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8月, 2015の投稿を表示しています

よさこい八の巻 大地の声を聴く室戸

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四国最南端は足摺岬だけど、 その対極にある 室戸岬へ (・ω・)v 高知駅から電車とバスを乗り継いで、 土佐くろしお鉄道ごめんなはり線の 最東端である 奈半利駅 から、 さらにバスを乗り継いで… 最果ての地にやっと来れた!! 途中 安芸にもよったけれども、 JR高知駅からJR土讃線、 奈半利駅まで約1時間30分。 そこから奈半利駅からバスで約60分。 早朝に高知駅から乗り込んだけども、 まさに 思えば遠くに来たぜよ ! 室戸岬灯台 こんなに高台にあるとは・・・ かなりの距離を歩いたこともあり、 ただ見上げるのみ。 岬あたりはまさに 大地と大地がぶつかり合う 場所。 「 室戸ジオパーク 」は 地学部 でもあった 虎次郎にはまさにヨダレものです。 岬から南海トラフまでは140km。 海のプレートと陸のプレートのせめぎ合い。 波しぶきも相まって、 コアラのような奴が登場しています。 岬の先端のところには 中岡慎太郎 の像。 坂本龍馬 は誰しもが知ってるけど… 龍馬はあまり勉強ができなかったそうです。 その一方で対照的に幼いころから 秀才のほまれが高かったのが中岡さん。 頭が切れるだけでなく、 何事にも熱心だったので、 交渉ごともうまかったそうです。 大地の営みに戻ります。 「 牛角岩 (うしかどいわ) 」 牛が右を向いてるっとことだけど… こちらは「 子授 (こさずけ) の岩 」 岩の上部に蜂の巣状の穴があって、 その穴に小石を投げると子宝が授かるとか。 珊瑚の白い石を投げて落ちて来なければ、 とこでなぜ 珊瑚 ?? サ・ン・ゴ だから。 ライオンのタテガミのようなのは、 タービダイト と呼ばれるもので、 日本語で言うと「 乱泥流堆積物 」?? 砂や泥が海水と混ざった流れによって 海底に降り積もってできたシマシマ地層。 水平に堆積した後で、 回転して立ち上がったことで、 縦向きの縞模様になっている部分もあります。 太い根を岩にはり、 成長する亜熱帯植物の「 アコウ 」。 まさに岩を押し出そうとしています。 根を岩にからまて、樹高を低くしているのは、 台風銀

よさこい七の巻 安芸の時をあるく

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安芸市の旧市街地は、 ごめんなはり線安芸駅より少し北にあります。 安芸のシンボル「 野良時計 」までは、 歩くには遠いので 無料サイクル を 貸してもらって 行ってきましたよ。 明治の中頃、 旧家 地主の 畠中源馬 さんが、 台所にかかっていた 米国製の掛時計の 分解を繰り返して、 その構造を学び 歯車から分銅まで、 手づくりで作り上げた 時計台です。 家ごとに時計のなかった時代、 農作業をしていても 遠くから見れるようにと願いは、 いまなお多くの人々に親しまれています。 こちらのお城のような形の建物は、 「 安芸市立書道美術館 」。 ”書の殿堂”として全国でも知られていて、 この日も「全国書展 高校生大会」の会場に なっていました。 なぜお城のようかというと・・・ 鎌倉時代の頃から戦国時代末期まで、 代々居住していた 安芸氏の居城があったところ。 いまに伝わる 毒井戸跡 は、 安芸氏を制圧しようとした 長宗我元親 への抵抗の表れ。 当時城主の安芸国虎は自害し、 家臣は四散した時が刻まれています。 城を打って出て奮戦したそうですが、 内通者が機をみて井戸に毒をいれた とか… 落城を早めた原因の一つとして、 今に語り伝えられているものです。  そして安芸の地は、 長宗我部氏から山内氏へ、 土佐藩家老 五藤家を祀る お社「 藤崎神社 」。  ご神体は鏃 (やじり) と草鞋なのだとか。 山内一豊が 織田信長 に従軍したときに、 一豊が目尻に射られた矢。 なかなか抜けなかった矢を、 履いていた草鞋をはいたまま、 一豊の顔踏んで抜き取られたそうです。 一豊の一命をとりとめたのが、 重臣の 五藤 為浄 (ためきよ) その人なのです。 安芸といえば  岩崎彌太郎 。 生家の土蔵の鬼瓦には「 三階菱 」。  岩崎彌太郎像の前の広場には、 大きく日本列島 が描かれていました。 岩崎家の先祖は安芸国虎の家臣で、 長宗我部氏 山内氏ともに 仕えていた武家でありました。 ただ、彌太郎の曽祖父にあたる代に、 金に困って身分売り払い「 地下浪人 」と 呼ばれる農民変わらない身分へと、 転

