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猿田彦のミチを開くvol.6 猿沢の池

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「 ならまち 」に向かう道すがら ここにも 猿田彦神社 があります。 創建は平安時代の9世紀初め、 平城天皇の時代に遡るとされ、 もとは「 元興寺 」の 境内社であるとされています。 宝徳2年(1450)の 元興寺の大火 を期に、 再々の火難に遭い、 この地の小祠が再建。 南側には同じような姿の 「 住吉神社 」がありますが、 猿田彦社は門は開かれており、 誰でもお参りができます。 「 道祖神社 」とも呼ばれ、 道祖神や開運の神、 勝負事にご利益のある 「賽の神」としていまなお 信仰を集めています。 注連縄を張った巨石が 賽の神さまでして、 道祖神信仰の“ 陽石 ”は、 サルタヒコの高い鼻 に 通じるものです。 由緒書きには 「当社は、往古より道祖神・  塞の神として名高く、   道開きの神 ということから  商売繁昌・開運招福の神  として崇拝され、  また良縁・安産の神として  婦人の信仰が厚い」と… 江戸時代中期に明和年間に、 「 村のよめ道祖神に 願をかけ 」 と詠まれた社。 合祀の「 イチキシマヒメ 」は、 宗像三神の一座 です。 市杵島姫命 は、 第二代倭国王である 大己貴命が宇佐にから宗像に 連れ出した姫。 猿田彦命は、市杵島姫と 結婚 したとされています。 天細女命 は??? 猿沢池の西北畔にある 采女神社 (うねめじんじゃ)。 こんな感じで閉ざされている ことが多いのですが、 お昼過ぎに蔀戸が上げられて お守りや御神籤などが 授与されていました。 奈良時代、 天皇の寵愛が衰えたことを 嘆いた天御門の 采女 が 猿沢池に入水、 その慰めに建立されたとか。 由緒書によれば、 「自分が身を投げた  池を見るのは忍びないと、  一夜の内に  社殿の向きを変えた」 と… ただ… 釆女社 が 史料で確認できるのは、 15世紀からのことで、 江戸時代初期に一時、 社殿を東向きに建替えとも… 江戸中期に著された 『 奈良坊目拙解 』には、 もとは興福寺別院の北東隅、 在家に渡ったことで、 東から出入りするようになり 鳥居が...