投稿

3月, 2010の投稿を表示しています

ズンスタのオープニングゲーム

イメージ
昨シーズンはビジターで勝率が 3割に満たなかったのだが、 早めに「勝ちグセ」をつけねばなるまいと、 広島の本拠開幕戦に早速乗り込んできた。 新外国人のマートンのは レフトスタンドを超えての特大アーチ。 ブラゼルも2打席連続ホームラン!!! まさに打ち勝った試合を 3塁砂かぶりの 「ビックカメラシート」って名付けられた   超プレミアシートで観てきた! 虎友さんが書き込んだ ツイッター で知ったのだが、 マートンのホームランボールは、 ランニングしていた人が持って帰ったとか。。 今年は 広島カープの創設60周年 にあたるそうで、 オープニングセレモニーには、 球団の歴史がビジョンで流されるなか、 「マツダ」の歴代の名車で カープ往年の名選手が登場 という、 「広島東洋」 ならではの志向のイベントだった。 1950年代発売の「K360」          に 長谷部 稔 さん、 「R360クーペ」 阿南 準郎 さん、 「コスモスポーツ」 山本 一義 さん、 「コスモAP」   水沼 四郎 さん、 そしてスーパーカーブームの 1978年に発売の 「サバンナRX-7」には 渡辺 弘基 さん、 「ユーノスロードスター」 高橋 里志 さん、 達川 光男 さんは3代目の 「キャロル」で登場。 去年発売の 「新型アクセラ」からは、 北別府 学 さんが降り立った。 なぜ 衣笠祥雄さん とか 山本浩二さん が 現れないのかは?ほんと謎なのだが。。。。 スタジアムレポは また改めてゆっくりとやりたいが。 四月のナイターはやっぱり寒かった。 寒かったけど「カープうどん」は   長蛇の列でありつけず。 9月のデーゲームにリベンジをかけたい。 ところでリベンジといえば、 スタジアム入りが少し遅かったので、 砂かぶり席だったけど あまりいいショットが撮れなかった。 広島でもやっぱり 矢野は代打要員 やったし、 「焼肉が食べたいのぉ〜!!」 ならぬ 「矢野がマスクを  はめてるとこ見たいよぉ〜」 ってか。 ウエイティングサークルに7回表の 能見の打順のときに登場したが、 出場機会がなかった・・ざんね〜〜〜ん。

TS大阪万博 その31 すべては万国博から

イメージ
万国博がもたらしたモノは数限りない。 今では不思議とは思わない携帯電話。 ハンバーガーやインターネット。 ピロシキやブルガリア・ヨーグルト、 ケンタッキーのフライドチキンも この大阪万博がスタートとなった。 まさしく " Made in EXPO ' 70 " 。 ・ サインシステム(ピクトグラム) ・アストラマ ・エアドーム・ローカル・エリア・ネット  (LAN/データ通信システム) ・ヨーグルト ・フランスパン ・ウルトラソニックバス(人間洗濯機) ・電気自動車 ・ファーストフードやファミリーレストラン ・缶コーヒー(UCC上島珈琲) ・ワイヤレスホン ・動く歩道 「ピクトグラム」 とは視覚記号(サイン)のこと。 基本的には明度差のある2色で表現。 言葉を使わずに視覚的に表現されるモノ。 いまでこそ中国語や韓国語の併記がフツーだが、 今では街のあちらこちらで見かけるようになった。 実は本格的に使われはじめたのが大阪万博やった。 EXPO ' 70パビリオンにあった。 会場で使われていた 「電気自転車」 と 「電気自動車」 たち。 「電気自転車」は三洋電機が開発したもので、 会場内の緊急取材や連絡に備えて10台を、 日本万国博覧会協会が報道関係者に用意したそうです。 ところで話は変わりますが、 万博まではヨーグルトは プリンのようなものが主流で、 プレーンヨーグルトが日本に広まったのは、 大阪万博の ブルガリア館 で、 明治乳業 のスタッフが出会ったことが      始まりやったそうです!! 当初ブルガリア政府は商品名に 「ブルガリア」 が使われることに かなり難色を示していたようです。 明治乳業はあくまでブルガリアの菌を使用。 ヨーグルトの故郷がブルガリアであることを、 日本人に広く知ってもらいたいという熱意をアピール。 ようやく発売から2年たって、 1973年の国名使用許可につながったそうです。 発売当初は1日200〜300個しか 売れなかったそうですが、 今や1日70万個を販売する大ヒット商品になりました。 なんと「明治ブルガリアヨーグルト」 のロゴって、 大阪万博の ブルガリア館の看板 の文字体が そのまま使われているのだそうです。 当時は今のようなプラスチック蓋の容器ではなく、 牛乳パックと同じ形の紙容器入りだったよう

