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地鉄を征く〜あすなろう鉄道⑤ 日永の追分

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うちなーネタ が 続いていたのですが、 四日市の日永の追分 … 蔵出しです😁 道が二つに分かれるところを 「 追分 」と呼びました。 江戸と京を結ぶ東海道と 伊勢に向かう伊勢街道の 分岐点が 日永の追分 です。 左 いせ街道 … 右 京大坂道 すく 江戸道 桑名七里の渡しの 一の鳥居 に対し、 日永の追分は 二の鳥居 と 呼ばれました。 あすなろう鉄道 泊駅から ほどなく往くと… 旧東海道に通じます。 「 近鉄泊駅 」とあるのは、 あすなろう鉄道はその昔、 近鉄の路線だったその名残。 ちょうど旧東海道に 面した旧家を利用して、 東海道日永郷土資料館 。 水土日祝に 開けておられます。 かまわん の看板 日永は 四日市宿 と 石薬師宿 の間に立つことから 間の宿 とよばれ、 周辺には旅籠や茶店などが 並んでいました。 「丸清版・隷書東海道五十三次」  四日市・日永村追分 参宮道  三重県立美術館蔵 この辺りには 醤油や味噌 などの、 蔵が多くありました。 旧東海道沿いの蔵の敷地には、 醤油樽。 遥拝鳥居 として、 伊勢商人 渡辺六兵衛 が 東海道を往来する人のために 安永三年(1774)が最初。 その後たびたび建替えが行われ… 先代のものは1973年の 伊勢神宮式年遷宮の際に 伊雑宮(いざわのみや) の 鳥居を1975年に 移建されたものでして、 今のは九代目 にあたります。 かつては伊勢街道を 跨いでいたのですが… 公園整備されました。 道路の基準標 常夜燈 のひとつは奉献時から 存在したとものとか… 東海道日永郷土資料館で 分けていただいた 郷土の最中、 「 采女の杖衝 」。 清めの手水所があり、 この日も水を求めて、 大きなポリタンク持参の 人で賑わっていました。 ここのお水は水道局が 定期的に検査合格の清水。 資料館では 手水所のお水で淹れた 地元のお茶を頂きました。

地鉄を征く〜あすなろう鉄道③ 四郷村役場へ

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四日市市でずっと 見たかったのがコレ! かつての 四郷村役場 。 あすなろう鉄道乗り鉄 の 一番の目的がココに 訪れることだったのです。 1982年に四日市市の 有形文化財に指定されていて、 今は 四郷郷土資料館 に… 建設されたのは1921年、 大正時代の建造物ですが、 明治期の建築様式 を伝える 洋館風の佇まい。 南東にそびえ立つ 塔屋 … 存在感が際立っています。 後に東洋紡績の 三重紡績 を創業、 私立 四日市商業学校 の設立にも 貢献した 伊藤傳七 が投じた 寄付金により建設されたもの。 玄関寄せの作りもなかなかです。 素朴ながらも格天井。 裏手に回ると… アーチ型の大きな窓の 存在がわかります。 裏手の入口にも瓦屋根。 実は毎週土曜日は 開館されているのですが… 訪れたのは日曜日。 南東塔屋には 狭いらせん階段 が 3階まで通っているとか… 1階では酒の醸造や製糸、 そして… 大正天皇の皇太子時代の 行啓時の 貴賓室 復元など 展示があるそうです(T_T) こちら… 日野瓦屋清左衛門 の 銘が残る 法蔵寺 の鬼瓦。 東本願寺の真宗大谷派のお寺。 再建の本堂は1859年(安政6)、 白壁の土塀が囲こむ、 静かな一角に立つお寺。 佐佐木弘綱 の歌碑 「うこきなくよにさかゆへき  このやどの しるしにたつる  かたしはそこれ」 佐佐木弘綱 は、 三重県鈴鹿市が生んだ歌人 鈴鹿市石薬師町には、 佐佐木信綱記念館 があるとか… 四日市あすなろう鉄道 のHP 「 沿線の魅力発見 ちいさな電車旅 」 2016ミス・ユニバース 三重代表の 矢田百恵 さんのレポあり、 内部の展示が分かります。 「四郷郷土資料館」 旧四郷村役場→ 所在地:三重県四日市市西日野町 建設年:1921年(大正10) 設計 :野田新作 構造 :木造2階建、塔屋3階建 【四日市市有形文化財】

地鉄を征く〜あすなろう鉄道② 八王子線へ

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四日市あすなろう鉄道 には、 あすなろう四日市〜内部(うつべ) 8駅の5.7㎞の 内部線 と、 日永〜西日野までの2駅、 1.3㎞の 八王子線 があります。 日永駅 はこんな分岐… 内部線の支線のよう に 思ってしまいますが… 開業は八王子線が先でして、 戦後に内部線が八王子線に 先立って電化されるまでは、 むしろ逆の立場にありました。 日永駅での3両目は ドアとの隙間が三角に。 日永駅から たったの1駅 。 終点の 西日野駅 へ… 終点の西日野駅に到着なり。 八王子線には 八王子という駅がない(T_T) 実はかつては線路は続いていて、 伊勢八王子駅  まで、 運行されていたのです。 駅前整備のあたりに勾配が、 かつての名残です。 天白川 という川沿いを 運行されていたのです。 こちら地元の 日野地蔵尊 の祠。 宝亀10年(779)勅命を受け、 陸奥の反乱 を治めた兵士が、 帰途にて病にかかったとか。 里人の看病の甲斐なく 亡くなったそうです。 お盆を命日としての供養は、 今も続いているそうです。 かつての 八王子線西日野駅 を 過ぎたあたりは、 川堰 があったこともあり、 川面が迫っていたとか… 終点の 伊勢八王子駅 … 電化前は運転台が一つで、 小さなターンテーブルが あったとか… 終点の車止め 駅の時刻表… ほぼ30分に1本だが、 7時〜8時台は本数が多い。 というのも、 1駅八王子線が残されたのは、 県立四日市南高校 があるから。 駅前には 大きな駐輪場 もあり、 四日市駅前には欠かせない足。 輸送量が減少していた 八王子線全線廃線は、 近鉄から強く 打ち出されていたとか… その後地元の強い要望で 「 公有民営方式 」で存続。 通勤・通学時間帯だと、 車体が小さいこともあり、 通路もほぼ完全に 埋まるそうです。 応援の支え合っての あすなろう鉄道なのです。