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「マンガのちから」② トキワ荘

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「マンガのちから」の展覧会で 復元されていた「 トキワ荘 」。  マンガ関係者で最初に入居していたのは 『漫画少年』を発行していた 学童社の編集者・ 加藤宏泰 さんだったらしい。 加藤が、自分が住んでいるトキワ荘を 手塚に勧めたことがきっかけとなり... 「手塚先生を慕って  まず 寺田ヒロオ 氏、  つづいて 藤子不二雄 のお二人、  そして 石ノ森章太郎 と 赤塚不二夫   鈴木伸一   よこたとくお   水野英子   つのだじろう 」  次第にトキワ荘を中心とした マンガ家たちのコミュニティが形成され…  そして「 マンガのちから 」へと。 「ゲゲゲの鬼太郎」の  水木しげる  さんの オマージュにはこうあった... 手塚も石ノ森も徹夜続きで多忙を極めていた、 水木はこう言う 「どんなに忙しくても十時間は寝ています」と。 手塚 「そりゃぁうらやましいなぁ」 石ノ森「あやかりたいものです」… 「眠っている時間分だけ長生きをするんです  幸せなんかも“睡眠力”から湧いてくる  “睡眠力“こそが全ての源です!!」 寝る間を惜しんで世に作品を送り出した 二人の死を嘆いておられました。   手塚治虫さんは  1989年2月9日、 石ノ森章太郎さんは1998年1月28日、 生涯は同じく60年だった... 10年年下だった石ノ森さん、 10歳年下だった彼も 多くの作品を世に送り出した。 そして「秘密戦隊ゴレンジャー」から 「 マンガ日本の歴史 」を手がけられました。 「鉄腕アトム」から 「 アドルフに告ぐ 」のように、 二人は抜群の個性が 対極にあるように見えるが、 なにかを通じるものを感じます。 手塚治虫さんの出身は現在の大阪府豊中市、 「火の鳥」は阪神淡路大震災の復興シンボルに。  そして石ノ森章太郎さんの 「 サイボーグ009 」は、 石ノ森萬画館 を中心に 東北のチカラを支えています。 やなせたかしさんのオマージュ。 「 さるとびエッチャン 」に マントをとられたアンパンマン。 原子力からサンパワーへ(・ω・)v 「鉄腕アトム」最終ページでアトムがいう... 「ぼく…今に、  きっとロボットどうし仲よくして、  け

「マンガのちから」① 治虫☓章太郎

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東京 ・広島と巡回してきた 手塚治虫☓石ノ森章太郎 「 マンガのちから 」。 1月15日から大阪歴史博物館に 来てくれたので、行ってきました。 最近は展覧会図録は 本棚がいっぱいなので、 買ってなかったのだけども... 欲しくなったので入手しました。 図録はどこか『少年マガジン』のようで、 「別冊付録」なんてのも付いてます。 トートバッグ付で特別セットを。 等身大パネルがそこかしこに... 影響を受けた人たちの オマージュも並べられていて、 「 ももいろクローバーZ 」も サイボーグ009に変身。 会場限定の コレクションフィギュアセット... 全部で6種あるところを二つ。 「 アトム ☓ 009島村ジョー 」 「 鉄腕アトム 」昭和27〜43年  光文社『少年』に連載   出版冊数は累計1億冊を超える 「 サイボーグ009 」昭和39年  少年画報社『週刊少年キング』に連載開始  以降、複数の出版社、複数の雑誌に連載された もう一つは「 マァチャン☓ピント 」 こちらはいずれもデビュー作!! 「 マァチャンの日記帳 」昭和21年  『少國民新聞』に連載 「 二級天使 」昭和29〜30年  学童社『漫画少年』に連載 「 マンガのちから 」 ちょっと続けます(・ω・)v

