能『小鍛冶』ゆかりの鍛冶神社
粟田神社の末社「 鍛冶神社 」、 " 刀剣女子 "や" 鬼滅の刃 "で、 最近 刀剣の聖地スポットとか… 絵馬には日本刀が二差し、 山城國刀鍛冶発祥の地 とあります。 《演能図屏風》より小鍛冶 土佐光孚 国立能楽堂 蔵 能の演目の『 小鍛冶 』… 一条天皇 は勅使を遣わし、 三条宗近 に御剣新造を命じる。 有力な相鎚の居ない宗近は 返答を渋るが、辞するに叶わず、 彼は神仏の加護を願って 稲荷明神 に参詣する。 《小鍛冶》文挙 剣の威徳を称える中国の故事や 日本武尊の物語を語る童子が 宗近の夢中に励ましに現れます。 ただ相鎚を勤めようと、 約束したものの稲荷山に消え入ります。 もうひとつの境内社 北向稲荷神社、 御祭神のなかでも 雪丸稲荷 は、 相槌を打ったお稲荷さんとか… 童子は稲荷明神の化身 。 明神の相鎚を得た宗近は、 無事に剣を鍛え上げるのです。 《稲荷山小鍛冶》 月耕随筆 表には「小鍛冶宗近」の銘、 裏には「小狐」の銘、 ふたつの銘が刻まれた 名剣 「小狐丸」 が出来上がったとか。 神社の宝物館にも 日本刀がありました。 鍛冶神社は2018年8月に 周辺の改修工事が行われ、 木造の鳥居から 刀をイメージ した スタイルに改められたそうです。 「佩服可以攘妖凶 」 と刻まれる、 中国・宋の 欧陽脩 が詠んだ 漢詩の一文が刻まれています。 「この刀を帯びれば 必ずや妖かしや凶事を 遠ざけるに違いない」 欧陽脩は 北宋の政治家 で、 『新五代史』を著した人。 日本から輸入した刀を見たときに、 詠んだ詩といわれています。 もうひとつの蒼い鳥居柱には、 「蒼龍猶未昇雲霄昇」 、 蒼龍なお未だ雲に昇らず と 徳川光圀 の詠んだ歌。 日本刀を青龍に喩えていて、 日本刀はたやすく 抜いてはならない … つまり 「物事は熟するまで 待つべきである」との意。 明治天皇 御製の句碑。 「真心をこめて 錬ひしたちこそは 乱れぬくにの まもりなりけれ」 。 祇園祭の長刀鉾 の長刀は、 三条小鍛冶宗近 が打ったもの。 粟田神社の八坂の 桔梗紋 、 八坂神社と繋がりは、 『小鍛冶』 ともありました。