投稿

ラベル(うまいもん)が付いた投稿を表示しています

江戸のデリバリー⑥ 幕の内と仕出し

イメージ
《江戸土産 浮名のたまづさ》 「三浦屋 揚巻 粂三郎改 紫若」 「花川戸 助六 権十郎」   三代目 豊国 1864年 「助六」ってお弁当 、 コンビニにもありますよね。 稲荷寿司と巻き寿司の 詰め合わせ… 「 助六 」と呼ぶのは、 江戸時代中期からのこと、 倹約令も出されたこともあり、 この組み合わせ定着。 團十郎の歌舞伎十八番 「 助六由縁江戸桜 」が大流行、 助六の愛人の吉原花魁 「 揚巻 」という名… 《東都高名会席尽  万久・髭の意休》 団扇絵には幕の内弁当。 握飯、蒟蒻、焼豆腐、 干瓢、里芋、蒲鉾、 そして卵焼が見えます。 この 「幕の内」という言葉 、 二つの解釈があります。 芝居の休憩時間が幕間 … もう一つは芝居前の 幕が まだ上がっていない 時間とも。 《踊形容江戸絵栄》  三代 歌川豊国  1858年  安政五年七月 市村座上演の『暫』 江戸時代の芝居の興行は 明け六つに始まり、 暮れ七つ半まで… 今の時間に直すと 午前6時頃から午後5時頃の 丸一日がかりの長丁場でした。 豊国 の絵を見ると… すでに芝居は見せ場とも。 朱色の銚子(燗酒)を届ける男衆、 行く手には遅参の人… すまなそうな表情が見えます。 桝席には鯛のお頭付きが 届けられています。 桟敷席の手すりには、 茶屋の貸し出す赤い毛氈。 茶屋から煙草盆、茶と茶菓子… さらに口取り肴とお酒、 手狭な席には上から 吊り降ろされています。 二階席にも振る舞われ… 幕間にしばしば 芝居茶屋へ戻って、 飲酒飲食… 上客たちは終演後、 茶屋の二階座敷で、 酒宴を催し贔屓の役者、 そして芸者衆を招いたとか… 『画本東都遊』より   葛飾北斎 画 当時… 庶⺠の娯楽は、歌舞伎芝居、 人形浄瑠璃芝居、勧進相撲。 オウチで楽しめる のは、 浮世絵と大衆向けの貸本… 『倡客竅学問』 より 話が脱線しました… 仕出しの話でまとめます。 鴨川のほとり、歌舞伎の 隆盛とともに発展した 宮川町 という花街があります。 宮川町歌舞練場 にほど近く、 天ぷら割烹店 㐂久屋 さん。 芸舞妓さんと はんなりした 時間を過ごせる場所でもあります。 若衆歌舞伎の役者さんが 南座の公演時に宿泊する 宿場町だったとも 言われる 㐂久屋 さんの懐石は絶品です。 ご自慢は 天ぷら 。 そして締めは お...

江戸のデリバリー⑤ 天ぷらは上方より来る

イメージ
《風俗三十二相 むまそう》   月岡芳年 1848-1855年(嘉永年間) 江戸では天ぷら といえば 魚に限った呼び名だったとか、 野菜を揚げた料理を 上方では「あげもの」 、 江戸では「胡麻あげ」 と区別 してたのだそうです。 艷やかな女性が 箸で持ち上げたのは、 鱚の天ぷら です。 《しん板猫のそばや》 より   四代 歌川国政 江戸の 四大名物料理 は、 そば・うなぎの蒲焼・ 天ぷら・握り寿司 。 関東風の濃い味を好む味覚 に 大きな影響を与えたのは、 いわゆる濃口醤油です。 地廻り醤油の濃口醤油は、 関⻄のより小⻨を多用、 鰻の蒲焼きのタレ も こってり味となり、 「てんつゆ」 もできたのです。 《園中八撰花・松》  歌川国芳 弘化末1847年頃 杜甫の『 飲中八仙歌 』 を 当世風美人に置き換えた団扇絵。 故事をモチーフに美人や役者に いわゆる 「見立て」 たもの。 団扇は消耗品ですから、 ほぼ現存は版元の摺り残し。 涼しげな紺の着物に、 夜風に揺れるおくれ毛、 そして黒い松影… 夏になればこんな風情を 味わいたいものですね。 《近世職人尽絵詞》  鍬形蕙斎 画 1807年ごろ 詞書きには「うるまいもの、 あぶらに、あけたるも候、 たこの入道に、うとむのこの、 ころもきせたるも、候そ」と。 肩手ぬぐいの女性や手掴みで 食べている丁稚小僧…、 二本差しの武士は顔手ぬぐい。 武士が大道での立ち食い、 自粛のお達し があったのやも。 『江戸久居計』  一恵齋芳幾 画 1861年 天麩羅を庶⺠の口するのは、 天明年間 (1781-1789年)から…、 天ぷら は油と火を扱うので、 当時はほとんどが屋外営業。 屋台の天ぷら屋にのお客は、 丁稚や武家屋敷の下男たち 、 高級品として扱われるものでは、 ありませんでした。 『江戸春一夜千両』 北尾政演 画 1786年 いわゆる 「上方てんぷら」 は、 慶⻑年間(1596〜)に 京都で広がったそうです。 タネは野菜が中心で、 油はゴマ、大豆、綿実など 植物系のものが使われました。 《吉原十二時絵詞》 1861年写   鍬形蕙斎 画 山東京伝 詞 吉原の一日を辿った絵詞には、 「 胡麻揚 」と見えます。 《風俗三十二相 むまそう》 の 天ぷらを見ると...