なにわの杜めぐり 若宮八幡大神宮・城東区蒲生

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大阪市城東区に「 蒲生(がもう) 」 という ところがありまして、 その蒲穂ゆかりの地にある 「 若宮八幡大神宮 」が今回のお社。 「仁徳天皇」を祭神とする神社で、 創建年月は定かではありませんが、 昔から村内の小さな丘にあったそうで、 長い間崇敬を受けてきたお社があります。 いわゆる「 がもよん 」と呼ばれる 国道1号線の交差点に近いのですが、 細い行き止まりの道の奥に鎮座されています。 おそらく昭和の初期までは、 楠や榎などの大木がうっそうと繁って、 昼なお暗い感じであったそうです。 明治の初期までは楠の神木が残されていました。 社頭が西側に向いているの珍しく、 「 西向き八幡さん 」と呼ばれているとか... こちらは手水舎にある装飾彫刻たち。 そんなに古くはなさそうですが... なかなか見応えがあります。 こちらは白鷺かな? その中におられる 恵比寿さま 。 なかなか絵になります(・ω・)v 境内に立つ「由緒之碑」 大坂夏の陣 (冬の陣とする説もある) のとき 徳川方の 佐竹義宣 が境内に陣を張り、 戦勝祈願したという記録が『 難波戦記 』に残る。 「 鴫野、京橋口の戦い 」に本陣を張ったとも。 天神さんのお社は見当たらないが、 「 撫で牛 」も... そしてお稲荷さんは「 豊受稲荷大神 」 境内の奥手には「祖霊社」がありました。 こちらは参道の途中にある 「 蒲生行者講 」で、 町の守護神として祭られている「不動明王」。 大峰山上の行場へ向かう いわゆる「講まいり」、 大峰山の麓・洞川の宿場の宿帳には、 元禄時代にその記録が残されているそうです。 「 弘法大師像 」もあるので、 高野山や 四国遍路へも ここから旅だったのでしょう。 いずれも大正末期から昭和の初期に 建てられたのだそうです。 お火焚きも続けられているように見受けられ、 近在の人たちにより手厚くお奉りされています。 この近くのいわゆる古い旧家は老朽化により 長らく利用されていなかったのですが、 近年その持ち味を生かして改修、 新たな 「にぎわい」スポット として 生まれ変わりつつあります。 こちらが120年前の米蔵を活かした イタリアンレストラン

サンダーバード あ ゴ〜〜 四 TB4号 FAB−1

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1号から4号までの サンダーバード レスキュークラフトのうち、 最もコンパクトなのが4号。 海にかかわる災害の全てをカバーする マリンクラフト がこれ! 高出力の ハイドロ推進エンジン ... 船首には魚雷発射管、 酸素バーナー、 磁力吸着器、 といった救助用ツールを備える。 TB2のポッド4で現地まで運ばれる。 マニア本によると... 「ポッドは海面へと投下され、  ハッチが開くとスライドレールが伸び、  この上をすべるようにして、  4号は海へと出るのである。」 「恐らく、  4号の収納されているポッド4は、  高空投下の衝撃から  4号を保護するための  衝撃中和システムを  内蔵しているものと見られ、  このために4号専用のポッドが  用意されているのであろう」...フムフム。 サンダバード展では こんなパネルもありました。 こちらは FAB−1 ことペネロープ号。 運転手はレディ・ペネロープの執事、 元世界一の金庫破りの ロイシャス・パーカー 。 ピンクの車体は ロールス・ロイス社のワンメイクもの。 前輪4輪後輪2輪の6輪車。 実はイマイ社のプラモデルでは、 いろんなカラーのものが 登場していたのだが… 本来はピンクなのである。 全面サンルーフだが…安全性は抜群。 レディ・ペネロープ 。 本名は ペネロープ・クレイトン・ワード、 ただの大富豪ではなく、 国際救助隊設立当初からの協力者。 持ち前の正義感と冒険心で、 サンダーバードのエージェントとして 活躍する存在でもある。 展示にはこんなパネル紹介も、 「未来を救う先端技術とアイディア」 。 医療とか... そしてエネルギー開発。 秘密基地は「 スマートコミュニティ 」と 紹介されていました。 自衛隊のパネルもありましたわ。 頼もしい救助隊ではありますね。