四天王寺のお猿さんのこと


本邦最初 庚申尊

『摂津名所図会』天王寺庚申堂


江戸時代の図会にはこうあります。
「庚申堂 南大門の南にあり。
 青面金剛 三申 梵天帝釈 
 四鬼 薬師如来 如意輪観音
 地蔵菩薩等を安置す。」

寺伝によると…
「大宝元年正月七日庚申の日、
 豪範僧都が疫病に苦しむ
 多くの人々を救わんと
 一心に天に祈ったところ、
 帝釈天のお使いとして
 童子が出現」と、
大宝元年とは701年ですから、
平城京遷都の前ということ。

庚申の縁日には境内に
「北向きこんにゃく」の店が
出て賑わうそうでして…。

「病に勝る」「魔も去る」という
三猿堂の加持を受けたならば、
痛い所もたちまちに治るとか。
こないだ左太もも吊ったし、
またお願いしようかな…


本堂前の石柱には「見猿🙈」

聞か猿🙉」

そして「言わ猿🙊」

慶長年間に豊臣秀頼により再建、
ただ1945年3月の大阪大空襲で焼失。
今の庚申堂は、大阪万博での休憩所
移築・改修されたものとか。

青面金剛童子は秘仏として
厳封されているそうで、
御開帳は60年毎の庚申年。
次回は2040年ということ。

聖観音菩薩像を取り囲む
庚申さんの奉納塚

裏手にまわると「猿竹墓」?
天保11年にここを訪れた
岸和田の陳阿和尚の
竹杖日記』によると、
庚申堂には猿がいたそうで…
「窓より。やせさらぼひたる猿
 ふたつ。顔だしつ。
 毛なンどところどころぬけて。
 いと。見にくし。
 これを守り居る男に。此けもの。
 いつほどよりか。かく物するぞ。
 ととヘバ。ここに来りて。
 四十年にも成ぬらんといふ。
 犬猫などにくらぶれハ。こよなう。
 いきてあるもの哉。
 と人々あハれふ。」

境内にかつて、二匹の猿がいたと…
ただ痩せて40年生きていた
なぜ三猿ではなかったのか?
三猿のことは、
"Three wise monkeys"
として世界的にも知られる。
なぜ "賢い"の意「wise」を
あえて付けるのか?

日光東照宮の三猿は、"神厩舎"
というところに居ますね。
神馬をつなぐ厩(うまや)のこと、
古くから厩猿信仰があって、
猿が馬を守る」という
思想がありました。

《石山寺縁起 第5巻》より

猿の頭蓋骨や手などを祀り、
厩の火災防止、衛生、
牛馬の無病、安産などを
祈願したものでした。
陰陽五行思想では、
馬=火、猿=水 でした。

実際 厩では馬を守っていたとも…
宮島のニホンザルでは鹿の上に
乗って毛づくろいする猿がいます。
馬と猿が生息環境が違いますが、
鹿や猪はサルの生態を
うまく利用していることがあります。
サルの群れは木から木へ
飛び移りながら木の実を食べる…
でも木を揺すれば実が落ち、
地上で生活する猪や鹿は、
おこぼれを食べる。

樹上で異変が起これば危険信号…、
情報共有が図られると信頼関係が
生まれやすいのは、
動物も人間も同じということ。

ふたたび『竹杖日記』、
境内である翁に刻を尋ねたら、
「七つさがり」と答えられた…
七つ時は"申の刻"とも、
午後4時の前後2時間頃です。
「七つさがりの雨と
 四十過ぎての道楽は止まぬ」
の狂歌にかけたもの。
四十過ぎると"道楽猿"になるのか。

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