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倉敷で遊びょーる⑧ 倉敷教会

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倉敷の近代化遺産… いろいろ見たいと思ってたけど、 雨の合間でなんとかいけたのが 駅までの道から少し入ったところ、 シンボリックな「 倉敷教会 」。 礼拝堂は仮会堂が 大原美術館 の 斜め向かいにあったそうです。 創立の地の碑石がありました。 「日本組合キリスト教会・倉敷教会」 が設立され、最初は25名の教会員数 だったと伝わります。 その後、会員が増加でこの地に 新築移転をすることになったそうです。 当初は ヴォーリズ 設計事務所の 設計だったそうですが、 西村伊作 において再設計され、 1923年(大正12)の献堂に至ります。 西村伊作 については、 西村記念館を守り伝える会 の HPにこうありました。 「名前は聖書にある アブラハムの子イサク (Isaac)に ちなんで名付けられた。 成人してからの彼は一般にいう キリスト教徒とはいい難かったが、 そこから大きな影響を受けている。」と。 建築作品は多くはないそうですが、 倉敷市郊外と故郷の 和歌山県新宮市、 兵庫と東京に住宅建築。 那智勝浦の 日本基督教団紀南教会 、 東京の 文化学院本館 (現存せず)が 彼の設計です。 教会堂は切妻造りスレート葺で、 東南隅に塔屋が付けられています。 一階には教会付属の 竹中幼稚園舎 。 3階建てのファサードは 通りに向けられていて、 後ろ手に2階建ての礼拝堂。 石積みは地元 北木島の花崗岩 、 天然のままの色合いが、 建物に安定さを醸しだす。 城郭のようにも思えるフシギ、 風合いがこの地に馴染んでいます。 左右非対称 の建物配置、 石積みのスロープが二階の 礼拝堂へと導かれます。 アプローチにも信仰の意味を、 持たせているのではないかと、 そんな想像を思い巡らせました。 ぜひ次回は青空にて、 聖日の礼拝 に参加してみたいと… 「 日本基督教団 倉敷教会 」 建築年:1923年(大正12) 設計 :西村伊作 構造 :木造、一部木骨コンクリート造り、     2/3階建て、塔屋付 所在地:倉敷市鶴形1-5-15 【国 登録有形文化財】 ※このブログは 日本基督教団 倉敷教会 の  HPを参考にしています。

倉敷で遊びょーる⑦ ソラ色のクラボウ洋館

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赤レンガ と アイビー でおおわれた アイビースクエアに異彩を放つ洋館。 下見板 の木造建築 上げ下げ窓の窓枠は 爽やかな ソラ色 。 倉敷紡績工場の事務所だった建物。 現在はオルゴールミュージアムに。 アンティークオルゴールを一堂に 集めコンサートを楽しむ博物館。 写真におさめたころは…まだ開館前。 じゃーじゃー降りで、 楽しむことができませんでした(TOT) ずいぶん手入れが行き届いていて、 当時の姿に近いかたちで 残されています。 「倉敷紡績 倉敷工場事務所」 →オルゴールミュゼ・メタセコイア 建築年:1889年(明治22) 設計 :石河正龍、島田覚人   構造 :木造2階建 所在地:倉敷市本町7-2

倉敷で遊びょーる⑥ 倉敷館

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倉敷美観地区には 朝早くに着いたので、 雨が降っている前にパチリと… もともとは「 倉敷町役場 」。 いまは「 倉敷館 」として、 美観地区の 観光案内所 になってます。 無料休憩所として内部公開中。 隅部 角塔のドーム 白壁の町並みの中にあって、 異彩を放っていました。 木造2階建の 下見板貼り 。 江戸時代の庄屋 植田氏の 屋敷地だったそうで、 村会所 だったことに発します。 明治以降はそのまま村役場、 現在の木造洋風建築は 1917年(大正5)竣工です。 町役場として建てられましたが、 小さな建物は程なく手狭となって、 1928年(昭和3)に新庁舎へ移転。 竣工後わずかでその使命を 終えてしまった後は、 様々な公共施設とされますが、 最終的には 空家として放置されたとか… ここまでの存亡の危機を くぐり抜けた建物です。 1973年にに保存修復工事、 1988年には 解体修理が施されました。 ペディメント屋根。 裏口の設えもリッパです。 設計は不詳とされていますが、 おそらく岡山県内で公共建物を 手掛けた 江川三郎八 ※ ではないかと… 窓上部は、1 階が ペディメント 、 2 階は 櫛形ペディメント とし、 1・2 階の窓間には スティックワーク が 施されています。 意匠表現に 似通った部分も多いから、 おそらく彼の設計かと。 「倉敷館」 倉敷町役場→ 竣工年:1917年(大正5) 設計 :江川三郎八 構造: 木造2階建,瓦葺一部銅板葺 所在地: 岡山県倉敷市中央1-302 【国 登録有形文化財】 ※ 江川三郎八 (1860-1939) 日本の建築技師。岡山県庁在勤当時、 国重要文化財の旧遷喬尋常小学校校舎や 閑谷学校資料館などを手がけた。 “江川式建築”とされる木造大型施設は高く評価され、 国重要文化財として保管されている施設も多い。 ※このブログは以下の論文を参考にしています。 「江川三郎八と岡山県の江川建築」 小西伸彦 吉備国際大学研究紀要 第24号,2014年 

倉敷で遊びょーる⑤ 第一合同銀行 倉敷支店

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正面に6本、側面に3本の付柱と ドーム型のステンドグラスのある ルネサンス様式 の銀行建築。 中国銀行 の前身である第一合同銀行、 その倉敷支店として 1922年(大正11)に建てられたもの。 第一合同銀行 の初代頭取は、 もうおなじみの 大原孫三郎 さん。 1919年に倉敷銀行・天満屋銀行・ 倉敷商業銀行・鴨方倉庫銀行・ 茶屋町銀行・日笠銀行の6行合併。 この時期は第一次世界大戦後の 反動恐慌が起きた頃で、 各地の中小銀行の合併が 繰り返された時期にあたります。 倉敷銀行 の本店があった場所、 10ヶ月の工期で完成します。 大原孫三郎が度々訪れて 現場監督に直接の指示を与え、 異例の短期間で完成したそうです。 主要な部分はRC造ですが、 一部2階の東側部分は 木造で壁はレンガと石だとか… 設計は 薬師寺主計 、この頃は 大原家の建築顧問でした。 外壁は洗い出し仕上げ 半円窓にはステンドグラス、 木内真太郎 ※ の手によるもの。 煙突もみられました。 いくつかある ドーマー窓 は、 デザイン優先のようで、 開閉できないようです。 「銀行営業は終了」との 張り紙がありました。 取り壊されることはない とは思いますが… 有効活用されるよう願っています。 「 第一合同銀行 倉敷支店 」 →中国銀行倉敷本町支店→同出張所 建築年:1922年(大正11) 設計 :薬師寺主計 構造 :鉄筋コンクリート造2階建、銅板葺 所在地: 岡山県倉敷市本町1010 ※木内真太郎 (1880~1968) 建築現場の監督を経て、明治39(1906)年、 日本初の本格的なステンドグラス製造を始めた 宇野澤辰雄率いる「宇野澤ステインド硝子工場」の 立ち上げに参画。 大正10(1921)年に「大阪 玲光社」を設立し、 都ホテル(京都市)、大阪市中央公会堂、 萬翠荘(松山市)、岐阜県庁、 旧本多忠次郎(岡崎市)などをはじめ、 全国各地のステンドグラスの制作に携わった。