投稿

12月, 2007の投稿を表示しています

淡麗辛口 江戸を制す

イメージ
     阪神守護天使・今日のおちちゃん より 虎次郎 。。。最近飲み歩いておりまして。。 ようやく 休肝日 を迎えております   「酒之上の久唾巻 (くだまき) 」       にはならぬよう・・・    「二三枡平気助」      それでも懲りずに   「続けて呑久郎」      とうとう   「二日酔之進 (ふつかよいのしん) 」     ということになっております。 灘とか伊丹とかの 上方から下ってくる酒のことを      「下り酒」 と呼びました。 上方の酒は 端麗辛口 で江戸の人を喜ばせました。 「下り酒」 に対して地ものの酒は、 「下らない酒」 と呼ばれていました。 「くだらない」 という   コトバはここから来るとか?? いわゆる 「下り酒」 は 辛口のお酒 でした。 甘酒でも分かりますが、 お酒は米が出来ているので甘さがでるのは宿命とも言えます。 辛口にするのには精米技術の向上が必要でした。 少ない米でいかにいい酒をつくるか? 「ムズ」 といわれる 麹 を増やせば、 少ない米で作るという技術は「灘」を中心に    まさに 「米が磨かれた」 のは江戸時代中期の頃でした。 足踏み精米機や川を利用した水車精米が広がり、  糠を3倍落とすことができるようになった  お蔭だそうです!! 今年もあとわずかとなりましたね!! くだらないネタ をさらに 磨けるよう !!  2008年もどうぞよろしく!!(・ω・)v

石山寺にて厄落とし絵馬

イメージ
滋賀県近江の瀬田に 紫 式部 があの 『 源氏物語』 の  想を練ったといる   石山寺 があります。 初詣モード スタンバイオーケー!? 大晦日に寄って来ました! 本堂(国宝)を含め境内の多くは、 天然記念物にもなっている 巨大な 硅灰石 (けいかいせき)の上に建っています。 石灰岩と花崗岩と接触し熱作用のため  変質してできたんだそうで、、 普通はこのような組み合わせだと 「大理石」 になるとか。 石山寺 のように大きな 硅灰石 になるという  ケースは珍しく、 石山寺 の名前はこの石に由来する。 本堂には 「 源氏の間 」 があり、   紫 式部 マネキンが  座っています。 この間の窓から 十五夜の月を眺めたときに、 霊感をうけ物語が 出来上がったと・・・   伝えられています。 ここの 多宝塔 はかつての4円切手の図案になったもので、 あの 源 頼朝 の寄進によるもの。 建久5年(1194年)に建立された最古の 多宝塔 です。 国宝および重文の二重の塔では日本一古いものです 「あけぼのは まだむらさきに ほととぎす」  というのは 松尾 芭蕉 が 石山寺 にたびたびここに  仮住まいをして残した句の一つ。 「明けようとして明け離れず、  雲もまだ紫色を帯びている曙の空を、  時鳥が鳴き過ぎる。」 という意味なんだそうですが、 紫 式部 の間を見て詠んだのやと思います。 紫 式部 に想いを寄せたんでしょう。。 石山寺 の本堂で、 「厄落とし絵馬」 を  求めました。。 来年は本厄の 虎次郎 。 「厄」 という字が 抜けるようになっていて、 厄を抜けるという 「厄除祈願 絵馬」 です。

