「若沖と江戸絵画」をたずねて4>閻魔と地獄太夫
◎ ◎ ◎ ◎ 「若沖と江戸絵画」をたずねて 4 ◎ ◎ ◎ 閻魔と地獄太夫図 / 伝 河鍋 暁斎 ( かわなべ きょうさい ) 河鍋 暁斎 (1831-1889) は、 江戸時代の日本画の 素晴らしい技法を、 明治まで引き継ごうとした 狩野派の画家の一人でした。 河鍋 暁斎 は駿河台狩野系で、 木挽町狩野系では 狩野 芳崖 かのう ほうがい でした。 二人は対照的な性格と画風だと 言われていますが、 その エネルギッシュな活動 は、 さすが狩野派 というところを見せています。 地獄絵 が描かれた着物に身をまとった 遊女 の姿が、 閻魔大王 の 裁きにブレを生じさせているよう でもあります。 日蓮宗 のお上人から先日聞いた話ですが、 死者は7×7= 四十九日 までの毎7日、 百箇日 ひゃっかにち 、 一周忌 、 三回忌 に順次 十王庁 じゅうおうちょう といわれる 場所において罪の裁きを受けるらしいです。 死出の山の山登り から始まり、 そして 閻魔大王 の目の前に連れ出されるのだと。。 地獄太夫は、 果たして地獄か天国か?? お上人は法要の際に、 日蓮は 法華経 の第一の行者なので、 後から来るものは通せ!!と。。 「南無阿弥陀仏」と唱えるこことは、 閻魔大王 への 嘆願書? 援護射撃? でもあるようです。 暁斎 は 正統的なものをより正統的にという方向に、、 一方でこの絵のように 狩野派 の枠を超え、 庶民信仰や庶民美術への指向も強かったようです。 浮世絵、戯画 ぎが 、額絵、行灯 あんどん 絵など、 なんでもこなした彼は、はじめは 「狂斎」 と称していました。 しかし、明治3年の時に画風をとがめられて拘留され、 以後、画号を 暁斎 とされたといいます。 埼玉県 蕨市 に 暁斎 の作品を集める 河鍋暁斎記念美術館 があるそうです。 〒 335-0003 埼玉県 蕨市 南町4−36−4 Tel : 048ー441ー9780 開館時間:10:00ー16:00 休館日 :毎週木曜日、毎月の26日から月末まで、 年末年始(12月29日ー1月3日) 入館料 : 大人300円 学生200円 小学生100円