串木野村、 芹ケ野金山の鉱山事務所 。 外壁は 下見板貼り 、 そして2階正面は 連続アーチで構成です。 ムクリ屋根 の張出し部 1904年の建設で、 こちらには1986年に移設、 登録有形文化財です。 片入母屋屋根の玄関 ここのスタバに屋外の テラス席がありません。 集成館 の建材にもみられた 溶結凝灰岩 で作られた ベンチがありました。 テラス席がないのは、 灰が降るから …、 鹿児島ならではの事情です。 1階は上げ下げ窓ごとに。 元あった串木野村の頃。 2Fに上がります。 手すりや壁などの紺色は、 「 薩摩絣 」に由来するとか。 有形文化財への出店は、 神戸北野異人館店、 青森の 弘前公園店 に続く 3店舗目なんだそうです。 実は 鹿児島の ストアマネージャーさんが、 ここを 空いているのを見つけ、 直接持ち主の仙巌園の運営会社 島津興業 に電話して… 出店に繋がったという話。 「 直接電話する 」、 やりたいことを思い立ったら、 すぐ行動というのは大事ですね。 こちらは 「 旧島津家吉野殖林所 」。 島津薩摩切子ギャラリーショップ 磯工芸館となっています。 もと 吉田村 にあった植林所、 島津家吉野殖林地 管理のため、 1904年(明治42)に建築。 本屋正面にベランダや ムクリ屋根の玄関ポーチ。 こちらも島津興業さんが持ち主、 設計は 隈元長栄 という人。 「旧芹ヶ野島津家金山鉱業事業所」  →磯珈琲館 竣工年:1904年(1923・1986年 移築) 構造 :木造2階建、瓦葺 設計 :不詳 所在地:鹿児島県鹿児島市吉野町9688-1 【国・登録有形文化財】 「旧島津家吉野殖林所」  →磯工芸館  竣工年:1909年 (1986年 移築) 構造 :木造平屋建、瓦葺 設計 :隈元長栄 所在地:鹿児島県鹿児島市吉野町9688-24 【国・登録有形文化財】