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出雲くにびきの道

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2012年は日本最初の歴史書と伝わる 『 古事記 』編纂より ちょうど千三百年だったとか。 出雲市駅から北に延びる大通り 「 くにびき中央通り 」を、 北上して行って 出雲神話を 辿ります。 実は古事記神話は、 その3分の1が出雲神話なのです。 まさに町おこしということで、 出雲神話のブロンズ像が立てられています。 「 スサノオのオロチ退治 」 ヤマタノオロチ 退治で有名だけど、 なぜオロチを退治することになったのか?? 高天原で荒ぶる神となった スサノオ 、 出雲へ追放されて至ったのが奥出雲。 そこは毎年ヤマタノオロチが降りてきて 娘をさらっていく土地で今年は八人の娘の最後、 クシナダヒメ がさらわれる順番だったとか。 スサノオは強い酒の樽を並べて オロチを待てと命じつつ、 ヒメを変身させた櫛を髪に差して オロチを待ったとか... オロチが酒に酔っているところを スサノオは剣を抜き放ち退治します。 この剣をは アマテラス に献上され、 その 三種の神器 のひとつになったという。 その後スサノオはクシナダヒメと 夫婦になったそうです。 「 オオクニヌシ(オオナムチ)と白兎 」 オオクニヌシとは 大黒様 のこと、 因幡の白兎とであったときは、 「オオナムチ」と言っていたそうです。 兎は沖ノ島から本土に渡りたく、 ワニザメをだまし… 最後の最後に、 「馬鹿なやつだ、   だまされたとも知らずに」 と口走ったことで、 サメに噛み付かれて 大怪我をするという話。 白兎は『古事記』には「 素兎 」とあるとか、 素人のシロという意味なのだそうです。 野では白は目立って天敵にねらわれます、 白兎は飼われても自然生存できない のです。 蒲の穂の花粉は「蒲黄」で漢方薬なのです。 日本で最初の医療行為だったのかも?? 「 オオクニヌシ(オオナムチ)と鼠 」 ヤカミヒメ への求婚旅行だった出雲の神々は、 末弟のオオナムチにヤカミヒメをとられ、 怒り心頭に達します。 実はオオナムチをいろいろな手段で殺されます。 しかし、そのたびに母の力で生き返ったとか。 そして、ス...

出雲で銅剣 ザックザク〜荒神谷遺跡

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6月に山陰に出張した帰り... 憧れの地がインターチェンジ近くに あるのを知り寄って来ました。 358本の銅剣がまとまって見つかった 世紀の大発見は1984年のこと... ボクが「 文化史 」って専攻に進むことの きっかけになったのがこの「 荒神谷遺跡 」。 史跡公園全体の広さは 27.5ha で、 「 荒神谷遺跡 」として指定されているだけでも 1.3haもある歴史ロマンを感じさせる場所。 谷あいには ハスの花 がまっさかりでした! ここのハスは「 二千年ハス 」 1951年に千葉県検見川から丸木舟と いっしょに出土した種子から花をつけたもの。 種子を発見したのは 岡山県出身の 大賀一郎 博士 、 1988年に 島根県大田市 に贈られたのを、 この地に譲り受けられたのだそうです。 朝方のハスはなんともヨスです。 実はこの地に花を開いたのは、 大賀博士が81歳に なくなられた日だったそうで、 なんか運命的なものを感じさせます。 蓮池を奥入ると... そこが「 日本最多の青銅器出土地 」。 それまでの銅剣出土総数は日本全体で、 300本余りだったのですが… それをはるかに越えて、 しかも一箇所で 358本が 4列に並んで同じ形 のものが、 ドドドんと出てきちゃったのです。 復元当時が再現されていました!! そしてすぐ近くに埋められていたのが、 銅鐸6個と銅矛16本の組合わせ 。 銅鐸は国内でも最古と言われるカタチのもの、 銅矛には北部九州の文様をみせるなど... わずか7メートルしか離れていないのに... ムチャクチャ権力持った首長 が、 この出雲にいたことは間違いなし。 ということなのでありまして...  ちなみに今はその銅剣と銅鐸は、 「 島根県立古代出雲歴史博物館 」に… 出雲大社の道すがら見てきましたよ! こちらは荒神谷の赤米の田んぼ... 赤米や黒米は、古代より五穀豊穣の祀りで 重宝されていたものです。 春には田植えを、秋には稲刈り。 地元の子どもたちがやってるそうです。 ちなみに 赤米はちゃん...

神集いし社へ〜出雲大社

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縁結びの神・福の神「 出雲大社 」 大国様のおわすところに参ってまいりました。 日が沈む時間帯の訪問でしたが、 まだまだ空には明るさが残っていましたよ。 「 因幡の白うさぎ 」の像がここにもあり。 ここにもピョンピョンと。 松ぼっくりと仲良しです(・ω・)v 毛利元就の孫の孫にあたる  毛利綱広  寄進の 銅の鳥居をくぐると戦後最大である 木造神社建築の 拝殿が見えてきます。 二拝、四拍子、一拝にて拝礼は出雲式。 拝殿の後ろにある「 八足門 (やつあしもん) 」。 こちらの装飾彫刻はスンバラシイです(・ω・)v 本殿に祀られる御神体は西向き... 「稲佐の浜」 の方角を向いておられるので、 実は本殿の正面から参拝すると、 神様の横顔を拝んでいること になります。 威容を誇る神殿が厳かに。 そして凛とした空気が漂っていました。 千木から雲が沸き立っているようにも 思えたのは壮大な神代の世界の源流だからかも... 神在月 にはここに八百万の神様たちが集われる。 大国主大神が 幸魂奇魂 を授かり、 縁結びの神様になったお姿!! 大国主大神は素戔嗚尊の子孫、 多くの兄弟の末っ子として 出雲に生まれたそうです。 この神様は多くの女神と結婚し、 多くの子どもをもうけたとか... まさに 大モテの神さま だったのですね。 縁結びの神様。 大国主大神は出雲王朝を繁栄させたという 偉業を成した王でもあります。 そして人懐こいお姿の 大国様 という一面も... 大きな袋を肩にかけ、ずきんをかぶって、 右手に打出の小槌を持って米俵の上に立つ姿も また愛される証なのかもしれませぬ。 そして... 参道の名店「 えにし 」さんに滑り込み... スタンダードな 割子そば 。 遅い昼食だったので5枚積みです。 そして... 魚のすり身で作った 「 野焼き 」も頂きました!!