TS大阪万博 その30 エキスポランドの蕾

イメージ
万博のシンボルとして 建てられた塔はもともとは、 エキスポタワー でした。 多くの人がこの塔に 「未来」を夢みていました。 確かにエキスポタワーには 「未来」がありました。 そのタワーのキャビンの一部が EXPO ' 70パビリオン に    展示されていました。 エキスポタワーの当初の計画は 300〜400メートルという 東京タワーよりもはるかに高い ビッグタワーになる予定であったとか。 しかしながら、 施設参加を表明していた三菱グループに 横やりが入ったのだそうです。 当時の大阪 国際空港への 航空機進路の妨害となるとして 反対運動が持ち上がり、 結局三菱グループは参加から撤退。 計画がいったん白紙に。 タワーが完成したのは、 万博開幕まであと1ヶ月と迫った時。 パンフレットや記念切手などのデザインと、 実際が異なるものがあるのは このような理由からだそうです。 建設の紆余曲折に満ちた運命は、 閉幕後にもつきまとうことになります。 1990年にエキスポランドが閉鎖、 その後は放置されてその姿をさらし、 2003年には解体されました。 そういえば、 EXPO ' 70パビリオン には エキスポランドにあったキノコ形の 「マッシュバルーン」 を デザイン化したコーナーがありました。 空気と吊り鋼の力によって 開閉するしくみをもったシェルター。 15分くらいでつぼみとなったようで、 花のように夜はつぼんで眠りにつき、 朝開いていたようです。   太陽工業の HP より そんな しぼんだまま のエキスポタワーの地に、 新たな「蕾」 がふくらむことになるようです。 EXPO ' 70パビリオン を訪れた27日から エキスポランド跡地では野菜栽培などができる 「ファームエキスポ」 ってが開幕。 大阪府の橋下徹知事は、 テーマパーク構想を打ち出していますので、 今後の予定は未だ未定といったところです。 土地を所有する日本万国博覧会記念機構が 廃止となるまでの1年間だけの限定ですが、 エキスポランドに 「芽」が息吹くことになりました。 畑はアスファルト上に 土を盛っったもの。 エキスポランドのプールも 田んぼに姿を    変えていました。 実りの秋が訪れるころには、 "エキスポランド" の 蕾 が 膨らみだすのかもしれません。

TS大阪万博 その29 スペース・シアターホール

イメージ
「鉄鋼館」 のために作曲された 武満徹 さんの 《YEARS OF EAR "What is music ?"》ってのは、 大阪万博以後は実現できなかったそうだ。 水野みか子 さんの論文 「大阪万博鉄鋼館における  「音楽の空間化」の理念と技術について」        にそんな記述をみつけた。 「「立体音楽堂」の実現をめざし、  「演ずる者と観る(聴く)者との一体感」                を重んじ、  「演技する場所と客席の相互関係を  多様にする」ことを目標にした。」 復活 EXPO ' 70 パビリオン では “ スペース・シアターホール ”に入ることはできず、 展示スペースでは1つのスピーカーだけが 音を奏でているように見えた。 音源の位置を面的な動きとして 制御していたようで、 混じりあうことなく異質な時間を ひとつのスペースにあったのは、 画期的なことであったようだ。 河野 鷹思 さんのタペストリー 「よろこびの塔」「かなしみ の塔」 、 幻想的なシーンが当時と同じように レーザー光線が交差する。 太陽の塔の「現在の顔」が 暗闇のなかに浮かんでいるようにも見える。 「未来の樹」 のモニュメントの近くでは、 岡本太郎さんの声が響いていた。 廊下をとりまく展示スペースとは 対照的な空間を創造していた。 パビリオンの陰陽のコントラストは 70年代から歩んできた 私たちの光と影のようでもある。 「鉄鋼館」の模型