福助さんがいく

イメージ
福 助 ネタをもう一つ・・ 福助のテーマソングってしっていますか??        一番はこうです・・・ ♪ ゆうべみみずの 泣く声きいた  あれはけらだよ おけらだよ  おけらなぜ泣くあんよがさむい  足袋がないから 泣くんだよ  おけらにあげよか 福助足袋を  こはぜが光るよ ちょいとごらん ←テーマソングHPへ おけらとは??  今ではあまり見なくなった昆虫だが。。。  バッタ目 ケラ科 大きさは3センチくらい。   茶褐色でコオロギに見間違える。。  細かい毛がはえていて体はビロード状だ!!   ミミズ や植物の根などを食べるから、   ミミズ が少なくなった畑から消えてしまった。  オス、メスともに鳴くが、  特にオスは、 ビーーーーー と大きな声を出す! この福助テーマソングは サトーハチロー が作詞で、  「どなたになにを」 という名前が付いています。 ♪ ゆうべみみずの 泣く声きいた          ってあるけど実はオケラが   ミミズ を食べながら泣いていたのかも、、、  ある意味残酷。。。。 話は変わるが、 福 助 は足袋で有名だが、、 オリジナルストッキングブランド 「f-ing(エフィング)」 は、 モデルにが 押切 もえ さん と 蛯原 友里 さんを  迎えて気合いを入れておられる。  f は Fukusuke(福助 )と Fashion(ファッション)    ing は 進化する 大学祭などのミスコンにも協賛しているという。 くわしくは、、 「Fukusuke Blog 福助さんがいく 」で!!

福助アウトレット。。。

イメージ
足袋でお馴染みの 『福助』 のアウトレットが 大阪・鶴見の はなぽーとブロッサム   にあります。 いわゆる ガチャガチャ が 店内に置いてあり、 細かいもん好きの 虎次郎 としては、 早速 おなじみの 福助 に 福助足袋が付いている ストラップをゲット 仕事運が青足袋 金運 が黄足袋 勝負運が赤足袋 家族運が紫足袋 旅行運が橙足袋 健康運が緑足袋 なんと 虎次郎 は シークレット福助で 恋愛運 をゲット!! お多福とペアです。 福助のマークですが。。。 時代とともに 移り変わりがあるようで、 いまやチト格好良すぎる?? ロゴマークに変わっています。 歴代福助。。。福助さんのHPより。。。 明治 38年頃   明治 44年頃     大正 2年頃      大正 10年頃   昭和 20年頃    昭和 27年頃      昭和 40年頃      平成 4年頃 FukuskeさんのHPへ

元町グルメ 老祥記の『ぶたまん』

イメージ
神戸の 『ぶたまんじゅ屋』 として 行列のできるブタマン屋さん     老詳記さん の紹介です。 中国は天津地方の、 天津包子 (ケンチンパオツー) と 呼ばれる饅頭を 日本人に親しみを持って 呼んでもらおうと 始められたお店が 老詳記さん です。 三代続いた神戸・ 南京町 のメッカとなっているあるのが このお店です。 饅頭の中身は豚バラ肉のミンチ+におい消しの  ネギを醤油で味付けしたもので、  お土産にならぶより店内で食べてみてください!! 実は 虎次郎 の父は大の神戸好きでして、 今のように 南京町 が観光地として整備される前から、 この 老詳記さん を気に入り、 年に数回は食べに来ていました。 老詳記専用ゴミ箱 ぶたちゃんが口を開けています。 ブタマン屋のヨコには  オフィシャルグッズショップもありました。 今やグルメ雑誌やテレビで有名になった、 『伊藤グリル』 さんや 廣東料理の『 民 生』 さんも、       お気に入りでした!! 最近はごはん時を外して、あえて平日に行かないと、 大行列に加わらなければあり付けません。 民生 のHPへ 伊藤グリルのHPへ

元町の洋菓子屋

イメージ
昨日から 冬休みに入りました!! 久々に 神戸・元町の肉まんを食べに、、、 それと 虎次郎 お気に入りの 元町・観音屋 のチーズケーキを 食べて来ました!! ここの手作りチーズケーキは、 オーブンで焼き上げた熱々のもの。 きめ細かくふわふわの 柔らかいスポンジは 少し甘いのですが・・・ 上のチーズケーキは塩味です。 まさにチーズ好きのためのチーズケーキです。  デンマーク直輸入 の 純粋チーズをブレンドしているとか。 今回はその 「観音屋」 が プロデュースする カフェダイニングに行きました。 ホットチャイ と一緒に 懐かしい味を楽しみました。 最近は 「楽天」 で通販も あるそうですし、 梅田の 阪神百貨店 では 不定期ですが出店が出ています。 4個入り で   1,500円くらいで売られています。

くるくる寿司の元祖は「くらわんか舟」?

