松坂屋の理想郷〜揚輝荘⑥ 近代別荘建築の特徴とは?
明治期以降の近代的な別荘は、 賓客接待を目的とし、 都市近郊に構える形式 。 高原や海浜に構える形式 、 大農場経営を目的に 農場の一画に構える形式 。 揚輝荘は伊藤家本家 茶屋町から約5キロ、 1911年には電車 覚王山線も 開通していていましたから、 都市近郊における 「 賓客接待型の別荘 」でした。 名栗 の階段を上がり2階へ。 1階と同様にホールを取り囲んで 部屋が配置されています。 階段沿いには造り付けの 物入れが設えています。 車寄せ の上の部分は図書室に、 三面に窓を設けてよい眺望。 旧応接室 「 支那の間 」と呼ばれた 中国様式の寝室B 地下室と同様に、 工事途中で中国様式に 変更されたのはここです。 天井に 鳳凰 の彫刻 奥まったところに和のテイスト 畳敷きの和室がありました。 化粧室? 豪商伊藤家の当主である祐民が、 各界の名士との交流の場 として 造営したのが揚輝荘でした。 ただ祐民にはもう一つの顔が、 社会事業と国際交流活動です。 いまはなき東園に タイやビルマ・中国 などの 留学生のための施設として、 愛知舎、衆善寮 などを建設。 1940年に祐民が没した後も その精神が受け継がれ、 時局が戦争へと傾倒するなか、 戦時体制とは思えない 近隣アジア留学生と日本人学生の 自由な交流の場でした。 単なる金持ち別邸ではない… そこに揚輝荘の オリジナリティがあるのです 。 このブログは 「揚輝荘と祐民ー よみがえる松坂屋創業者の理想郷 」 を参考にしました。