江戸のデリバリー④ うなぎ

イメージ
《東海道五十三図会 荒井   名ぶつ蒲焼》 歌川広重 すっかり高嶺の花となった ウナギ ですが、 江戸期は庶民の食べ物でした。 天秤棒に担がれて、 振売りは蒲焼きが 冷めないように「 ぬかの粉 」 がまぶされていたそうです。 家で糠をはたいて 食すのを嫌った客 が、 温かいご飯に鰻をのせるよう 頼んだことが「 うな丼 」とか。 『北斎漫画』《うなぎのぼり》 『万葉集』 大伴家持 の歌 「石麻呂(いそまろ)に  われ物申す夏やせに  よしといふものぞ  うなぎ取り召せ」。 奈良時代から夏ヤセに鰻が よいことが知られていました 《春の虹蜺》歌川国芳 串を両手に握り、 まさに鰻を口元へ… 今まさにの瞬間… 虹蜺とは虹のこと 。 弧を描く Rainbow は、 イマからなのでしょうね。 今どきに言うと 「エモい」 ? 使い方合ってますか?? 《見立五行 火 かがり火》 一部   歌川国芳 CanCanのサイト によると… 「感情的な様や情緒的な様を  意味する「 emotional 」の略…  メディアアーティストの   落合陽一 氏は、   「ロジカルの究極にあるもの 」、  古文において「とても趣がある」  と訳される 「いとをかし」  と類似するものとも。」 《江戸前かばやき鯰大火場焼》  1852年 安政の大地震の「 鯰絵 」… 恵比寿さまに捌かれるのは ナマズ なんだけれども、 鰻 も ドジョウ も 振る舞われている風景。 「大火場焼」 「うなんぎ(難儀)家破焼」 、 震災復旧に賑わいをみせた 建設好景気を風刺とも… 「新版御府内流行名物案内双六」 より 最後は 虎次郎 贔屓 の 1939年の創業 京の老舗 「 衹をん松乃 」さんの鰻。 南座の東四軒目 という 立地も在り… 楽屋見舞い にも御用達。 祖母が愛した店 。 50を過ぎ自分の財布から お会計をするたびに… ただただ感謝!! なんちゃってグルメなのは、 祖母のお蔭です。

