猿田彦のミチを開くvol.13 山阪神社

天穂日命 を祀る 山阪神社 へ… 大阪メトロ西田辺駅から 少し東に入った住宅地の中。 かつては、 山阪明神とも 田辺神社 とも、 呼ばれていました。 土地の名につながる 田辺氏 は、 西国から移ってきた渡来系氏族。 いまの柏原市に拠点をすえ、 大いに栄えた一族でした。 ちなみに柏原市田辺1丁目には、 百済系渡来氏族 の 田辺史(たなべのふひと)氏 が 建立した 氏寺 とみられる 遺跡が確認されています。 『住吉松葉大記』によると、 坐摩神社 、 生国魂社 よりも、 住吉大社が山阪神社に 重きを置いていたようで、 住吉大社の神馬の飼育 は 田辺氏が担っていたとか… 天穂日命 を祀る神社は 少ないそうでして… アマテラスの子で次男。 大国主命 を説得するために、 出雲に派遣されたのですが、 大国主命に惚れこんで? 3年も帰って来なかったとか… アメノホヒは生命力が 火のように燃え盛る 優れた稲穂という意味とか。 1703年の検地によれば、 境内地は約3万㎡ちかく、 本殿は 前方後円墳 の 後円部に創建されていた… とされますが、 埴輪や葺石の出土もなく、 特に指定もありません。 大クスノキに抱かれれる 境内社の 楠社 。 石燈籠に「 土公社 」の文字、 猿田彦の神裔とされる 宇治土公氏 のことで、 ここには 猿田彦命 が 祀られていることを 示しています。 社伝によると… 1907年5月に 浜田の 土公神社(猿田彦) 、 猿ケ山の稲荷社、 柳ケ原の稲荷神社を合祀。 五神五社殿とされたそうです。 あらためて五社殿が 一社殿に改築されたのは、 1923年のことと伝わります。 こちらの祠は 素釜三寶荒神 、 火の神・荒神の迦具土命 (かぐつちのみこと)が 祀られいてます。 山阪神社のもう一つの御祭神は、 野見宿禰 (のみのすくね)、 『日本書紀』によると、 当麻蹶速 (タイマノケハヤ)の 相手の生死を問わず 荒っぽい相撲振りしたので、 その対戦相手として 出雲から召喚 されてきたのが、 野見宿弥とされています。 真向かいに鎮座の「 力石 」。 第58代横綱 千代の富士貢 と刻まれています。 春場所 では山阪神社が、 九重部屋 の稽古場なのです。 かつては… 奉納相撲 も催されたとか。 鬱蒼とした雰囲気のなかに あるのが 伊勢神宮遙拝所 。 遥拝所と背にしているのが、 猿田...