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池田をあるく⑤ 呉春の春

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摂津池田郷 池田銘醸 清酒「 呉春 」。 織姫伝説の呉服(クレハ)神社と 伊居太(イケダ)神社、 そして 文人画家 呉春 ゆかりの 「本養寺」もある池田。 最盛期には38軒の酒蔵があったそうですが、 自醸しているのは今ではここ「呉春」のみ。 池田と松村呉春との関わりは、 司馬遼太郎さんの 『 天明の絵師 』に見て取れますが、 愛妻を亡くした傷心で 池田の町に移住してきたのが 天明元年(1781年)のことだそうです。 翌年の春に近くの本養寺を訪れたとき、 池田の古称= 呉服(クレハ) の里で 春を迎えたことに感銘したとか。 その時に 月渓から呉春に改名 したそうです。 「十二ヶ月京都風物句画賛」 呉春 画 のちに京都・四条に戻った松村呉春は 四条派画家の祖として晩成しました。 「牛若丸句画賛」呉春 画 まさに池田という土地は、 呉春に新たな春を予感させたのかも? 「牛若丸画賛」与謝蕪村 画 与謝蕪村 は呉春の師匠であります。 いずれも逸翁美術館の持つコレクション。 ※『天明の絵師』1964年は 最後の伊賀者 (講談社文庫) に収録

池田をあるく④ 逸翁美術館

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小林一三の雅号「 逸翁 」 (いつおう) が冠された「 逸翁美術館 」。 「神さま 仏さま〜祈りの美術〜」 と題した特別展を観ました。 コレクションはもともとは 「雅俗山荘」に置かれていたのだそうですが、 「 一都市一美術館 」をとの小林の理念のもと、 「池田美術館」の建設が計画されていた この地に2009年10月に開館した建物です。 「雅俗山荘」設立50週年を期に新築。 「展示室・茶室・ホール・カフェという要素の配置の間に、  アプローチの前庭・エントランスロビーに  自然光を導き入れる中庭・エレベーターホールに  隣接する中庭を織り交ぜながら、  回遊性と奥行きを持たせた平面計画とした。」   竹中工務店 TAKENAKA DESIGN WORKS vol.12より せっ器質タイルに咲き誇る花、 マグノリア の花なのだそうだ 。 隣接するコンサートホールの名は 「 マグノリアホール 」。 阪急グループのシンボル? 小林一三さん愛顧のもの??… マグノリアとは モクレン のこと、 ちょっとイワレは解らなかった。 こちらは「 池田文庫 」。 宝塚新温泉にあった図書室が源泉と言われ、 上方役者絵や タカラヅカ歌劇 の ポスター コレクションなどで名高いそうです。 「 神さま仏さま 」の展示を… 「 那羅延天図像 」と言われるもの。 仏さまの名前や霊験=効用をまとめたもの、 仏さんのガイドブックとも言うべきもの。 「 熊野本地絵巻 」 室町時代の御伽 (おとぎ) 草子。 虎や狼も山神の命令により、 この王子を守護し養育するというシーン。 キリスト教の祈りに関する絵画も 展示されていました。 展示品の写真は けーぜの「阪急電車でゆるゆるとろとろ生活」 逸翁美術館2015早春展 「神さま仏さまー祈りの美術」より転載しました。

MOOMIN谷をたずねて②〜主役と脇役

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ムーミンには超一流の脇役がいる。 主役たちの行動や成長を促す名脇役たち、 スベンソンは全ての登場人物に、 かけがえのない役割を、 そして等しく愛をもって描いています。 自由と孤独を愛する「 スナフキン 」。 冬が来る前に南へ旅立ち、 春になって戻ってくる。 キモチをナチュラルにってことは、 自然に畏敬の念があってこそ。 「気がむきゃ、いくさ。 だけど、ぜんぜんいかないかもしれない。 おそらくぼくはべつのとこへいくだろうな」 「 ちびのミィ 」 ミムラ夫人の末娘ってことだから、 スナフキンの妹ってことになる。 家族でムーミン谷を訪れ、そのまま居つく。 のちにムーミン一家の養女になる。 「いやよ、ばかなことしないで」 と、ちびのミィはいいました。 「これが、大さわぎするほどのことなの?」 「 スニフ 」は少しわがまま、 きれいな物やめずらしいものが好きで、 森でムーミンたちと出会った。 はい虫の ティーティー・ウー なんかは、 最初は名前がなかったとか。。。 スナフキンに迷惑がられていながらも、 名付け親はスナフキンとか。 「アダ名」と「ニックネーム」... 虎次郎は小学生のうちは「 テッカ 」って、 テヅカだから…そう呼ばれていたのでしょう。 中高大の間は「アダ名」は特にありませんでした。 中1から10年間学生生活、 そしてひょんなことから職場も一緒にの、 古い友人である腐れ縁の彼は キッテの「アダ名付屋」なのに。 どっかでアダ名のないジブンが、 面白みのない奴や!! と思われている気がしていました。 最近よばれるのは「 てんてん 」。 職場の後輩が呼び出した愛称??? いまだにちょっと慣れませんが(TдT) トーベ・ヤンソンが来日時に ランチョンマットに描いたスケッチ。 鳥羽国際ホテル のん。 ムーミンカフェ 関西初出店だったんだけど、 ギョーレツで待ちませんでしたけど... ニョロニョロのオレは飲めばよかったなぁ〜 とちょっと後悔しています。   フィンエアー のポスター欲しかったなし。

