TAROさんの梵鐘をたずねて~天長山 久国寺(名古屋市北区)
ずっと前から観に行きたかった TAROさんの梵鐘 … 名古屋市北区にある曹洞宗のお寺、 久国寺 (きゅうこくじ)へ。 天長山 久国寺といい、 徳川家康 にゆかりのあるお寺から、 守護仏 聖観世音菩薩 を貰い受けて 1662年に創建されました。 禅宗の一つ 曹洞宗の寺 らしく " 山門禁葷酒 "の石碑が立ちます。 名古屋城の鬼門除けの地 、 東海地方にはあまり子年にちなんだ お寺や神社がない のです。 NHKの大河ドラマ 「どうする家康」 で、 卯年生まれ だとする近年浮上してきた 説にリンクして描かれていたのを、 ちょっと思い出し、その影響かと… 思ってしまいました。 境内に立つ 太平洋戦争の戦没慰霊 の、 護国観音像 は聖観音菩薩でもあり、 子年の守り本尊 です。 コンクリート彫像作家 浅野祥雲さ ん作、 犬山市の 桃太郎神社 の桃太郎の像、 岐阜県 関ヶ原ウォーランド の像などを 手がけていることでも知られています。 家康は寅年か卯年か? 徳川家康こと松平竹千代が 岡崎城で産まれたのは、 1542年(天文11)12月26日が定説です。 寅年 寅の日 寅の刻、 守本尊は毘沙門天 だとする。 翌1543年=卯年… 「誕生した年について家康自身が 否定した史料が残っている。 家康が慶長8年(1603)、 征夷大将軍に任官するにあたり、 陰陽道の儀式で神に無病息災・ 延命長寿を祈禱する天曹地符祭を 土御門家に命じて行った際、 捧げる願文である都状に 「六十一歳」と書かれており、 自筆で「家康」と 署名していること である。 天文11年誕生が正しければ、 この年に家康は数え62歳で ある。 天に捧げる願文に間違いは書けず、 仮に家康自身の意思によって誕生年を 天文11年と詐称していたとしても、 さすがに天に嘘をつくことは 出来なかったであろう。 天には自分の生年を 天文12年と認めているのである。 今となっては正確な誕生日は 判らないものの、 少なくとも家康の生年は、 家康自身が認めた 天文12年と考えるのが妥当である。 生まれついての帝王であることを 強く印象づけるためには、 卯年生まれではなく、 寅年最後の寅日生まれに 置き換える操作が 必要だった と思われる。」 かなり脱線が長くな