清水寺をあるくvol.2 清水の舞台から…
思い切った決断を意味する
「清水の舞台から飛び降りる」。
歌川芳梅《滑稽都名所 清水寺》、
傘を両手に女性が宙を舞う…
非現実的な構図だけど、
実は作り事ではないらしい。
『清水寺成就院日記』によると、
江戸時代には234人が
飛び降りたという記録が残ります。
成就院は財務や対外交渉を
担当した塔頭で、
業務日誌が残されていました。
境内の事故を町奉行に報告する
義務も担っていた、
年齢や性別、居住地、
動機などの詳細な記録です。
舞台が描かれていないが、
題は《清水舞台より飛ぶ女》。
鈴木春信が1765年に描いたもの。
大きな番傘を手に…
江戸期の記録の死亡者は34人、
生存率は約85%。
多くの動機は
「自殺ではなかった」のです。
自らの体を痛めて修行すると
往生できるという信仰もあり、
清水寺で観音様に願いをかけた後、
舞台から身を投げたということ。
願いが叶うときは怪我もなく、
そして…
たとえ命を落としても成仏できる
と信じられていたようです。
当時は舞台の下に木々が多く茂り、
地面も軟らかな土だったことも、
生存率を支えていたのでしょう。
『成就院日記』にもどります。
「自分の病気の治癒」「母の眼病」
「暇がほしい」などが動機として
記されているようで、
自殺願望ではなく、
信仰心の篤さが看て取れます。
自らの体を痛めて修行すると
往生できるという信仰もあり、
清水寺で観音様に願いをかけた後、
舞台から身を投げたということ。
願いが叶うときは怪我もなく、
そして…
たとえ命を落としても成仏できる
と信じられていたようです。
当時は舞台の下に木々が多く茂り、
地面も軟らかな土だったことも、
生存率を支えていたのでしょう。
『成就院日記』にもどります。
「自分の病気の治癒」「母の眼病」
「暇がほしい」などが動機として
記されているようで、
自殺願望ではなく、
信仰心の篤さが看て取れます。
《洛東清水寺》徳力富吉郎
1872年に京都府が禁止令を出す。
そして、舞台の周りには
防止用の竹矢来が組まれます。
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』、
「観音さまに願をかけて舞台より
飛び降りる人がいるがけがをしない」
と弥次喜多に僧が解説…
式亭三馬の『浮世風呂』には
「清水の舞台から飛んだ
と思うて十二文」と、
野菜を値切る場面。
江戸後期には「清水の舞台」の
言い回しは広く使われていました。