MOOMIN谷をたずねて①〜あべの・ムーミン展ゆ

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1914年8月9日 フィンランドのヘルシンキ生まれ、 彫刻家の父と挿絵作家の母を持つ、 トーベ・マリカ・ヤンソン の生誕100年。 アベノのハルカスは、 「 星にかなでるクリスマス 」とか... ヤンソンさんは子供の頃から絵を描いたり、 詩や物語を作って遊んでいたそうですね。 《ムーミン谷の彗星》 1968年 挿絵、インク ムーミンの原作をたどると、 ちっちゃい時に観たアニメとは一線を画す おどろおどろしい異形のものたちが見える。 《ムーミントロール立像》制作年不詳  ポリスチレン、石膏、ミックスメディア 《たのしいムーミン一家》 1948年 挿絵、インク 〈 ムーミン谷 〉と『 ゲゲゲの鬼太郎 』の 妖怪世界は地続きのよに思える。 日本も北欧も自然とゆったりと調和しながらも、 古くは貧困や戦争とは 無縁の世界が広がっていたということ。 《ムーミンパパ海へ行く》 1965年 習作、インク 無形財(intangibles) とも言われる 「地域コミュニティや特定の民族によって 創作され伝承されてきた有形無形の文化資産」 である フォークロア的 な想像力は、 暮らしのなかに息づいていたのである。 異形と呼ばれるマイノリティ とも その世界にあそび・くらし・まなぶことで、 彼らを通じて「人間の営み」を見つめる力が、 養われていたということ。 ファンタジーが今なお親しまれるのは、 科学的を信じしすぎたとも思われる そんなキライもある時代だからこそ、 そんな役割が必要としてるののかもしれない。 《たのしいムーミン一家》 1948年 挿絵、インク 「歩いたあとが凍りつく、孤独で大きな魔物。  けれど灯りやたき火などに近づきたがる。」  『たのしいムーミン一家』山室静 訳より 化け物「 モラン 」はしばらくすわっていて、 ゆっくりと暗やみの中へ... その後はまっ白に凍っている。 最近 喋りすぎているのか、 いろんなトコに近づくとふと振り返ると... シラケられていないか心配になります。 虎次郎...最近 モランってます(TдT)

華麗なるジャポニズム 寒々とした風景

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ぐっと寒くなってきましたね。 今朝からの寒波は雪に脆弱な都市部を シュンと黙らせるかもしれません。 遠出はできないかもしれないけど、 センキョだけは行っておきたいところです。 今日はシゴトということで、 虎次郎は期日前ですましております。 歌川広重 《 名所江戸百景 深川洲崎十万坪 》 江戸時代 1857年(安政4)  大判錦絵広重の雪景色のなかで 一番好きなのがコレ。 深川洲崎十万坪は、 塵芥で埋められた当時の江戸の埋め立て地。 その十万坪より遥かに広い関東平野を 白でうめつくされる。 すべてを我が物とした鷲、 なにかを狙っているのか。 歌川広重 《 名所江戸百景 愛宕下薮小路 》 江戸時代 1857年(安政4) 大判錦絵 広重の雪景色はコレが出ていました。 現代の愛宕ではこうも、 ゆったりとした姿が見ることは できませんなぁ〜。 フランク・ウェストン・ベンソン 《 早朝 》  1899年ごろ 油彩・カンヴァス 雪を描くとも 身の縮まる寒さを感じさせるのがコレ。 フランク・ウェストン・ベンソンは、 アメリカ マサチューセッツ州に生まれ、 ボストン美術館付属美術学校で教育を受けた。 子供時代はボストン北部の港町セーラムで、 数多くの鳥たちを描いたという。 円山応挙 《 浜飛雁図屏風 》 江戸時代18世紀  ワシントンD.C. フリーア美術館蔵 セーラムの著名な美術商である松木文恭が 1898年に売りだしたコレに着想して、 描いたことは間違いのないところか。 横長の形式、列をなし羽ばたく様も、 黄金色基調の配色も、 二つに共通するものが溢れている。 ウィリアム・ニコルソン 版画集『12のスポーツ暦』より《スケート》 1897年 多色刷木版、手彩色 冬は寒いけど虎次郎は好きな季節。 スキー、スケートのウィンタースポーツ。 エドゥアール・ヴュイヤール 《栄養ドリンク「ベカン」のためのポスター》 1894年 カラー・リトグラフ 実はこれらの躍動する流れは、 北斎の冨嶽三十六景にルーツがある。 疾走する姿や曲線を描く道はヒントを 得ていた...

