盛夏2025 湖東をゆく 米原・青岸寺


盛夏のころ米原市の青岸寺
本尊 木造聖観音菩薩坐像は、
1375年(永和元)に
佐々木六角氏頼により
金剛仏師 讃岐法眼 尭尊
刻ませたものです。

左手に未敷蓮華(みふれんげ)を握り、
右手は添えるようにかまえ、
右足を外にして結跏趺坐の形。
天台宗系の密教像
あるとみられています。

像底部の墨書から
仏師 尭尊(ぎょうそん)は
三条門弟とあり、
京仏師の流れをくむ
仏師と考えられれています。

曹洞宗 吸湖山 青岸寺
吸湖山(きゅうこざん)という山号…

延文年間(1356年 - 1381年)、
近江守護の京極高氏によって
不動山米泉寺の名で創建。
戦国時代焼失、慶安3年(1650年)に
彦根藩主 井伊直澄の命により、
敦賀の住民 伊藤五郎助の援助を得て
再興されました。

このとき曹洞宗に改宗され、
彦根市河原にある大雲寺の末寺に。
明暦2年(1656年)、
伊藤五郎助が没したことを悼み、
五郎助の諡 "青岸宗天" に因んで
青岸寺と改めたときに、
山号も吸湖山へと改めたそうです。

湖東に点在する近江七福神
一つでもあり福禄寿がお出迎え。

築山林泉式枯山水の庭園は、
1934年12月に国指定名勝に
指定されました。
1000m以上にも及ぶ広い庭園一面に、
多数の石が豪華に配置されています。

右手奥の高所に三尊石を兼ねた
二段構成の枯滝石組を組み上げ、
滝組から水がほとばしり、
中央の池に流れ込み、
大海に変わっていく様子が、
石組と苔により表現されています。

海には亀の上に鶴が乗った様を
石組で表す蓬莱島
切石の反り橋が架けられています。

青岸寺の寄せ灯篭
竿は織部灯篭、字形はなく像のみ、
中台は灯篭の笠を逆にして
使用した六角形、
各々のところに小穴があり、
もとは風鈴のようなものが
釣り下げられていたと思われる。

六角の火袋に地蔵尊が浮き彫り、
笠は蓮華寺風ともされるが、
抽木形の折衷とも…。
作庭される際に、
持ち運ばれて置かれたようだが、
どこから持ち運ばれたのか?。

蹲もさまざま



1904年(明治37)に書院と
渡り廊下が建てられたときに、
庭園の地割が改変され、
庭園上部の枯山水庭園は、
書院のために造られたものとか。





1904年(明治37)に永平寺 64 世の
森田悟由禅師が永平寺と地方寺院との
旅路の途中で休憩するため、
永平寺の大工によって建てられた書院。
禅師の号から"六湛庵" (ろくたんあん)
と名づけられました。

書院の構造が華奢で、
長年劣化により軸部の歪みや
外壁の剥落などの状態で、
補強工事などが2年間かけて
2018年に完成しました。









お盆期間中でお休みだった
茶寮 喫茶去 kissa-ko

オシャレスポットでもあるのです。

現代アートも…





青岸寺門前には"金毘羅大権現"

1803年(慶長8)に米原湊
彦根藩の命で開湊され、
中山道を経てここから
湖上を経て大津や京へ
物資が運ばれたそうです。

湊を見下ろすこの地に、
湖上交通の安全を願いで
祀られたのだそうです。




吸湖山 青岸寺
境内:滋賀県米原市米原669
最寄駅:JR米原駅東口より徒歩7分

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