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阪急七福神めぐり〜呉服神社・恵比寿神

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阪急宝塚線の 西国七福神 めぐり。 1月に集印めぐりしたときのネタ。 阪急沿線「 西国七福神 」は、 阪急電鉄の創始者であった 小林一三さんが始められたもの。 1914年(大正3)からある 伝統的な参拝巡礼なんだそうです。 「 ミニチュア電車コース 」の 大福帳を阪急梅田駅を 500円で買い求め…いざ! ちょうど十日戎の残り戎の日に… 「 呉服神社 」は   くれはじんじゃ と読みまして、  日本書紀にある 「呉服・穴織伝承」を 今に受け継ぐ神社です。 応神天皇の時代、 呉服 (クレハトリ) ・穴織 (アヤハトリ) という姉妹がこの地に住みついて、 機織・栽縫の技術を 伝えたとされています。 絹布類を指す「 呉服 (ごふく) 」は ここから発祥なのです。 謡曲「呉服 (くれは) 」 は、 時の帝の臣下が、 西の宮に参詣の道すがら 「呉服の里」で織女との 出会ったことから始まる物語。 呉織が天女の姿となって現われ、 君が代を祝って舞を舞い、 綾錦 (あやにしき) を織って 献上するという曲なのだそうです。 拝殿は1968年に再建のもの。 拝殿内部の杉戸絵には、 狩野派の絵師 桃田伊信 の筆による 鶴と鷹が描かれているとか… 祭礼でない日にでもふたたび。 正面左右にある 鳳凰のステンドグラス 。 再建当初は反対の意見も 多かったそうですが、 モダンで粋な拝殿は “ 池田らしさ ”として 街の誇りになっています。 拝殿に向かって右側にある 「 末社 恵美須神社 」。 “ えべっさん ”と 親しまれる恵美須神。 狩衣姿で、右手に釣竿、 左脇に鯛を持たれる。 拝殿ではマイクで 福娘さん 、 参拝の人たちをお出迎えです。 おなじみの縁起物イロイロ。 1900年(明治33)に栄本町から 引っ越してこられ鎮座されたもの。 こちら「 叩き板 」 三度たたけば幸ち来る。 叩いてみたので上々かな? 池田・呉服神社 恵比寿神  阪急池田駅下車 西へ約300m

池田をあるく⑥ 池田銀行 本店

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北摂、阪神間に 展開していた 阪急系の銀行だった 池田銀行元本店。 「池田をあるく」最後に観たのがこの建物。 小雪ではなくしっかりと… 吹雪いておりました。 石貼りのように見えるが列柱も含めて、 ほとんどが モルタル成形 によるもの。 まさに左官さんイイシゴトされてます。 コリント式の列柱 も草花の装飾も、 石ではないという程度としか、 わからないほどの技が冴える。 青空のもとで観たかったと思う。 全体としてかなり正調な 新古典主義 。 内装は打って変わってモダンとか… 時間外だったので 中を伺うことは叶わなかった。 設計者は 戦前 ヴィーン・ゼツェッシオン とか ドイツ表現主義とかを 日本で実践したと名高い。 大阪の建築界重鎮である 片岡安 と ともに事務所を開いていた 石本喜久治 。 重厚な中にも ちょっと軽やかな感じを受ける… 改めてじっくり見据えてみたい。 「池田銀行 本店」 →泉州池田銀行 池田営業部 建築年:1952年(昭和27) 構造 :鉄筋コンクリート4階建 設計 :石本建築設計事務所(石本喜久治) 所在地:池田市城南2-16-16

池田をあるく⑤ 呉春の春

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摂津池田郷 池田銘醸 清酒「 呉春 」。 織姫伝説の呉服(クレハ)神社と 伊居太(イケダ)神社、 そして 文人画家 呉春 ゆかりの 「本養寺」もある池田。 最盛期には38軒の酒蔵があったそうですが、 自醸しているのは今ではここ「呉春」のみ。 池田と松村呉春との関わりは、 司馬遼太郎さんの 『 天明の絵師 』に見て取れますが、 愛妻を亡くした傷心で 池田の町に移住してきたのが 天明元年(1781年)のことだそうです。 翌年の春に近くの本養寺を訪れたとき、 池田の古称= 呉服(クレハ) の里で 春を迎えたことに感銘したとか。 その時に 月渓から呉春に改名 したそうです。 「十二ヶ月京都風物句画賛」 呉春 画 のちに京都・四条に戻った松村呉春は 四条派画家の祖として晩成しました。 「牛若丸句画賛」呉春 画 まさに池田という土地は、 呉春に新たな春を予感させたのかも? 「牛若丸画賛」与謝蕪村 画 与謝蕪村 は呉春の師匠であります。 いずれも逸翁美術館の持つコレクション。 ※『天明の絵師』1964年は 最後の伊賀者 (講談社文庫) に収録

