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青輝流をたずねて

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昨日は スカイマークスタジアムに ブルーの虎の戦闘服を 見てきました。 カラーテレビの普及が急速に 進んでいた1970年代 ビジターのユニは、 ほとんどがブルーでした。 今ビジターでブルーを採用している チームがありませんね。 試合の方は マートンの先制ホームラ ン で、 今日こそはドン様こと岡田監督に リベンジと行きたかったのですが、 あえなく撃沈しました。 ブラゼルの一発は爽快でしたが。。。 1975年にブルーのビジターを 身につけていたのは9球団。 大洋と南海が「グリーン」で、 あと一つ奇抜だったのが あの 太平洋クラブ でした。 カラーリングといえば、 最近の ヤクルト のビジユニ は紛らわしいですね、 野球は選手の交錯があまり少ない スポーツではありますが、 ランナーがいるのかなんかようわからん時があります。 胸のロゴはほとんどが 会社名を採用していましたが、 1982年にオレンジのユニに Fightersと綴られたときは、 ちょっとビックリ。 MLBのアストロズに真似たとか。。。 ちなみに今回の 「輝流ライン」 のユニは、 カラーリングとしては 「ブルーグレー」 ってことになってます。 ちょっとネズミがかっているので、 球場のビジョンなんかで映ると 雲がかかった印象を受けますね。 暗雲たちはだかり、 今日の試合は早々と中止が決まりました。 いつ晴れやかになることやら。 そろそろ一番似合ってた 39番のキャッチングが見たい頃 。 虎次郎が遠征するサッポロでは そんなシーンを見られるか??

猛虎列伝5 神様が仏様にならんだ日

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ブルーの輝流ユニ24が、 福岡で貴重な同点打を打った!! 実はこのヒットで桧山進次郎選手の 代打での安打数が球団記録108に並んだ。 これまでの記録の持ち主も 実は背番号が24だった。 虎次郎がおそらく現役をプレーを 生で見たことのある最古参の猛虎が、 遠井吾郎 選手 その人。 人呼んで 『仏のゴローちゃん』 。 オヤジに連れて行ってもらった甲子園で、 代打で出場するのを待ちわびた 元祖 24番 でした。 当時は巨人軍がV9を達成していた頃。 柴田・高田・土井といった小技の スペシャリストがちょこまかした後に、 ONでドカンとやられてしまっていた 記憶はなんとなく残っているようにも思えます。 ホームランアーチストの田淵幸一、 三振奪取王の豪速球の江夏豊、 安打製造器の藤田平、 でも 「 鈍足軍団」のイメージがついていました。 遠井吾郎 選手の生涯盗塁は22個。 そんなゴローさんですが、 オールスターで何と ランニング・ホームランを記録してはります。 ロッテの アルトマン が、 ライト・フェンスに激突して肩を脱臼、 返球できずにいたところでの快挙だったそうです。 ゴローさんには こんなホッとする逸話も残っています。 江夏豊投手がなんと ファーストの遠井さんへの牽制球を、 カーブで投げたことがあるそうです。 「いいかげんにせぃよ!」と ニコニコしながら言っていたようです。 1966年には長嶋さんと首位打者争いを演じた。 故障もあって惜しくも二位に甘んじたが、 「いい思い出やね。でもな、    あのスーパースターの長嶋さんと  首位争いができただけで、満足ですよ」    なんてコメントも残っています。 ブルーの輝流ライン懐かし過ぎる。 22日のスカイマークが楽しみ(・ω・)v

猛虎列伝4 サウスポーのストッパー山本和

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ピンク・レディー の 『♪サウスポー』 って ウタ。 虎次郎が小学生の頃に流行っていた。 澤宮優 さんが書かれた 『プロ野球いぶし銀のベストナイン』 には、 サウスポーのモデルは 太平洋クラブライオンズ の 永射 保 投手がモデルとされているとある。 そういえば今年の埼玉西武ライオンズの 「ライオンズ・クラシック 2010」 は、 「太平洋クラブライオンズ」を取り上げるそうだ。 わずか4年間の歴史ではあった 「太平洋クラブ」 、 復活するユニは 73年から74年にかけたユニ だが、 1976年のいわゆる前後に番号のついた アメフト型ユニはピンク だったから。 正確には 「ワインカラー」 ってことになってるが・・ 永射と背番号1との対決は この1976年に実現している。 オールスターで3試合ともに登板し、 第2戦ではみごとに三振をとったらしい。 歌に出てくる 「魔球はハリケーン」 は、 永射 さんの大きく曲がるカーブのことか。 『♪サウスポー』 は 1978年3月にリリースの時期ともピッタリ。 「ピンク」「ハリケーン」「背番号1の男」と、 筋が通っているようにも思える。 でもこんな話がある1976年から リリーフ投手となったタイガースの 山本和行 さん。 作詞の 阿久悠 さんは誰もが知るトラキチだから、 『山本和行 VS 王貞治』 の方がしっくり来る。 ということは、 「魔球はハリケーン」 は 「山本和のフォーク」 ってことになるな〜。 ↑ライオンズ・クラシック 2010へ