イメージ
こないだ天六の 「奴寿司」さん行って来ました!! 天六といえば日本で最も長い商店街  天神橋筋商店街が有名です!! その天六のちょこっと入った所に 旨くて安い  寿司屋さんが並んでいます。 虎次郎がお気に入りが、 「奴寿司」さんです。 天満市場内に店を開いたのは   今から40年ほども前のこと。 林さんが始められましたのがこのお店、 今はその息子さんとお孫さんんが       握っておられます。 このお店の売りは「おまかせ」です。 普通はお寿司屋さんで握りを頼むと      二貫でてきますね。 当然、、好みで頼むので出るネタに偏りがでてきます。 お客さんはいろいろなものが食べられて、 お寿司屋さん側は在庫を抱えずにいいモノを提供できる。  まさしく一挙両得というわけです!! 「奴寿司」さん曰く・・・  「普段、回転寿司に行っている人は、   目の前に流れてくる皿を取って食べるだけのせいか、   魚のことを知らない方が多いです。そういう方には、   ぜひ魚のことに 興味を持って欲しいですね。   店に来て、   魚について色々質問してもらっもていいんですよ」と  「回転寿司は大手が多いので、安くで大量に仕入れて、   値段を下げるわけですが、その分、   どうしても冷凍ものを使わざるを得なかったりする。   そういうとこ ろに対抗するには、やはり、   できるだけ地のものを使うようにしたりと、          工夫しています」。 話しは少し変わりますが、 「くらわんか舟」って   知っていますか?? 淀川を上り下りしていた三十石舟に ご飯や寿司、酒やごぼう汁などを     売っていたのが 「くらわんか舟」です。 「くらわんか」とは 「食らわんか」→「食べませんか」の意味。 「くらわんか舟」の茶碗は波佐見焼が使われ、 料金の支払いは今日の回り寿司のように器の数で料金を計算したため、 昔も今も「輩」はいるもので、   船べりからこっそり茶碗を淀川に捨てて     無銭飲食を企む者もいたらしいです。 今でも川底からくらわんか茶碗が発見されるときがある。 今の回転寿司のルーツは「くらわんか舟」に  あったのかも知れませんね。。。(・ω・)v 淀川資料館のHPへ 「くらわんか舟」のネタ元

大根しめ。。。

イメージ
江戸時代の 大坂の風俗を語る 『守貞謾稿』 (もりさだまんこう) によると、 大坂の正月についてこのように書かれています。 下の絵は「浪花月次図屏風」に描かれている         年末の一面です!! ◇ 注連縄 (しめなわ) について・・・ 江戸では 「かざり」 と    呼ぶのに対し、 京阪では 「しめ」 と  呼んでいたようです。 とりわけ京阪のしめは、  江戸に比べ太く 「大根しめ」 と  呼ばれていました。 ◇ 門 松 について・・・  富豪や大家でも戸口両柱に松を釘付けし、  戸の上に粗末な注連縄を張るだけだったとか。 ◇ 雑煮 (ぞうに) について・・・  味噌仕立てで丸餅を焼いて入れ、  小芋、焼豆腐、大根、干蚫 (ほしあわび) などの  五種を味噌汁にしたとか。。 これらのネタは 虎次郎 が 町家衆 になっている 「大阪くらしの今昔館」 の 正月のしつらい で、 実際に見ることが出来ます!! 「正月のしつらい」 は、  12月19日(水)から       1月14日(月)まで!!   なお、12月26日(水)〜1月3日(木)は休館です。

