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神戸の異国教会めぐり【番外】 華僑ゆかりの地

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「 華僑 (かきょう) 」 本国以外で暮らす中国人の総称で、 出身地は中国の福建省、広東省、 台湾、香港などさまざま。 「 神戸中華同文学校 」の講堂棟。 大きなおへそのようにも見えますが、 中国古来の 易学の八卦 がモチーフ。 屋上の 2本の角は龍 を表しているとか。 講堂部分を龍の頭にみたてているそうで、 校舎全体が天に向かっての昇り龍、 学習向上の願いが表現されています。 「華文教育を通して  中国人としての自覚を身に付け、  徳、知、体の健全な発展をはかり、  将来中日友好事業に  積極的に貢献出来る人材の育成」を 教育目標に掲げておられます。 西南角にあった 「 孫中山先生来訪之地 」 1893年3月1日に 神戸・大阪の華僑社会の 社団として設立された 「 神阪中華会館 」があったところ。 1913年3月13日に 孫中山 が ここを訪問したそうです。 1915年には舞子の 「 移情閣 」建設に繋がりました。 東側には 「学校法人 神戸中華同文学校」。 横浜の中華学校では教育方針を巡って、 大陸系と台湾系で分裂したそうです。 でも神戸は割れなかったとか… 「華僑は政治的なことで  分裂してはならない」 との 李校長の方針に多くの賛同が得られて、 今に至っておられるそうです。 1945年6月5日の神戸大空襲で、 校舎は焼失したため、 一時、神戸市立大開小学校の校舎を 市から借りて授業を再開されました。 しばらくして、 在神華僑の募金によって 1959年に新校舎が落成、 部分的な改修を繰り返されて、 半世紀近く校舎が使われています。 元タカラジェンヌの 鳳蘭 さん、 FM COCOLOのDJ MEME さんの 母校でもあります。

神戸の異国教会めぐり④ 関帝廟

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南京寺 として地域に愛される 「 関帝廟 」。 外壁の窓枠もなかなかオモシロイ。 『三国志』で有名な 関羽 を祭神とする寺院。 龍門とある中門。 タイワンヒノキ (ベイラ)の一刀彫、 黄河龍門の鯉が龍になる 故事になぞらえて 台湾で作られた 「 登龍門 」でもあります。 見上げると格天井が鮮やか。 唐獅子は 神阪中華会館 にあったもの、 台座には 「光緒丁酉年桂秋吉立』とあり、 1897年(明治30)に 神戸区中山手6丁目にあった、 中華会館のものとわかります。 こちらは礼堂とも講堂ともいう場所、 葬祭に使われているそうです。 本堂は 禅宗の様式 なのだそうですが、 やはり中国色が色濃ゆい感じです。 本堂内部は撮影NG. 関帝は関平、周倉を従え、 聖観音像、天后聖母が 祭祀されていました。 欄間は中国の故事から。 いろんな鳥たちが 柱に集まっておりました。 本堂の屋根には白色の双龍。 お線香はこの大香炉に。 こちらも1945年の戦災で焼けた 中華会館から移されたもの。 もとは 鼎 (かなえ) と呼ばれる宝器。 「国泰民安」とあり… こちらは「 風調雨順 」。 「風調雨順」とは、 物事がすべてうまく 運ぶようにとの願い事。 元の意味は天気が良くて、 作物豊作のことからきた 故事にもとります。 関帝廟のパンフの巻頭の、 陳 舜臣 (ちん しゅんしん) さん のエッセイより… 「関帝廟に祀られている 三国志の英雄関羽は 蜀の皇帝劉備に仕えた人物で、 この世においては 「関帝」でもなんでもなかった。 それなのに中国の人たちは、 彼を記念する廟を立て、 彼を「関帝」とあがめた。」 「…関羽には「誠実」という、 まことに人間的な面があった。 ついには敵となった曹操にも、 恩義をうけたことがあり、 立ち去るときに、 義理堅く恩返しをしている。 この信義に厚いことが、 関帝様が商売人に崇拝される 一因だという人がいるのだ。 契約すれば、 どんなことがあっても それを守る。」 と… 関羽の故郷は 塩の産地 だったそうです。 商人と縁が深かったことが、 その人となりの 礎になっていたのかも、 知れませんね。 「関帝廟」 神戸市中央区中山手通7-3-2 このブログは 関帝...

タイムスリップ大阪万博24 オランダ館

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   (EXPO70スタンプコレクション より) “ 海面より低い国 ” オランダ。 テーマは 「開放を通じての進歩」 。 大阪万博の展示館も敷地の3割以上が        池だったそうです。 4本の柱が池から突き出てて、 積み木細工のような建物だったそうです。 「鏡の間」 というゾーンには、 鏡に過去と現在のオランダや 出島のオランダ商館 の商人が 江戸幕府を訪問する場面などが    写されていたようです。 オランダは日本とはおなじみさん 一番といっていいほど関係の深い欧州です。 ブルーとシルバー、 そして 「オランダといえばオレンジ」 で、 彩られている建物の伝統は、 今年に行なわれる 「上海万博」 にも引き継がれています。      (上海万博 オランダ館 模型) オープンのパビリオンで、 「愉快な街」 というのがテーマ。 入り口も出口もないが、そのものが展示。 長さが約400メートルの8の字型の街には、 26カ所の独立した小型パビリオンが連なる。 ここにも 「オレンジ」のカラーリングは健在 だ。 王冠のような建物から 小型パビリオンの窓を通して、 その中の展示を見るということになるらしい。 「オランダといえばオレンジ」 。 4月30日の祝日には国中がオレンジ一色に  染まるのだそうです。 オレンジ色の風船、 並木道にはオレンジ色の電球、 オレンジ色の衣装の人たち、 まさにオレンジに染まる日。 オレンジはオランダの 王家オラニエ家に由来しており、 前女王ユリアナの誕生日がこの日にあたります。 Oranje(オラニエ)を英語表記にすると、 Orange オレンジってこと。 オランダの国旗は現在はいわゆる トリコロール だが、 1630年頃までは オレンジ・白・青の三色旗 だったそうです。 オレンジは海上で 褪せやすいとか識別しにくいという理由で、   赤に取って変わられたようです。 ただ今でも王室関連の旗日には、 トリコロール旗の上に オレンジ色の 吹き流しを   取り付けることがあるそうです。