華麗なるジャポニズム 日本のポピュラーイメージ

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西洋の芸術家たちが自然への強い愛着を持つ、 日本美術の意匠たちは アール・ヌーヴォー にて 開花しているように思える。 オットー・エックマン 《 あやめ 》 1895年 多色摺木版 実はこの アール・ヌーヴォー というコトバ、 1895年開店のパリのギャラリーの名に由来する。 アール・ヌーヴォーの源泉は、 ゴシック・リヴァイバル、ケルト紋章、 ロココ装飾、アラベスク紋様などであるが、 生活が芸術であり、芸術が生活に溶け込んでいる といった ウィリアム・モリス の理想に、 日本美術の定番を支えるイメージに、 意識的も無意識的にも合体したのだと感じる。 ジスベール・コンバズ 〈四大元素〉より 《空気》《水》《水》《火》 1898年 20世紀にはいると世界的なポストカードの 大流行がはじまったといわれる。 美術家も、そしてそれを売る出版社らも、 消費者の好みを先取りし競い合ってた。 新しいデザインを手繰るうちに 日本の意匠にたどりついたのであろうか。 波しぶきはまさに浮世絵の代表作を思わせ、 山は富士を見立てたようにも見える。 コンバス は美術家でもあり、 ベルギーの東洋美術研究家としても知られていた。 浮世絵は至極当然で複数の異なる視点にて、 描かれた日本的描写はアール・ヌーヴォーと、 今でいうコラボを達成させている。 前景と遠景との関係は西洋にはなかったとも… 一雲斎秀氏 (いちうんさいひでうじ) 《 蛸に貝図鐔 》 (たこにかいずつば) 19世紀 銀と銅の合金「 四分一 (しぶんいち) 」を地に、 金・銀・赤銅などを薄肉彫にて、 「 据文象嵌 (すえもんぞうがん) 」と呼ばれる 討ち込む金銀を高肉にして 地金の表面より凸出させる技法で、 波に蛸と貝があらわされている。 この技法は極めて製造コストが高くつくとか。 蛸の腕が裏につながっていてオモシロイ。 石黒政義 《 魚介図鐔 》 18世紀末ー19世紀前半 こちらは鯛・河豚・海老、 そして巻き貝と二枚貝が施されている。 プシュロン社 《 インクスタンド 》1876年 日光東照宮陽明門...

華麗なるジャポニズム 想像する虎

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ヨーロッパに虎は存在しないのだという。 生息地はアジア... この魅力的なネコ科の動物を描くとき、 西洋の美術家たちのベースは東洋の美。 ポール=エリー・ランソン  《 密林の虎 》 1893年 カラー・リトグラフ ポール=エリー・ランソンの《密林の虎》は、 向きこそ違うが国貞の並べると対になる。 13年ほどでランソンの手元にあったかというと、 ギモンなのだが尾をピンと張った勇ましさ。 漲る力を開放したのがランソンの虎なのか?? うねるような草木がうめつくす画面 。 日本の浮世絵よりも 南アジアの虎 の絵を お手本にしたのかも知れない… 歌川国貞 《 虎 》 1830年(文政13) 色紙判摺物 摺物絵であるが… トラジマデザインがかなり秀逸。 国貞が生きている虎を見て描いたというより、 猫を虎に見立てて 筆を走らせたのだろう。 ジョン・ディクソン・バッテン 《 虎 》 20世紀後半 多色摺木版 こちらの虎は 様式化されずに歩く姿 は、 まさに勇ましい密林の虎。 いずれにしても虎は伝説の動物だったから、 強く勇ましい存在であってほしいものである。