虎次郎の嵬集癖 「通行手形」

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何かを集め出すと止まらない虎次郎。 何年経ってもその癖は治癒しないようだが・・ 一昔前 観光地などで売られていた 将棋の駒のような形のお土産 「通行手形」 。 実際は 鈴と紐が付いて 土産物屋に吊るされていた。 ペナントと二大勢力を誇っていた 少年が好む土産物定番という存在であった。 まだ 携帯ストラップ というものがなかった時代、 この形でキーホルダー化されているものもあった。 虎次郎が集め出したのは小学生の頃 、 確か最初は祖母の北海道土産だったように思う。 その数100個くらいはあっただろうか、 木の板にフックを付けて永らく吊り下げていたが、 家を建て直した時に段ボール箱へ。 その後ジャラジャラと鳴る塊は、 いつしか押し入れの奥へ奥へと。 そんな「通行手形」をこないだ 大英断をもって大量処分した。 もったいないようだが、 このまま持ち続けてどうするの ってこと。 これで床をフローリングにするという訳にもいかず、 かといってバーベーキューの燃料とも行かず。 ほとんどが木で出来ているが、 鈴は少々サビが出て紐は解れつつあった。 でも最後は想い出にと デジカメで記念にパチパチとメモリー化。 なかには小銭がいれられるようなものもあった。 そういえばバカバカしいコレクションが 虎次郎の部屋にはまだまだ眠っている。 これをシリーズ化するかはビミョーだ。 ちょっと気恥ずかしい気分でもある。 また訪れたい町 の名もあったので、 バカさ加減を自慢するのもと一興かと。

交流戦はじまる

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今年もセパ交流戦がはじまった。 交流戦も今年で6年目を迎える。 ここまでは勝ち数のトータルでも 交流戦優勝も どちらも パがセを圧倒している。 いろんな理由づけが 一般紙でもなされていたが、 さて今年はどうなるのであろうか。 同じリーグの全チームが負けるってことも あり得るのだからパリーグのみなさんには うんと励んでもらわなければならぬ。 阪神戦を除いてってことで・・・・ タイガースの交流戦といえば、 交流戦ユニの登場・・・ 実はパリーグのビジターユニにも この時期には マイナーチェンジが施されていて、 スポンサーワッペンが取り外されている。 セリーグでは球団名以外のいわゆる宣伝ロゴは、 ホームユニのみなのである。 それにしてもセリーグって ビジターにもう少し優しくできないのだろうか。 7回の表には交流戦なのだからそろそろ ビジター応援歌を流したらいかがかな? 「交流してやってる」 からの 卒業が望まれる時期に来ているのではないか。 ところで、 輝流ライン のユニは今日からレプリカが ネットショップや球場のショップにお目見え。 やはりこのユニで野球を覚えた年代だけに 血が騒ぎ過ぎてかなり危ない状況だ。 とりあえず 輝流ライン のユニの ミニノート と シークレットボールペン とやらを入手。 これだけでキモチが抑えられるのか? まったく自信がもてない なさけない虎次郎 である。 シークレットボールペンは750円。 やっつけ仕事のパッケージからは のっけに22が飛び出してビックリ。 0〜99まであるそうだ。 ということは?「10」「11」「23」の 永久欠番モノもあるのかな? そっちの方がレアものかもしれません。 この日は交流戦初日と言うことで、 ドリームリンクデーの 第3弾のリストバンド が配られたし、 さらに ファンクラブデー でもあり、 加えて虎次郎初体験の ドリームリンクシートデー でもあった。 ファンクラブデー の ルービックキューブ は 「39」 だったし・・・ ここでツキを使い切っていたのかもしれない。 ドリームリンクシートのマフラータオルは、 モノホン仕様でなかなかしっかりしている。 鳥谷新会長の筆 による 「夢」 ってのが 第1期分のバージョンになってる。 実はタイガースが勝利するとヒーローインタビューの 選手サインボールがあたるというオマケ付