よさこい六の巻 あきうたこちゃん

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球場前駅…その次の駅に待ってくれてたのは、 「 あき うたこちゃん 」です。 安芸市は作曲家である 弘田龍太郎 さんの ふるさとであることから、 1977年以来 童謡碑が建てられていて、 安芸市内には今では10基の歌碑があります。 2005年10月に設置されたのが、 駅前ににある『 ♫ 靴が鳴る 』 「お手つないで 野道を行けば  みんな可愛い 小鳥になって  唄をうたえば 靴が鳴る  晴れたみ空に 靴が鳴る」 はらたいら さんのマンガとともに・・・ 『♫叱られて』 は1988年5月にお目見え。 「叱られて しかられて  あの子は町まで お使いに  この子は坊やを ねんねしな  夕べさみしい 村はずれ  コンときつねが なきゃせぬか」 溝辺公園にあるのが『 ♫鯉のぼり 』。 「甍の波と 雲の波  重なる波の 中空を  橘かおる朝風に  高く泳ぐや 鯉のぼり」 「百瀬の滝を 登りなば  忽ち竜に なりぬべき  わが身に似よや 男子と  空に躍るや 鯉のぼり」 小さい頃にウチにも、 鯉のぼりがありました。 でも広い庭があるわけでもないのに、 とっても立派な鯉のぼりは、 祖母が買い求めたものでした。 都会ではちょっと無理のある大きさ、 たなびいたところで物干し台が、 ミシミシと音を立てて。 鯉のぼりとともに空へと??? 寸前で下ろしてそれからは、 家の中に飾るようになりました。 岩崎弥太郎 生家前にはあったのは 『 ♫春よ来い』 。 「春よ来い はやく来い  あるきはじめた みいちゃんが  赤い鼻緒の じょじょはいて  おんもへ出たいと待っている」  虎もみたいしなぁ〜〜〜。  春の安芸もよさ気です(・ω・)v  いいなぁ〜〜〜。

よさこい伍の巻 虎たうんへ!!

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阪神タイガースのキャンプ地の 安芸市営球場 に行ってきました。 安芸の地でキャンプをはじめたのは、 1965年のことなのだそうです。  高知駅の始発に乗り込み。。。 ごめんなはり線の 「 土佐くろしお鉄道 」にて…  後免駅には「 ごめんえきおくん 」 アンパンマン とともに。  やなせたかしさんの 「 ごめん駅でごめん 」が刻まれていました。 南国市の 後免 から奈半利町の 奈半利 を結ぶ ローカル新線は42.7kmを20駅、 すべての駅に やなせたかし さんの 駅キャラがいてます。  乗り込んだのは「 てのひらに太陽に号 」 夜須駅の「 やすにんぎょちゃん 」。  天井にもキャラが描かれていました。  右下の魚を乗せているのは、 安田駅の「 やすだアユ君 」。 香南市吉川町は 鰻が特産「 よしかわ うなお君 」、 筆を持っているおじさんは 「 あかおか えきん さん 」 … 幕末の絵師「 絵師金蔵 」がモデルだそうです。 そして安芸市営球場の球場前駅にいるのは、 「 球場 ボール君 」です。  球場前駅の壁面にも虎たちがおりました。 そして星野さん揮毫の「 夢 」も。 「あきキャンプ メモリアルボード」には、 なつかしの姿が掲げられていました。 ごめんなはり線には 「 阪神タイガース応援列車 」もあるとかで、 車内には阪神タイガースの選手の写真が 飾られているそうです。 サブグラウンド。。。 そしてあこがれの「 安芸市営球場 」へ。 ふだんは入れない場所も、 整備のためか開け放たれていました。  ぐるりと一周! スタンドは想像してた以上に、 ちょっと狭かったですが、 グラウンドは 甲子園と同サイズ です。 ところで。。。 タイガースグッズって、 この安芸で売られた  小林繁  さんの ブロマイドが起源なのですよ。 あの「 空白の一日 」のあと、 コミッショナーの強い希望で電撃移籍、 宿敵巨人をぶった切った勇姿は、 この球場からはじまったのです。  キャンプ中の会見でよく写った手形陶板。 仕事柄 秋春のキャンプには、 機会がなかなか持てないのですが・・・ いろ