SANZEN−HIROBAレポ③ 京阪とともに

「SANZEN−HIROBAレポ」最終回です。 京阪電車は虎次郎にとっては、 まさに日々毎日の足でありました。 中高大と通学定期を使っていたのは京阪、 祖母が京都にいたので特急に乗り込むことは、 幼少のころから月に2回ほどの 定番ルーチンとなっていました。 虎次郎が生まれたのは1967年。 「 京阪ショッピングモール 」誕生は1970年、 そう万博の年にキレイな京橋が登場したようです。 これが建つまでは京橋はなんとも言えない 雰囲気が漂う場所だったそうです。 いまでも「京阪モール」はウチに一番近い、 百貨店としてパワーユースな存在です。 「 アロハカラー 」 と呼ばれるカラーリングは、 今は変更されてしまいましたが... これこそ京阪特急やと思っています。 カラーテレビが見れる車両は、 編成のなかに2両くらいあって、 ワンセグ時代のとうの昔では、 その有り難さはひとしお。 阪神戦や大相撲の中継のときは 必ず乗り込みました。 こちらは五枚扉の 5000系 。 JR東日本の山手線なんかには 全く座席をなくす、 貨車客車なんてのが走っていますが、 こちらは ラッシュ時の乗降 効率 を よくさせるための仕掛けであります。 二階建ての特急の登場は1989年の 鴨東線開通 にあわせたものでした。 京橋=三条の通学が 京橋=出町柳に変わりました。 1989年は虎次郎は大学4回生、 ただ1989年度も聴講生として、 鴨東線の恩恵にあずかりました。 2008年に中之島線が開通、 いわゆる親しんできた京阪カラーが変更。 ヘッドマークコーナー 京阪特急のシンボル「 鳩マーク 」、 そして行先表示器がなかったことに 先頭車両に掲げられて「行先表示」。 「おりひめ」と「ひこぼし」は 交野線に登場していた直通K特急。 現在はおこなわれなくなった ひらかたパークの「ひらかた大菊人形」。 イベント時の「 副標 」というやつです。 男山ケーブルの50thマークとか。。。 駅のいま昔の写真もありました(・ω・)v