とこなめにきたにゃん六 陶に生き、陶を商ふ
常滑は焼き物の町であるとともに、 江戸時代から明治初期にかけて 廻船の町でもあった。 「 廻船問屋 瀧田家 」は、 1850年ごろに建てられた居宅。 木綿問屋も行っていたそうで、 1904年(明治16)に廻船経営から撤退するまで、 常滑の文化交流の拠点的な存在だったそうです。 主屋は上口の間、仏間、座敷二つが、 表玄関に縁側を持たせて建てられています。 上口の間には 招き猫 と 福助 はん。 こちらは「 弁財船 」 持ち船の積載は1000石ばかり。 伊勢大湊や常滑で作られたそうですが、 乗員は10名に満たないので、 いわゆる潮待ち船だったのだと思われます。 知多半島を拠点にする「 尾州廻船 」は、 伊勢湾〜江戸間を10日程度で結んでいたとか… 仏間には立派な仏壇、そして上方には神棚。 奥の座敷には床の間。 納戸には箪笥長持ちがズラリと。 尾州だけあって 名古屋城の着物もありました。 こちらは油を燃焼させるランプ「 無尽灯 」。 空気圧で下部のタンクから一定量をくみ上げて、 一晩中照らすことができすようにしたもの。 東芝の創立者とも伝わる からくり義衛門 の発明品である。 雪隠には陶器の便器…当初のものか? 奥手には離れがありました。 おそらくこちらが居宅スペースのよう。 床の間にあるのは大ぶりの朱泥の急須。 「 朱泥細字彫急須 」で諸葛孔明の 『 出師表 』が刻まれています。 「 陶彫のある商店街 」にも 巨大急須がありやした。 窯や さんの前にも巨大急須… 茶柱が立たないから、 考えこんでいるのだろうか?? 瀧田家さんの前が「 デンデン坂 」。 南の丘から湊に出入りする 舟の様子を主人に伝えたことから、 その丘を 「伝の山…通称でんでん山」と呼んだ。 この坂はデンデン坂と名付けたんだどさ。