江戸のデリバリー③ 寿司折をお土産に

イメージ
《縞揃女弁慶》安宅の松  歌川国芳  1844年 お寿司とるけど? 竹梅どっち? 松がいい!! 「あたけ 松のすし」 と 書かれる木箱を持つ。 『甲子夜話』 巻十八によると、 松鮨とは天保頃流行した 二重に盛られた寿司。 松とは販売者の名前ですが、 大変高価 であったと伝わります。 《団扇絵 鮨》歌川広重 室町期の『 蜷川親元日記 』に 「生成(ナマナレ)」 という 「寿司」が登場しますが、 漬け込む期間を短くし 魚の発酵を浅く止め、 それまでは飯は 除かれていたのを 一緒にたべたスシ。 「新版御府内流行名物案内双六」 より 魚を自然発酵させずに 飯に酢を混ぜしたのが、 「早すし」 が誕生したとか… 江戸に 上方の「押し鮨」 が 17世紀の末頃伝えられました。 近世風俗書 『守貞謾稿』 「江戸ハ酢店甚ダ多ク毎町  三戶蕎⻨屋三町ニー戶アリ」 とあり急速に江戸の町に広がった。 《東都名所   高輪二十六夜待遊興之図》 より   歌川広重  1841年ごろ 享保期(1716-35)に初めて 吉原遊郭内に 台の物 と呼ばれる 料理の 仕出し屋 が登場。 大いに繁盛したそうです。 《見立源氏花乃宴 寿司》  三代 歌川豊国 1830-43ころ 長編合巻『 偐紫田舎源氏 』の 一場面を抽いた錦絵。 桜が咲き乱れる遊郭で、 花魁が寄り添い酒を注ぐ。 桶の中には握りずし… まさに 濃厚接触( TДT) 『偲ぶ与兵衛の鮓』の絵 江戸時代の終わりごろ、 人気を二分するすし屋が。 「与兵衛すし」と「松のすし」。 「握りずし」を考案したのは 『 華屋与兵衛 』とも伝わります。 《すしや娘おさと  実はよしつね娘ひな鳥  尾上三朝》歌川国安 当時の握りずしは大きく、 今は一口で食べられますが、 口にほうばるぐらいの 大きさだったとか… 《本家本元の信太巻わ  これでござい おいなりさま》 ちなみに虎次郎の大好物 “おいなりさん” は、 油揚げは、 稲荷神の神使・狐さまの好物。 実は 好物はネズミ だけど、 殺生はタブーとされるため、 代わりに大豆でできた油揚げを 供えるようになったとか… 最後に 虎次郎贔屓 の 浪花奴寿司🍣天五店 さんの おまかせを… 江戸っ子には小鰭や鯵など さっぱりとした魚が 好まれたそう...

江戸のデリバリー② 出前の最初は蕎麦

イメージ
《しん板猫のそばや》 より   四代 歌川国政 ⽇本で最初の出前は 「蕎麦」 。 江戸期の寛⽂年間(1661-72)、 吉原にできた店が 遊廓の夜⾷⽤ にと、 そばの出前を始めたとか… 『還魂紙料』※けんどん屋図 「けんどんそば切り 」と 呼ばれたこれらの店。 「けんどん」 とは 出前 の意、 漢字で書くと 慳貪 … 『広辞苑』には、 ①けちなこと②愛想がないこと 3つ目に書かれるのが、 「江戸時代,そば、うどん、  飯、酒などを売るとき  一杯ずつ盛りきりにしたもの」。 「新版御府内流行名物案内双六」より 「巻飩 」とも書いたそうで、 その字の意味は 「落としフタ」細工を指します。 ただ… 「 つっけんどん=突慳貪 」        に由来するとも、 もともと1杯でも2杯でも お代は同じだったのを、 急に一杯いくら の商売に。 冷たい印象を与えたことで、 ケチとか愛想がない に通じたとも。 《しん板猫のそばや》より  四代 歌川国政 蕎麦は「食う」というより 「手繰る」 がよく似合う。 江戸時代の初期まで、 町人は蕎麦を手繰ることが できなかったそうです。 それまでは 蕎麦掻き 。 《与三郎一代咄シ      おとみ住家》より  三代 歌川豊国 蕎麦そのものは 縄文時代 から 食べられていたとか… 高知県では9300年前の花粉、 埼玉県も3000年前の そばの種が見つかっています。 蕎麦掻きは鎌倉時代から、 石臼の普及 と重なります。 《しん板猫のそばや》より  四代 歌川国政 1643年(寛永20)の 日本最初料理本 『料理物語』 に そば切りの作り方がみえます。 当初は 蒸籠 (せいろ)蒸し 、 いわゆる… 十割は茹で辛かった のです。 《鬼あざみ清吉》   三代 歌川豊国 蕎麦でいちばん有名な 浮世絵かも知れません。 「二八蕎麦」 は 蕎麦8:小麦2 という 割合という説。 《神無月はつ雪のそうですか》  歌川国貞  もうひとつは、値段が16文。 2×8=16の符丁 からきたとも。 符丁とは合言葉 のこと、 16文はいまの300円ちょっと。 画題にある 「そうですか」 、 「 京で辻君 、 大坂で嬬嫁 、   江戸の夜鷹 は吉田町」 屋台で暖を取る状景、 黒の衣裳、...