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いざQVCマリンへ その六「フィールドウォーク」

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いざQVCマリンへ最終回・・・ 試合終了後になんと、 フィールドウォーク の機会に恵まれました。 レフト側のリリーフカーの入口から入場!! オールスターをやっていたフィールドを 体験できるなんて・・・・ラッキー。 仙台へ移動の オォトラさんたち と別れて、 グラウンド開放を体験してきました。 プロ野球のゲーム後のグラウンドに立つのは 京セラ 、 甲子園 についで3球場目です。 甲子園は 真冬でカチカチ     だったからかも知れませんが、 「アストロネクストターフ」 の人工芝は ソフトな感じでとっても気持ちいい。 長い時間並んでいたので・・・寝転がって堪能。 せっかくの フィールドシート でしたので、 ひょっとしたらひょっとするカモ??と。 千葉の試合球 を入手していたので、 外野をコロコロと遊んで来ました。 手持ちのサインボールには、 試合終了後にソフトバンクホークスの ハリー・ホーク にサインを!! とっても満足な虎次郎でありました。 バックネット裏のボードも オールスターのスコア そのまま・・・    なかなかの心づかいです。 さすがに ピッチャーマウンド は バリケードされていましたが、 ここまで近づけるのはなかなかない。 各キャンバスは開放されていて、 ちびっ子たちが べーラン に興じていました。 ちびっ子が土を採取してるのは 、 夏休みの自由研究 のはずに違いない(笑) ベンチ も間近で・・・・ さっきまでオールスターたちが 陣取って居ったのですから感激です。 かなり注意のアナウンスはされたいましたが、 フェンスに駆け上がる猛者多数・・・・ 虎次郎「アカマツちゃれんじ」ならず。 こちらは マツダRX-8 の特別仕様の             リリーフカー です。 試合中は交代のたびに リリーフカーのドアを開けるために マスコット登場していました。 ちなみにこの リリーフカー は、 現在はプロ野球では3球場しか使われていません。 「QVC」 と 「甲子園」 とあと       「 横浜スタジアム」 。 ですからこのオールスターでリリーフカーが 見れるのはこの 千葉だけ やったんですね。 レアじゃの・・・・・ あのMVPの表彰台とか・・・ フィールドウォークのサポートは、 千葉ロッテのチアたちがやってました。 このイベントが終わってから    仙台...

いざQVCマリンへ その四「日の丸ユニのセパ」

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3戦行われることになった今年の球宴。 デーゲームの 第2戦の開門は11時 、 ミスト替わりの霧雨のなか長い列を待って ようやくスタジアム内に・・・・ マーくんが霧雨に打たれていた。 お〜〜〜ついに 「千葉マリン 」や。 虎次郎の球場めぐりもこれで12球団目、 残すは西武球場だけとなりました。 まさかオールスターで来れるとは嬉し〜。 パが先にバッティング練習中・・・ アゴ川さん の顔芸が飽きさせない(笑) なぜか視線をたびたび頂くのはナゼ? 今年の プラクティスユニフォーム は、 日の丸をイメージした白と赤。 セパともに同じで何故か背番号が 縁取りが赤の白抜き・・・・ シートノックのボール回しも小刻み・・・ ハムの 陽 岱鋼 も満面の笑み まーくん は撮る人。 ダル と ムネ が “あいぽん” で記念撮影 ま〜くん 確認してもらふ。 パは底抜けに楽しそうやな〜〜〜 セントラルの打撃練習が始まる・・・ マートン がゲージに入る。 でも プラクティスユニって上だけ だから、 ハッピにみたいに見えてしまう。 平野ん がトスバに・・・ ハタケ と一緒にボールをひらう。 セカンドの守備練習に入ったときに、 大きな声で 「平野さ〜ん」 と叫んだら・・・ ペコリと挨拶してくれたぞ。感激や!! 平野んのトス ・その向こうに?? おっ 大木はん がキャッチ??? T岡田 のヒゲヅラとか。。。 グッチ の笑顔とか・・・ いよいよプレイボールなんだけど、   まだ引っ張ります(・ω・)v

いざQVCマリンへ その参「オリオンの星」

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「カモメの家」レポの続き (・ω・)v 「ホールオブフェイムゾーン」 歴代ユニフォームが並んでいました。 千葉ロッテマリーンズとなった 球団の系譜を辿ってみます・・・・ 永らく「オリオンズ」 というチームでした。 この名前は 毎日新聞 が新聞紙上で公募したもので、 第5位の 「オリオンズ」 を選んだのだそうです。 上位は、イーグルス、ライオン、 コンドル、エレファンツなどだったが、 「最も美しく偉大な狩人」 と称えられた ギリシャ神話のオリオンでもあり、 毎日新聞の社章も星 であったという事情も      あったそうです。 実はこの新聞公募の応募総数は40万通。 球団ニックネームの公募では、 今だに破られていない ギネス級な数字なのだそうです。 「毎日オリオンズ」 実はセパの2リーグ制となったきっかけは、 千葉ロッテの前身のこのチーム。 1950年に新球団 「毎日オリオンズ」 の 加入問題がことの発端でした。 「読売には毎日」 と ジャイアンツに牽制をかけようと 球団増設賛成派と反対派の結果が、 セとパの結成となります。 いまでこそNPBという組織がありますが、 リーグ間には深い溝が刻まれていました。 1950年のシーズンは、 セが「松竹ロビンス」、 パが 「毎日オリオンズ」 が制したのだが、 喧嘩別れのリーグが改めて雌雄を 決することになったのは、 実は当時のGHQにいた マッカート少将 というヒトの呼びかけによるものだったそうです。 野球好きやったのであえて口出ししたとか。 前年の 阪神タイガース は8球団中の6位に、 低迷を理由にエースであり兼任監督であった 若林忠志さんが解任されてしまいます。 これを契機に主砲の別当薫や中堅の土井垣武らの 5選手が毎日に移籍するという事件が起こります。 球団増設によって多くの既存球団には、 似たようなことが起こるのではないかとの シンパイが募ってきて混沌としたなかに、 「不正引き抜きの一掃」 とともに、 「日本シリーズの開催」、 そして 「単独のコミッショナーの設置」    を呼びかけたのだそうです。 最初の日本シリーズは 「日本ワールドシリーズ」 と銘打って開催、 GHQが関わっていたことを示しています。 「大毎オリオンズ」 1957年に 「高橋ユニオンズ」 が消滅し、 パ・リーグは創設時の7球団にとなります。 奇数チーム...