フィンランドのクリスマス

イメージ
梅田の阪神百貨店で 「北欧フェア」 を やってたので昨日覗いて来ました。 フィンランド 語でクリスマスのことを  「ヨウル」 (Joulu) と呼ぶんだそうですが、、、 フィンランド 人 には「クリスマス」の前に   独立記念日(12月6日) があります!! なんとこの日はこないだのブログで書いた 聖ニコラスの祝日と同じ日です。   独立記念日 と同じ日なのは偶然ですが、 12月は フィンランド に暮らす人には、  特別な月なのだと思います。 北欧 の童話に登場する森の妖精 「トロール」 を  テーマに誕生したハッピーチャーム。   「トロールビーズ」 なんかとともに、 やはり北欧と言えば 「クリスマスグッズ」 が 所狭しとならんでいました。 なかでも フィンランド の雑貨は、 とても洗練されたものばかり、、 人形作家 タイナ・マルヤネンさん が作る 愛らしい妖精は 「椅子付きトントゥ」 は  4,500円くらい。。 ちょっとほしかったんですが、 同じコーナーにあった 福袋3,800円 を      買って来ました!! 「 トントゥ」は入っていませんでしたが、 ☆ クリスマス  サンタ陶製オーナメント             5つ ★ ハンドペイント   木製ボックス       1つ      ☆ エッグ型木製 クリスマスオーナメント       2つ そして。。。 ☆ 春を告げる  木製のチューリップ       5つ とてもお得なクリスマス福袋でした!!  大満足です!!(・ω・)v   トントゥ をもっと知りた〜い!  →  ←2007/12/09 「 サンタとブタの関係(・ω・)v」へ  (聖ニコラスについて。。。)

BIOMBOって???

イメージ
屏風のことをヨーロッパでは   「BIOMBO (ビオンボ) 」         と呼ぶそうです。 スペインやポルトガルでは 今も 使われているとか。 先日まで大阪の大阪市立美術館では、 特別展   「BIOMBO /屏風」 が開かれていました。 虎次郎 はやむなく観に行くことができなかったのですが、 美術館のホームページから楽しみました!! 「レパント戦闘図・世界地図屏風 」  六曲一双  桃山時代(17世紀)  兵庫・香雪美術館 屏風は 折り枚数を曲 といい、六曲だと折り目は5つ。 それが二つセットで 一双 という。 この屏風は「六曲一双」ということになる。 馬戦車に乗ったヨーロッパ軍の指揮官には “ろうま乃王” と記されているという。  西洋画の中に 日本語 ??面白い。 スペイン や ポルトガル との南蛮交易では、 漆器とともに屏風は重要な輸出品だった。 「白絵屏風」   六曲一双 江戸時代(18-19世紀)  京都府立総合資料館 こちらは、出産の場でもちいられる 「白絵屏風」 という特殊な屏風です。 古くは日本人は 出産に際して、 邪気を祓うために 白い装束をまとったりした。 「白絵屏風」 を置くことも  そこから来るんだろう。 清浄な「白」を 基調とした異空間は、 実は出産という 生と隣り合わせに 死への畏敬の念なのかも。 「栄華物語図屏風」 にもその使われ方が描かれている。 屏風は風をよけたり視線をさえぎる調度品だった。 今でいう パテーション っていうことか?? 臨終の時には 屏風を天地逆さまに立てる 「逆さ屏風」 という 風習があったという。 この絵は 川原 慶賀 という 長崎の日本人絵師の 《人の一生図》という 「死去」の部分だ。 屏風の字が逆さまだ!! 川原 慶賀 (1786-1860?)は、 あの日本に近代西洋医学を伝えた シーボルト (1796-1866)が 数多くの植物画を描かせ長崎の日本人絵師だ。 話が屏風から少しズレてしまった。。。 先日、京都で大学の時に 博物館学芸員課程 でお世話になった 先生と一緒に 「すき焼き」 を食べる機会があった。 その時に骨董を扱われる先生曰く 「この頃 屏風が売れない」 のだと。 日本家屋にパテーションが  必要でなくなったからだとか。