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日比谷ぷらす 日比谷公会堂

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日比谷といえば… 「 日比谷公会堂 」ですね。 東京で暮らす人にとっては、 世代を問わず馴染み深い建物。 「大阪市中央公会堂」の 赤レンガ建築 とは違う、 モダンゴシックとも言われる、 とてもシャープな 印象を与えていました。 実は「日比谷公会堂」として お馴染みではあるのですが、 時計塔がある部分は「 東京市政会館 」。 1920年(大正9)に 東京市長になった 後藤新平 が結成した 市政調査会 という 研究機関の事務所だったところ。 80年経った現在も、 2つの役割を同居させているという、 とても価値のある建物なのです。 市政会館のエントランスホール、 当時流行の スカイブルー のタイル。 昭和初期のモダンさが 堪能できるポイントが、 そこかしこに見られました。 現在は 市政専門図書館 という、 役割を果たしています。 当初からエレベーター、 暖房・換気装置、 防火装置、 メールシュート などなど、 電話設備に至るまで最新鋭の設備。 世界でも最先端を行く オフィスビルとして誕生しました。 「賃貸先は公共性の事業を  営むものとすること」 が入居条件、 現在も財団・社団法人17が そのテナントとして使用しています。 東京市政調査会が建設要項には、 この建物が「二個の供用目的を有」 することに加え、 「地上6層以下。  ただし 別に時計塔を設置する こと」 との細目が指定さていたそうです。 早稲田大学工学部教授であった 佐藤功一 さんの設計案が採用、 すぐに実施設計にかかったのだが… 建設予定地が 公園内であることなどを 理由に建築認可が難航し、 最初の申請から丸4年を経過、 許可にこぎつけるまで、 設計案が大きく変更したとか。 基礎工事に着手直前に、 あの 関東大震災 が発生。 軟弱地盤 とされたこともあって、 18メートル余の松材坑木を 2200本も打ち込んだ上に、 鉄筋組みの基礎にコンクリートを 流し込む工法を2年がかりで実施。 そのおかげもあって、 今も地盤沈下が目立つ地域ながら、 建物にはほとんど影響が ないということだそうです。...

村野藤吾のファサード⑭ 大阪ビル東京分館

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「 日比谷ダイビル 」 ここにはかつて 大阪ビルディング東京分館 。 建物自体は昭和の末に姿を消した… 窓からなにか鬼やら獣やらが、 見下ろしている。 1927年竣工の旧大阪ビル 東京分館一号館を飾っていた 鬼面・獣面 像たちである。 すっとぼけた豚 もおる。 村野さんは 「もう六十年も前のことだから  忘れちゃったが、  でも豚ってかわいいでしょ」と。 こちら大阪ビルディング 東京支店 第二号館   1931年6月に竣工され奥に一号館。 日比谷ダイビルの エントランス両側ともに、 ブロンズ像がある。 こちらも旧ビルの正面 2階外壁にあった男女像。 大阪本社の玄関を飾っている 鷲と少女の像と同じく、 大国貞蔵 の手によるもの。 こちら中之島にある ダイビルの像。 見上げると… 摩訶不思議??? 1987年辺りに解体された、 旧ビルのテラコッタたち。 新ビルの印象を与えたいはずが… ここまで使っているとは、 予想を大きく裏切り、 至る所にそれは飾られていた。 かつては、 こんな目線に近い位置ではなく、 60年あまり見下ろしていた その異型なるものたちが、 時代を超えて間近に。 水まで吐かされていたから、 びっくりである。 普段このビルを使う人は、 あまり気に留めていないようだが。 初めて見ると… 笑わずにはいられない。 旧一号館の通用口にあった 小アーチだというもの。 ここにも羊がおった。 富をもたらした家畜 として、 多くのビルでおなじみ。 南都銀行本店 にもいました。 旧二号館の装飾だという。 一階外壁にあった石のレリーフ。 ブドウの下にいるキツネ。 実はこのビルが建て替えられる時、 ある新聞社を通じて、 金沢の女性が、 豚さんの助命嘆願 があったとか。 ハムにならずによかったなり。 「日比谷ダイビル」 竣工年:1989~1991年 設 計:日建設計(沼口行秀) 構 造:鉄骨造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造)     地上21階・地下3階