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京都の近代化遺産ゆ〜大丸ヴィラ

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京都御所西側のもうひとつの洋館。 いつも閉ざされてる 「 大丸ヴィラ 」。 大丸社主の下村正太郎邸として 建設されたハーフティンバーの チューダー・スタイル の洋館。 大丸百貨店店主の下村家が、 居宅として1930年(昭和5)に 建てたもの。 御所の真横にこんなもの建てるって、 かなり大胆だなと イギリス流行ったチューダー様式、 柱、梁、筋交いなど骨組を 外部に露出したデザインが特徴です。 様式名にちなんで「 中道軒 」 とか呼ばれていたらしいです。 木造骨組みの間を 石やレンガで埋めたのが、 ハーフティンバー様式 … 煙突にも細かい細工… 望遠で確認。 南側の空き地からのぞむと、 もう一つの煙突。 「大丸ヴィラ」 下村正太郎邸→中道軒 竣工年:1932年(昭和7) 設計 :ウィリアム・メレル・ヴォーリズ     (ヴォーリズ建築事務所) 構造 :鉄筋コンクリート造3階建 所在地 :京都市上京区烏丸通丸太町上ル西側 【京都市 登録有形文化財】

京都の近代化遺産ゆ〜聖アグネス教会

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京都御所の西に立つ赤レンガ、 「 聖アグネス教会 」。 煉瓦造のゴシック様式、 そして三廊式 バジリカ型? バシリカとは ローマの集会堂 のこと。 「横長の長方形あるが、  縦棟が付き、  全体に十字形(ラテン十字形)を  構成することが多い。  祭壇方向(右)への  集中性が顕著で、  特にカトリックの  ミサ儀式に適している」とか。 こんな感じってことです。 現在は、京都教区の中心となる 主教座聖堂 、 聖アグネス教会という 地域教会 、 そして 平安女学院の礼拝堂 、 3つの役割を担っています。 信徒は学校関係者に限ることなく、 信仰活動の拠点となっています。 東北角にある三層の鐘楼が特徴。 設計は 立教学院 初代校長も務めた アメリカ人建築家 ジェームズ・ マクドナルド・ ガーディナー 。 1931年の大規模な改修で、 塔屋上の装飾や説教壇の撤去など、 時代を経ての改変はあるものの、 バラ窓 やの ステンドグラス 窓 などの装飾は健在です。 「日本聖公会    聖アグネス教会礼拝堂」 聖三一大聖堂→ 竣工年:1898年(明治31) 設計 :J.M.ガーディナー 構造 :煉瓦造り平屋 所在地:京都市上京区下立売通烏丸西入ル 【京都市指定文化財】

いざ江之子島政府へ③ 島であったころ

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中之島の西端と接するところは、 堂島川と土佐堀川が再び合流、 大雨が降るたびに 洪水がおきたそうです。 大阪府西大阪治水事務所が運営の 「 津波・高潮ステーション 」には、 大阪市浪速区の大正橋のたもと、 「 大地震両川口津浪記 」の レプリカが置かれています。 安政南海地震 の翌年1855年に 建てられたもので、 148年前の宝永南海地震の 教訓を活かせずに多くの犠牲を 出した悔しさとともに、 教訓を活かすよう願ったものです。 高波を模した高潮被害トンネル… 高潮災害に見舞われた場所でも あったのです。 高潮防災施設 安治川水門 の 模型もありました。 閉鎖には主水門だけで およそ30分かかるそうで、 すべての作業には約1時間。 ステーション敷地には、 「 六軒屋閘門 」の碑石。 此花区伝法の「 鼠島 」という 場所にあったもの。 「鼠島」の由来には諸説あり、 コレラの 避病院 があったとか、 カタチがネズミ に似ている、 とも 言われています。 かつては多くの橋が、 島に 架けられていました。 「 ざこばばし 」とあります。 [浪花百景 雑喉場 芳瀧(よしたき)画] 天満の青物、堂島の米と並んで、 魚を商う市があったのが雑喉場。 安土町・備後町辺りにあったのを、 夏場には魚が腐ることで、 ここに移ってきたそうです。 照明灯がついた雑喉場橋、 実は塩昆布で有名な老舗 「 神宗 (かんそう) 」さんの本店にも、 そのレプリカが置かれています。 「材料を選ぶ目や食材を活かす技を  磨いた雑喉場での時間を  忘れることのないように」 との想いの表れ。 こちらは「 江之子島橋 」の橋柱。 [浪花百景之内 木津川口甚兵衛の小家」   長谷川小信 画] こんな漁村風景も時代とともに、 役割を変えていったのです。 [大坂名所 木津川及大坂府庁 1891年] ※このブログは 月刊中之島 Vol.47 (2012年6月) 『大阪の「ウェストゲート」を旅する。』  を参考にしています。

いざ江之子島政府へ② 青い官舎

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enoco の前に残る 江之子島政府 の名残。 一時期でしたが大阪市役所は、 江之子島にあった府庁舎を 間借りしていたそうです。 「特例によって大阪府知事が  市長を兼任していたが、  特例の廃止に伴い市庁舎を  どこに建築するかが  問題になっていた。  堂島や津村別院(北御堂)など  あちこち候補は挙がったものの、  適切な場所が定まるまで  府庁舎の一部を借用することに  落ち着いた。」※のだそうです。  今川 浩満 さんの描かれた 『 画集 浪速の洋館 』では 黄色 。 今は 青い がこの建物は、 内務省の大阪官舎 だったそうです。 大正初期の建築とみられていて、 庁舎に正面を向けていて、 背後を木津川に面しています。 焼け残ったのは1棟のみとか… 「 文化財オンライン 」で調べると、 エメラルドグリーン …。 持ち主の趣味で塗り替えられて いるのかも知れません。 下見板張。 玄関北を洋室とするほかは 和室になっているそうです。 大阪市が自前の議場を持ったのが、 1912年(明治45)のことで、 官舎はそれ以後に建てられたもの。 最終的に市役所が 中之島への移転を果たしたのは 1921年(大正10)でしたから、 ここも使われていたかも知れません。 「木村家住宅主屋」 建築年:1912-1925年ごろ 設計 :不詳 構造 :木造2階建、瓦葺 【国 登録有形文化財】 ※このブログは 月刊中之島 Vol.47 (2012年6月) 『大阪の「ウェストゲート」を旅する。』  を参考にしています。