関大 天六からの訣別

発祥の地からの訣別をした 関西大学 。 大阪市北区鶴野町で あらたな拠点づくりをされるとか… 「関西大学は明治 19(1886)年に 夜間の法律学校として創立されました。 昭和4(1929)年に開設した 天六キャンパス(旧称:天六学舎)では、 この伝統を受け継いで長らく夜間教育が行われ、 数多の優れ た人材が輩出しました。 しかし、時代の趨勢から、 平成6(1994)年4月には第2部(夜間部)の 全学部を千里山キャンパスへ 全面移転することになりました。」… あんまり 関西大学のことは知らないのです。 いやホントに(TдT) 校門の表札も すっかり剥がされておりました。 門柱をみると照明器具をはめこんだ、 アールデコ だったようですが・・・ この外壁に想いを寄せるのも、 あと少しです。 よく見ると煉瓦塀だったようですね。 近くにはモダンビルがならぶ。 この界隈は 知の発信地 で あったのだと。 マチの公民館的存在「 豊崎東会館 」、 かつての名は 大阪市立心華婦人会館 。 2階窓下の 台形の凹み が なかなかオモシロイ。 ここにもコンクリートブロックの台座。 おとなりは もと「 大阪市立豊崎勤労学校 」。 勤労学校は男子児童向けで、 心華婦人会館方は女子児童向けでした。 豊崎勤労学校 には木造工場が併設で、 家具・玩具の木工、塗装などの 職業実習が行われていたそうです。 一般の学校が夏休みの時期には、 近くの学校の机や椅子などの修繕に 出向いって行ったそうです。 就学者には衣食が与えられていたそうで、 実習で得た代金や製品の売り上げは 児童に支給されたとか。 一部は貯金させて卒業後の資金づくりも… 修学資金だけを給付したり、 貸し付けたりする現在の状況とは、 隔世の感がありますが、 見習うとこがありますね。 さくら色に塗られた きれいな近代建築。 今は「みおつくし福祉会大淀寮」とも 称されていますが、 もとは1926年建設の 長柄共同宿泊所 。 共同宿泊所 とは、 単身低賃金労働に...