池田をあるく④ 逸翁美術館

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小林一三の雅号「 逸翁 」 (いつおう) が冠された「 逸翁美術館 」。 「神さま 仏さま〜祈りの美術〜」 と題した特別展を観ました。 コレクションはもともとは 「雅俗山荘」に置かれていたのだそうですが、 「 一都市一美術館 」をとの小林の理念のもと、 「池田美術館」の建設が計画されていた この地に2009年10月に開館した建物です。 「雅俗山荘」設立50週年を期に新築。 「展示室・茶室・ホール・カフェという要素の配置の間に、  アプローチの前庭・エントランスロビーに  自然光を導き入れる中庭・エレベーターホールに  隣接する中庭を織り交ぜながら、  回遊性と奥行きを持たせた平面計画とした。」   竹中工務店 TAKENAKA DESIGN WORKS vol.12より せっ器質タイルに咲き誇る花、 マグノリア の花なのだそうだ 。 隣接するコンサートホールの名は 「 マグノリアホール 」。 阪急グループのシンボル? 小林一三さん愛顧のもの??… マグノリアとは モクレン のこと、 ちょっとイワレは解らなかった。 こちらは「 池田文庫 」。 宝塚新温泉にあった図書室が源泉と言われ、 上方役者絵や タカラヅカ歌劇 の ポスター コレクションなどで名高いそうです。 「 神さま仏さま 」の展示を… 「 那羅延天図像 」と言われるもの。 仏さまの名前や霊験=効用をまとめたもの、 仏さんのガイドブックとも言うべきもの。 「 熊野本地絵巻 」 室町時代の御伽 (おとぎ) 草子。 虎や狼も山神の命令により、 この王子を守護し養育するというシーン。 キリスト教の祈りに関する絵画も 展示されていました。 展示品の写真は けーぜの「阪急電車でゆるゆるとろとろ生活」 逸翁美術館2015早春展 「神さま仏さまー祈りの美術」より転載しました。

池田をあるく③ 雅俗山荘

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“ミスター阪急”と言われた 小林一三 さんの自邸だった   「 雅俗山荘 」へ… 生活の場であり芸術のための空間が 自分のおウチで実現させちゃった空間。 2階外壁の 「 ハーフティンバー 」がカッコイイ。 外壁に骨組みが露出しているのが 「ハーフティンバー」というく工法。 もとは材木不足だったヨーロッパが源流、 北米では広い空間を作り出すものとして発展。 外観も和風でもあり、洋風でもある。  玄関をはいると重厚な雰囲気が漂う。 瓦葺きの切妻屋根… 実は日本家屋とは違って、 半円形のスペイン瓦が組違いになってる。 外壁は「 リソイド 」という調合左官材料とか… スペイン瓦の屋根に淡黄色の塗り壁、 「 スパニッシュ様式 」の典型的な面構え。 2階吹き抜けの客室は空間で、 階段をあがると部屋を一望できた。 2階には執務室。 宝塚歌劇の創設や 演劇・映画といった事業を 数々と軌道にのせた審美眼は、 2階にギャラリーを設けるなどして、 自分が楽しむだけでなく、 愛好者にも楽しんでもらおうとした まさにサロンであった。 茶の湯についての造詣の深さは、 実業家の趣味の領域を遥かに超え… 庭園内には三つの茶室があるのだが、 茶室「 即庵 」は二方向に間をめぐらし、 椅子に腰掛けて喫茶するという大胆なもの。 60年以上も前にこんな斬新な茶の世界が、 生み出された事実は彼の先見性がみてとれる。 美しく手入れされた庭木たち。 上品なものと俗っぽいものを 「 雅俗 」と言うのだが… パブリックとプライベートが 同居しえた空間ということなのかも。 阪急の歴史をたどる展示もあった。 元々昭和初期に 京阪間を高速で結ぶ新線として、 京阪電気鉄道が設立した 子会社「 新京阪鉄道 」 によって 開業されたものが、 今の阪急京都本線ということ。 そして高校野球の発祥の地 「 豊中球場 」のこと。 くまなく見まわったが… 「 阪急ブレーブス 」の 展示は 見当たらなかった。 おそらく オリックス・バファローズ との、 絡みによるものな...