猛虎列伝3 たてじま人生

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タテジマ一筋 って・・・・ 今やタイガースの中心選手は FA制度以降は元○○ってのが増えた。 田淵がいなくなり江夏が南海に・・・ 「放出」ってコトバで括られたトレード。 今は請われて移籍することが多くなった。 史上最強の先頭打者かと言われたのが、 今の 真弓監督 阪神顔でない男前に 女性ファンが急上昇した!! でもそんな移籍組の選手が将来の監督に なるなんて当時は考えられなかった。 ところで話はガラリと変わるが、 今年は広島東洋カープも 球団創設60周年のお祝いの年。 あのズンスタにはファンが選ぶ 「カープの星」 の レリーフが続々とお目見えしている。 こちらは 往年の名投手に巨人キラーの 安仁屋 宗八 (あにや・そうはち)さんのレリーフ。 第2弾としてズンスタで除幕式 が行なわれた。 シュートを武器に活躍したエース。 通算119勝124敗で、 うち巨人には34勝38敗。 沖縄出身で初のプロ野球選手として 広島に入団したのが彼であった。 この 安仁屋 さんタイガースにも 1975年から5年間在籍。 なぜか広島戦によく行った虎次郎の 小学生時代は安仁屋さんが 勝利投手になることが多かった。 移籍後 2年続けて二ケタ勝利 をあげられた。 虎次郎の甲子園通いに 火がついたころのビジユニ。 エースナンバー18 安仁屋宗八 さんのもの。 甲子園歴史館にあった。 そういえば、 ブルーのユニのパジャマ を着ていた覚えがある。 当時 ワコール からプロ野球のユニフォームモデルの パジャマが販売されていて、 誕生日にはそれを買ってもらっていた。 タイガースのはビジターユニも販売されていて、 試合にあわせて着替えるという徹底ぶり。 夏のロードの頃は急いで洗濯してもらって、 ナイターに備えていた。 バカさ加減は今と全く変わらない。 実はこのユニには 袖には虎ではなく Tigersと綴られていた 異彩を放つユニだが虎次郎には 思い出深いユニでもある。   

猛虎列伝2 “綿”の三遊間

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「吉田義男 と 三宅秀史 は “ 綿 ”、  広岡達朗 と 長嶋茂雄 は “ 絹 ”、  豊田泰光 と 中西太  は “ 麻 ”」 当時の三遊間は こんな感じでたとえられたという。 1962年9月6日の 大洋 戦 の試合前練習で、 起きた事故で左目を負傷した 三宅秀史 は、 862試合の連続フルイニング出場がストップ。 金本知憲 選手のストップは 横浜 だったし、 なんか運命的なものを感じさせる。 長嶋が横っ飛びで取る打球を 三宅は正面で苦もなく取る。 柔らかさと強さを兼ね備えた プレイヤーたちだった。 遊撃手・ 吉田義男 さん、 二塁手・ 鎌田実 さんとの 二三遊間はまさに鉄壁そのもの。 「日本球界最高の守備陣」といわれ 「試合前のシートノックだけで金が取れる」 とも言われた。 最近のサードは粗さが目立つ 。 横っ飛びより正面にしっかりと入る そんな余裕がほしい。       

猛虎列伝1 ホームラン・ブギと物干し竿

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♪一つかんと打ちゃ ホームラン・ブギ  広いスタンド 拍手が湧けば  飛ぶよ飛ぶ飛ぶ はるかのはるか  空の青さよ 芝生の芝生の青さ  カットバセ カットバセ  フレーフレーフレー 1949年に発売された 『ホームラン・ブギ』 。 作詞が サトウハチロー さん、 作曲が 服部良一 さん、 歌うは 笠置シズ子 さんだ。 You Tube は吉田拓郎さんのカバー。 ウタが発売された1949年に 46本のホームランを打ったのは 「初代ミスタータイガース」 の 藤村富美男 さん。 ルーキーの別当薫さんにライバル心を 燃やしたシーズンでもあった。 闘志あふれるヘッドスライディング、 派手な空振りに代表されるオーバーアクション、 ホームランを打つと帽子を振りながらのホームイン。 1694安打、ホームラン224本。 生涯打率.300。 「物干し竿」 とよばれる37インチのバット。 実は親交のあった大相撲の 神風正一 さんと、 ゴルフに興じていた時に思いついたものとか。 遠心力を利用したスイングは、 かなり前でさばかないと打てないバット でもあった。

着こなせるか?「輝流ライン」

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甲子園歴史館 にあった 「輝流ライン」 のユニ。 今年の交流戦はこのユニで戦う。 昭和40年代後半はユニのカラフル化が進み、 太平洋クラブライオンズや 日拓ホームフライヤーズの日替わりユニなど、 奇抜なカラーリング全盛の時代でもあった。 タイガースでも1973年までは 白地に黒のストライプの オーソドックスなものであった。 札幌オリンピックのシンボルマークや、 アサヒビールの企業ロゴを手がけた デザイナー 永井正一 さんが手がけたもの。 ギザギザ・ライン模様のラインは 「赤穂浪士の討ち入り衣装からとった」 とか 「新撰組の戦闘衣装がモデル」 とかいわれるが定かでない。 ギザギザは ロッテ のユニにも使われたことがあった。 このユニお披露目からチームは3連敗。 当時の 江本孟紀 投手いわく、 「あれはユニフォーム負けだよ。  田淵さんくらいなら何を着せても似合うが、  他の選手はどうもね」 。 かなりオシャレな選手が増えているので、 今年はダイジョウブなんだと思う。   

5月3日という日。

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ブログをはじめて 今日で4周年を迎えます 。 トラネタのパワーブログである 「 阪神守護天使・今日のおちちゃん 」も 今年が4周年なんですよね。 4年前も前日はセッキーの快打だった。 巡り合わせって面白い。 絵心のない虎次郎にとって、 欠かせない「おちちゃん」さん。 アクセス数には遠く及びませんが、 これからも辺境ブログをよろしくです。