湖東三山のもみぢば〜松峯山 金剛輪寺 本堂大悲閣へ

金剛輪寺は山号を松峯山、
開山は聖武天皇の勅願で
行基菩薩により741年(天平13)。
比叡山より慈覚大師が来山し、
天台密教の道場に、
天台宗の大寺院となりました。

本堂内陣の左手に祀られる
開祖 行基菩薩と
中興の祖 慈覚大師円仁。
12世紀末から13世紀の造像で、
数少ない大師の古像として
貴重な存在となっています。

そして比叡山中興の祖、
慈恵大師 良源像。
観音様の化身とも言われ、
観音三十三身の数、
あるいはその倍数の像を造立、
ご利益を求めることがあったとか。

惣門には"聖観音"の大きな提灯、
"黒門"とも呼ばれ、
1794年(寛政6)に建立されたもの。

近江西国 第十五番の御詠歌
「分け入りて 仏の恵み
松の峰 嵐も法も 声かとぞ聞く」
山門から本堂までの長い石段、
山岳城郭であったころの趣を
今なお残していました。
まさに"分け入りて"の本堂へ…

石段を登りつめたところに、
僧の機智により織田信長の
焼き打ちによる焼失の
難を免れた本堂大悲閣、
三重塔、二天門があります。

長い山道を登ると最後に
虎次郎ゴロシの石段、
二天門を見上げたころは、
1794年(寛政6)に建立されたもの。

近江西国 第十五番の御詠歌
「分け入りて 仏の恵み
松の峰 嵐も法も 声かとぞ聞く」
山門から本堂までの長い石段、
山岳城郭であったころの趣を
今なお残していました。
まさに"分け入りて"の本堂へ…

石段を登りつめたところに、
僧の機智により織田信長の
焼き打ちによる焼失の
難を免れた本堂大悲閣、
三重塔、二天門があります。

長い山道を登ると最後に
虎次郎ゴロシの石段、
二天門を見上げたころは、
バテバテで写真なし。

当初は八脚門の楼門でしたが、
のちに上層が失われたそうです。
自然石が礎石に用いられ、
和様であって室町時代のもの。
右に増長天をまつる。

左に持国天、いずれも金剛柵が
設けられています。

本堂 大悲閣
入母屋造りの檜皮葺で
七間四面の豪壮な建物です。

当初は八脚門の楼門でしたが、
のちに上層が失われたそうです。
自然石が礎石に用いられ、
和様であって室町時代のもの。
右に増長天をまつる。

左に持国天、いずれも金剛柵が
設けられています。

本堂 大悲閣
入母屋造りの檜皮葺で
七間四面の豪壮な建物です。

"大悲閣"とは慈悲の仏である
観音さまのいらっしゃる所、
全国各地に大悲閣がありますね。
本堂外陣の正面の扁額は、
聖武天皇の宸筆とされる。
宸筆(しんぴつ)とは、天皇(天子)ご自身が書かれたの意。

1952年に国宝指定、
東京オリンピックで、
日本建築の代表として精巧な
10分の1の模型が制作され、
東京国立博物館の記念展で展示、
海外からの人たちにも
多く知られるようになったそうです。

文永弘安の両役に鎌倉の北条時宗が
近江守護佐々木頼綱に命じ、
近江国中の祈祷寺社に
元軍降伏の祈願を修せしめ
元軍が敗北した。
そこで、
守護 佐々木頼綱は
本堂を再興したと伝わります。

本堂内陣
秘仏本尊は厨子のなかに、
その前に本尊御前立、
本尊の四方を守護する四天、
左右に二体の阿弥陀如来坐像、
そして不動明王立像、
毘沙門天立像が安置されています。

左側はゆったりと腹前で
弥陀定印である上品上生印の
結ばれた結跏趺坐の阿弥陀如来。
平安時代の作像とされています。

来迎印 上品下生の阿弥陀如来、
胎内銘文によると仏師 経円が
1222年(貞応元)に造立を始め、
1226年(嘉禄2)に完成されたと。
いずれも山内諸堂などの本尊で、
本堂に移されてきたのものです。

こちらが御前立

厨子の左は毘沙門天立像

両眼をひらいて
瞋目(しんもく)閉口
右手はふりあげて戟(げき)をとり、
左手は屈臂(くっぴ)して
掌を上にして宝塔をささげる。
瞋目(しんもく)は目を怒らすこと。

右に不動明王立像

頂に莎髻(しゃけい)を結い
巻髪 弁髪を左肩にたらし、
牙上下出相としている。
牙上下出(がじょうげしゅつ)といい、
右の牙は上方を向き"上求菩提"、
左の牙は下方で"下化衆生"を
示しているものです。
観音の脇侍を
不道明王、毘沙門天とするのは、
天台宗独特の配置として、
平安時代以降多くなったのです。

本坊明寿院の護摩堂に
祀られていたと伝わる
平安時代の作"大黒天半跏像"。
頭上に冠を戴き、
甲を着けてどっしりと座り、
憤怒の表情をたたえている。
戦闘神とされていた古代インドの
ルーツを感じさせています。
武装形大黒天 日本最古のもの、
本堂内陣に安置されていました。

仏教に取り入れられてから、
財福神としての印象。
室町時代のものと思われる
"大黒天立像"のほうは、
神仏習合後のお姿、
柔和な表情がいかにも
七福神の代表に相応しいお姿。
こちらも本堂内陣におられました。

本堂後陣の十一面観音立像
山内末寺の岡寺の本尊で、
頭と体は檜の一材より、
その他は別材により彫出。

山内末寺の岡寺の本尊で、
頭と体は檜の一材より、
その他は別材により彫出。

伏目がちの柔和な面立ち、
ゆったりとした体つき。
平安時代の作です。
ゆったりとした体つき。
平安時代の作です。

本堂周辺の紅葉は
「血染めのもみじ」と呼ばれるとか、
強烈な印象でなかったのは、
急に色づいたかもしれません。
次回に続きます。