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ウチナー・グスクを征く⑪ 今帰仁城その5

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今帰仁城の裏門にあたる 志慶真門郭 (しじまじょうかく)へ 主郭から 脅かされつつ… 見学用の階段を 下りてゆくと 城壁がほぼ原形に 近いかたちで残っており、 戦略的に重要な場所 で あったことが長年の 発掘調査で分かっています。 主郭から見下ろすと こんな感じです。 標高100mの古期石灰岩の 独立した丘の上にある城は、 生活用水には不便であったと されています。 地元の古老によると… 志慶真川 から急な崖を 登って水を担ぎ上げたとも。 段々畑のように造成された 平場には建物跡があり、 うち4棟の掘立柱建物跡が 示されています。 相当な広さで炉跡もあり、 多くの家臣たちの生活の場が ここにはありました。 今帰仁歴史文化センター には、 陶磁器などの出土品が 展示保管されていました。

ウチナー・グスクを征く⑩ 今帰仁城その4

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グスクを征く とするのか、 ウタキを辿る とするのか… 今帰仁城には拝所が いくつもあり 火神の祠 は、 主郭のなかにあります。 多くの礎石が現存していて、 桜の植樹の影響もあって、 いくつかは一部移動 させられてはいるものの… 1982年から4年間の発掘調査で、 13世紀末から17世紀初めまで、 機能していたことが分かりました。 尚巴志王 によって滅ぼされ、 1422年に第二子である 尚忠を山北監守 として、 ここに派遣してきます。 首里より遠く、 地は険阻 人は驍健 である、 というのが監守派遣の理由です。 険阻 (けんそ)とは地勢が険しい、 驍健 (ぎょうけん)は強く健やか。 今帰仁から監守が 引き揚げたのは1665年。 翌年には 今帰仁間切 は分割、 伊野波間切 (のちの 本部間切 )が 創設されたそうです。 間切とは沖縄の旧行政区画名。 「間」は区域、「切」は それをくぎることの意味。 今帰仁監守引き揚げ後、 火神の祠を祀られました。 現在の祠は戦後改築したものを、 整備事業により現在の場所に 移築したのだそうです。 「山北今帰仁城監守来歴碑記」 実はコチラがオリジナル 今帰仁歴史文化センター に 保管展示されています。 拓本もあり解説には、 「碑文は北山の歴史から  説き起こし、  今帰仁按司 一世  尚巴昭威  (しょうしょうい)から  十世 宣謨 (せんも)に  至るまでの歴代按司が  今帰仁城を立派に治めてきた  事が記されている」 とありました。 旧宅地であるかつての 根所の火の神 だったそうです。 祠内には香炉と、 火の神を象徴する石が 置かれていました。 福木(フクヂ) とともに この地を護っています。 ※このブログも  沖縄県今帰仁教育委員会が編纂された 「今帰仁村文化財ガイドブックvol.1  世界遺産 今帰仁城跡」を参考にしました。

ウチナー・グスクを征く⑨ 今帰仁城その3

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「今帰仁の城  しもなりの九年母  志慶真乙樽が  ぬきゃいはきやい」 城南にある「しげま村」に 乙樽 という黒髪の美しい、 見目麗しい乙女がいたとか… 今帰仁御神と呼ばれ、 時の 北山王の側室 でした。 王妃に子が授かり、 平和な城内のときの頃、 季節はずれの密柑が 実ったことに喩え、 子どもはしゃぐ声に 満ちたときでした。 こちらが「 大庭 」 ウーミャー と読みます。 「城内下之御嶽 ソイツギ」 城内には最も聖なる 御嶽のイベが2つあり、 神名は ソイツギノイシズ御イベ 、 旧暦8月のグスクウイミという 祭礼のときに今帰仁ノロが 五穀豊穣の祈願をする場の一つ。 こちらが 北殿跡 ハサミギャー 北殿跡の北側、 一段高いところ「 御内原 」 ウーチナバル と読みます。 女官部屋 が置かれ 男子禁制でした。 今帰仁阿応理屋恵 という 神女らが居していたところ。 聞得大君の下の高級神女、 三十三君の一人※ である 今帰仁阿応理屋恵は、 北山監守の今帰仁按司 か 阿応理屋恵の子孫が 務めたのだそうです。 琉球王国が成立する前、 三山鼎立 という時代が あったとされています。 最近の研究では、 諸按司の抗争から 形成の小国家だった と 理解されています。 山北の滅亡 は、 1416年とも1422年とも。 山北王の家来であった 本部平原 (もとぶていばら)の 謀反もあって、 中山王の 尚思昭 (しょうししょう)が 周辺の按司を組みさせて 今帰仁城に攻め入ったのです。 『琉球国図』には、 首里城は 「琉球国都」 今帰仁城は 「伊麻奇時利(イマキジリ)城」 と記されています。 『琉球神道記』 1605年には 今鬼神 、 「今帰仁」 という漢字が 当てらたのは近世からのこと。 ウーミャーで 常時水をたたえる カラウカー という場所。 女官たちが髪を洗ったり、 水量での 吉凶占い のスポット。 旧暦7月盆明けの 大折目 の際には、 今帰仁ノロ率いる 神人たちの巡礼の場所と なっていたそうです。 ウーミャーもうひとつの御嶽 「テンチジアマチジ」 。 沖縄古謡「おもろさうし」に 今帰仁のカナヒヤブ とあり、 テンチジアマチジは俗名、 テンツギノカナヒヤブノオイベ というのが神名だそうです。 旧暦7月のウブウイミ、 8月のグスクウイミでは、 祭礼が執り行...