TS大阪万博 その28 1970に息吹き

イメージ
3月13日に開館した EXPO' 70 パビリオンに      行ってきた。 土日は整理券入場ということだったが、 開館時間にあわせて到着したので、 ゆったりと観ることができた。 今日は午後7時から太陽の塔も 黄金の顔の目玉が点灯されてるし、 まさにプレイバック70年代     というところか。 コンサートホールや集会場として 恒久的に利用する施設として   設計されていた 「鉄鋼館」 。 だが実のところ、 コンサートホールとして使われたことは、   一度もなかったそうだ。 恒久的利用は名ばかりで、 「倉庫」という役割に終始していただけに、 朽ちて往くパビリオンにようやく、 息吹が吹き込まれたというところか。 太陽の塔の 少しすねた顔。 「現在の太陽」 が 大屋根から突き出る 「太陽の塔」を見下ろす   オブジェ。 奥には 「未来の樹」 も見える。 復活された パビリオン・ホステスの コスチュー ムとともに アメリカ館の宇宙飛行士の姿も。 階段から降りて来るマネキンたち。 展示もかなりセンスがよさげ。 たくさん写真を撮ってきました。 パビリオン模型なんかも紹介しますね。 楽しみにしておいてください。

ジョーの効果覿面

イメージ
安藤が少々打たれても、 心配なかったゲーム。 結果論かも知れないけど、 城島の加入は初日から 効果覿面 。。。。 「てきめん」って こんな漢字を書くのか〜と。 鳥谷以外にスタメンに 初安打が飛び出した!!! こんなゲームができるのは 相手が横浜だからとは思いたくないが。 勝ったのだから大いに喜ぼう!! 遠慮せずに開幕三連勝ってことに    しておきたいと思う。 「Dream Link   ブランケット」 Dream Link デーとFCデーが     重なる開幕戦。 グッズ好きの虎次郎には  外せない一戦ですし・・・ セレモニーも見れたのは、 とってもヨカッタが。。。 1回裏のマートンの打席で、 レッドのヒッティングマーチが 流れたのはちょっとスタンドでも、 賛否両論飛び交っていた。 一切流すなとは言わないが、 あのタイミングはアカラサマに マートンに失礼だと思う。 赤星不在のタイガースを脳天杭打ちで 自覚させられた瞬間であった。 点の取り方が大きく変わったタイガース。 85年型チームが新世紀に通じるのか は、 もう少し判定を待つことになるのだろう。

一夜漬けの「イヤーブック」

イメージ
明日から開幕だけどギリギリに 販売されたタイガースのイヤーブック。 スペシャル対談は、 「#6金本×#25新井」 「ボクが引退するまで  現役を続けてください。」          って 新井ってどこまで アニキが好きやねん。 選手インタビューは   城島 、 能見 、そして 岩田 。 先日舞い込んできた 「岩田今季絶望か?」のニュース。 今年にかける思いのインタビューを 目にして改めて凹む(涙) 座談会は二本立て、 「生え抜きトリオ座談会」に  関本、桧山、福原。 「若寅座談会」には、  柴田講平、蕭 一傑、  西村 憲、上本博紀。 どちらもサラッと見たが。。。 これくらいにしておこう。 もう明日の今ごろには ラッキーセブンの風船も あがっているくらいか。。 でも風船飛ばしは自粛でも   ヨカッタんではと思う 虎次郎 。 特に 京セラって内野は勾配ユルいし  前で膨らまされると見えんのよね。 今年からはチェンジになってから 風船は膨らましましょネッ!!  

開幕が近づきある。。。

イメージ
今週末から始まるタイガースの野球。 今年も3割の割合で虎次郎が 球場に出没することだけは、 間違いがなさそうだ。 オープン戦は成績は11位。 別に順位を争うものではないが、 勝ち負けがはっきりしていた。 それとドームでの戦いが 多かったせいもあるが、 ホームランは12球団トップ の22本。 7番8番の ブラサク砲 が 恐怖の下位打線を形成するので、 85年のような打ちまくってことに    なれるのか? でもホームランって打てる数が年間で 決まっているというヒトもいるし。。 騒がれてるのであえて    心配なのは城島だ。 あの強気のリードが今の、 タイガースの投手陣に 通用するのかが一番のギモン。 とっても心配なのは、 打ち取ったと思ったフライが、 あの外野で対処できるのかと。 ちょっと具体的に、 バントの成功がカギ になると思うので、 ぜひとも平野、城島には バントをしっかり決めて欲しい。。。 キッチリ決めて平野は走り出して欲しい。  阪神守護天使・今日のおちちゃん より  ノックアウト大炎上の投手陣は、 相手に油断をさせていると思っておきたい。 いよいよ3月26日が開幕だ。   

