投稿

ラベル(明治村)が付いた投稿を表示しています

明治村ふたたび〜聖ヨハネ教会堂

イメージ
1907年(明治40年)京都の 河原町通り に建てられた プロテスタント 日本聖公会 の教会。 二階が会堂、 一階は日曜学校や幼稚園。 ロマネスク様式 が基調、 そこかしこに ゴシックデザイン 。 正面の妻そして両妻に 大きな 尖塔アーチ の窓。 室内の明るさがとても印象的。 一階がレンガ造 そして二階が木造。 屋根は 軽い金属板 が葺き、 地震の多い日本を知った構造。 設計はアメリカ人 ガーディナー 。 1880年に来日し 立教学校 の校長に、 建築家として 立教大学校校舎 、 明治学院ヘボン館 を遺しています。 「聖ヨハネ教会堂」 旧所在地 京都市下京区河原町通五條 建設年代 明治40年(1907) 【国・重要文化財】

明治村ふたたび〜西郷從道邸

イメージ
明治10年代(1877-1886)に 西郷隆盛 の弟 西郷從道 が 東京上目黒の自邸内に建てた 木造総二階建銅板葺の洋館。 海外に視察に出向き、 陸・海軍、農商務、 内務大臣を歴任、 維新政府の中枢に… でも隆盛が明治政府から 降りてしまった後も、 従道は政府に残ります。 西南戦争 後は 大久保利通 も 暗殺されてしまいましたし、 薩摩出身者としては、 責任を果たしつつ、 風当たりの強くない場所を 選んだ とのみかた、 最近はそんな評価が 広がりつつあります。 彼の生き様としては そんなふうに理解されつつ ある時代となりました。 在日中だったフランス人建築家 レスカスの設計と考えられています。 屋根に重い瓦を用いずに、 軽い銅板 を葺いたり… 壁の下の方に レンガ をおもり 代わりに埋め込んで、 建物の浮き上がりを 防いだりの工夫がみられます。 「西郷從道邸」 旧所在地 東京都目黒区上目黒 建設年代 明治10年(1877)代 【国・重要文化財】

明治村ふたたび〜金沢監獄・宮津裁判所

イメージ
いまの朝ドラ「 半分青い 」。 主人公 鈴愛 がホント青かった頃、 人生初のデートに臨んだのが、 ここ明治村でした。 おしゃべりを封印したものの、 無口な新聞部の コバやん … 思わず 律 に電話をかけ、 助けを求めるってのも、 幼なじみとのなせる行動。 オレンジ色の囚人服の蝋人形、 そして囚人の食事の再現、 「 こういうのが大好き 」と 大はしゃぎの鈴愛。 「半分青い」を 観てない人すみません^^; 「 こういうのが大好きなんです!   世界の拷問器具とか! 」 地が出てしまったところで、 コバやんが消えてしまいます。 扉の上には 換気用の小窓 、 衛生面に配慮したのでしょう。 ただ… 木の衝立の奥で用足し、 木桶 が置かれていました。 金沢監獄の中央看守所、 第五舎房の一部が ここに遺されました。 木造桟瓦葺で外壁に 洋風下見板 。 「 金沢監獄正門 」も明治村に。 宮津裁判所法廷 再現も蝋人形… 高い壇上に裁判官と検事、書記、 弁護士、被告人は下段に。 「金沢監獄中央看守所・監房」 旧所在地 石川県金沢市小立野 建設年代 明治40年(1907) 「宮津裁判所法廷」 旧所在地 京都府宮津市本町 建設年代 明治19年(1886)

明治村ふたたび〜帝国ホテル中央玄関

イメージ
完璧主義者だった フランク・ロイド・ライト 、 実は旧帝国ホテルの完成を 彼は見届けていません。 帝国ホテル総支配人 林愛作 は、 ライトの相当の予算オーバー、 工期の遅れ、設計変更の嵐… 対立の連続だったそうです。 完成は1923年(大正12)のこと、 その年は 関東大震災 の年、 多くの建物が倒壊や 炎上にありながらも、 ほぼ無傷だったという話… 美談という向きもありますが、 東京大空襲 での損傷を経て、 ほぼ元の姿を維持しました。 いわゆるフロント… 東京都千代田区内幸町に ありましたが、 老朽化、地盤沈下… それよりも超都心で、 この高さでは 収益に限界 が あったのでしょう。 1968年に解体となります。 レンガ型枠鉄筋コンクリート造、 モチーフは 平等院鳳凰堂 とか。 日本的な印象の強い、 大谷石 が使われています。 大谷石は軽くて加工がしやすい、 耐火性に優れているが、 加工しやすいということは、 風化もしやすいということ。 玄関周りの 玉雫のデザイン など、 西の帝国ホテルと言われた 甲子園ホテル にも 受け継がれています。 ホールの意匠は 日本の行燈 をイメージ。 テラコッタ、スクラッチレンガ、 そして彫刻が調和を作っています。 移築されたときに風化の 著しい大谷石に代えて、 プレキャストコンクリート など、 いわゆる新建材も使われています。 こちら1905年におこなわれた ポーツマス条約 の調印で 使われたテーブル。 日露講和条約のことで、 もとはニューヨーク州トロイの レンスレア工科大学 にあったもの。 「帝国ホテル中央玄関」 旧所在地 東京都千代田区内幸町 建設年代 大正12年(1923)