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イケフェス2018 青山ビル

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今年の イケフェス大阪 こと 「 生きた建築ミュージアム フェスティバル大阪2018 」… なんか事前予約の夕方に友だちの FB書き込みで気づいた。 当日のガイドツアーの参加証を ゲットできました。 なんとかなるものである。 青山ビル は伏見町2丁目にある 1921年建設の元祖テナントビル。 1947年に先代 青山喜一 が 野田氏より譲り受ける。 戦後 GHQにより建物接収すると いう話が持ち上がったそうですが、 GHQ将校の施設に条件に 接収を免れたのだそうです。 蔦が絡まっているので、 そろそろ紅葉が 始まっているでしょう… 実は蔦は二代目で、 今のは 甲子園 から 株分けしてもらったもの。 今は中華料理店が店を構えるが、 かつては ダンスホール があり、 建物の周囲には地下への明かり採り… 正面のアーチには、 かつては シャッター が 付いていました。 建物内の 上げ下げ機 … 海外製なので年季の入ったもの、 だから今は動かないので、 上げられたままになっています。 入居者の趣向に合わせてあるので、 各階ごとに共有エリアも 装飾が異なっています。 イタリア製 ステンドグラス や ガラス窓が残ります。 階段の手すりは ねじり細工 ガイドツアーで特別に 入らせてもらった応接室。 天井は 漆喰装飾 もう直すくれる 職人さんはいないそうです。 こちらは電話接続のパネル。 各室間は電話で行われていて、 交換手が常駐していたとか。 ビルに遺る 占領下の品 。 MADE IN OCCUPIED JAPAN と綴られる。 OCCUPIEDとは占領下の意。 床材は寄せ木 かつては 松竹芸能 の事務所に、 下面はオリジナル。 透明な部分は、台本とかの 背表紙が見えるように 入れ替えたのだそうです。 テナント最上階の階段部分。 ビル中央部には 荷物用のリフト 、 今は電設関係のケーブルが 上下している。 交換室があった屋上にも 特別に上がらせてもらった。 かつてはフレンチスタイルの 屋上庭園 が存在していた。 近くの三越で買い物して、 屋上庭園でお茶していた… 優雅なライフスタイルが かつてはここにありました。 ビルの裏手も特別に… クスノキ にイチョウ。 かつて専売制で取引されていた 「樟脳」は虫を寄せ付けない存在。 ビル自体は今もあまり 虫はいないそうです。 裏手の ...

イケフェス 2016〜 青山ビル

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蔦のビル「 青山ビル 」へ! イケフェス2016 青山ビル [特別公開] 定員なし 日時=11/5(土)・6(日) 両日とも9時~17時  『青山ビル』は元個人の邸宅。  普段非公開の部分も含め館内を公開。  一部テナント様のご協力により  複数のプログラムがございます。  夜はイケフェス色のライトアップを  限定でおこないます。 1921(大正10)年に野田源次郎の 個人邸として建てられたもの。 野田源次郎 は、「野田屋」という 高級レストランを天満橋と北浜に 構えた実業家。 渡欧の経験が建物に影響している… というのも ベルサイユ講和会議 に、 西園寺公望 に同行した人だとか。 アーチの玄関。 外観デザインは スパニッシュ様式 で、 設計施工は 大林組 です。 テラコッタ製 の 大きな窓台が特徴。 1947(昭和22)年に現オーナーの 先代である 青山喜一 さんが 野田家から譲り受け、 テナントビルとして 戦後の時を刻んてきたそうです。 外壁の蔦は2代目、 実は 甲子園の 蔦 を 株分けしてもらったものです。 階段は木製。 1階に厨房と食堂、 浴室と運転手控室。 2階が両親の子どもたちの部屋、 そして…3階が夫妻部屋。 「 桜屋珈琲館 」になっている部屋、 かつての食堂があったところ、 マントルピース と天井装飾は、 当時のままだそうです。 地階へと続く階段。 オリジナルの ステンドグラスが残ります。 当時アメリカで開発された オパールセントグラス ※ が、 多く用いられています。 主階段の踊り場には、 建具の格子にあわされ 分割された反復模様。 [※パンフより転載] 2階個室の具象的モチーフと、 裏階段2階壁に嵌め込まれた アーチ窓のもの。 エントランスホール アーチのモチーフが、 多用されていました。 27 青山ビル 所在地 :中央区伏見町2-2-6 建設年 :1921年 設計  :大林組 ※オパールセントガラス とは? アメリカの有名な宝石商ティファニー家の ルイス・コンフォート・ティファニーによって ...