縁と活動・・・

一昔「ご縁がなかったようで」 というコトバが使われていた場面に、 「活動」という言葉が 上りもてはやされるようになった。 見つけにくい探しものが増えた昨今、 全入時代を迎えたワカモノたちに 最初に直面するのが仕事探し。 就職活動を 「就活」 とよぶ。 今春新卒者の就職難も深刻だ。 次に来るのが結婚相手で、 それを 「婚活」 (コンカツ)という。 「婚活」 の次には出産。。。 「産活」 というのが控えているとも。 仏教のコトバに 「合縁奇縁」  (あいえんきえん)というのがある。 人と人との気心が合う合わないということは、 すべてこの世の中の不思議な因縁によるといったが、 広い世界で人と人が出会い、 時に結ばれるということを神秘性を込めて    「縁」 といったのは遠い昔か?

太陽の塔キラリふたたび

イメージ
3月27日から、 「太陽の塔」の「黄金の顔」の目が 再びキラリと輝きを復活するのだという。 1970年当時は直径約50センチもある 5キロワットの サーチライト がついていたが、 大阪万博開催中にハンパクの男に ジャックされたことがあったそうだ。 1970年4月26日午後5時20分頃、 赤軍と書いたヘルメットをかぶり、 青いタオルで覆面した男が 黄金の顔の右目の中に現れた。 男に 「アイジャック」 されたのは、   5月3日までの8日間。 連日報道されていつしか 「目玉男」 と 呼ばれるようになった。 ただ、 アイ・ビームが点灯されると、 目玉の中に座り込んでいる男が 焼け死ぬおそれがあるということで、 協会では点灯を中止したという         逸話が残っている。 大阪空港の航路に 配慮したため会期終了後は、 点灯されなくなっていた。 2004年の愛知万博の プロモーションで、 34年ぶりに再点灯されたが、 当時の設備自体が 老朽化していたため、 新たなランプが取り付けての    照射となったそうだ 今回は当時 に比べて照度の弱い あの 白色発光ダイオード(LED)       を使うとのこと。 太陽の塔のライトアップにあわせて、 日没から午後11時まで再びキラリと 元気が 取り戻されるそうだ。   

サッポロのチケット。。。

イメージ
5月に北の大地で行なわれる。 タイガースとファイターズの交流戦。 一念発起してチケットをゲットした。 土日の日程なのでプラチナチケットに なりそうだったので、 ファイターズのファンクラブに入って、 先行販売に備えて。。 無事に良席がキープできた。 札幌ドームのチケットには、 QRコード がついていて、 入場には専用の認証端末にかざす。 チケットと一緒にこんな  注意書きが同封されてた。 ※お届けいたしましたチケット券面に印刷されている  QRコードは、試合当日ご入場の際に  1回のみ有効です。 ※複製などされ、同じQRコードが複数存在した場合、  最初に認証端末を通過したものが有効となります。  たとえチケット原本であっても2度目以降のものは  無効となり、ご入場いただけません。  そして・・・ ※チケット及びQRコードのお取り扱いにつきましては  十分お気をつけください。QR付きの券面は、   他人にむやみに見せたりしないよう に保管し、  大事にお取り扱いいただくようお願い申し上げます。 こんなええ席取れたでって 見せびらかしにくいってコト。 ネットオークションでチケットをゲットしても、 すでに入場されてしまっていることもあり得る。 チケットの転売への 抑止力にもなっているってことか?

ラジコのある夜

イメージ
今日3月15日からパソコンがそのまま    ラジオ受信機となる ラジコの実用化試験配信がはじまった。 虎次郎のいる関西地区だと 朝日放送、毎日放送、ラジオ大阪、 FM COCOLO、FM802、 FM OSAKA の6局がカバーされてる。 いまのところ iPhone のサポートはないが、 虎次郎が住んでいるとこは、 マンションが建ち並びラジオって年々 聴きづらくなってるから、 ラジオを窓側に置かなくても 野球中継がカバーできるということ。 IPサイマルラジオっていうもので、 サイマルとは同時という意味。 ただ、 時報とか地震速報などはタイムラグがある。 それと地域限定ということもあって、 社内LANのネットワーク環境によっては、 東京局しか聴けないってこともあるとか。 今回のラジコはMacでも聴けるで〜 いや〜〜〜嬉しい(・ω・)v。 もうOSってのは関係ない時代なんでしょうね。 ちょっと初日はつながりにくいが、 いったんつながるとかなり安定してますよ〜。 ただ重いサイトをリロード(再読み込み)すると、 ちょっと断線しちゃうけどね。