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村野藤吾のファサード⑭ 大阪ビル東京分館

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「 日比谷ダイビル 」 ここにはかつて 大阪ビルディング東京分館 。 建物自体は昭和の末に姿を消した… 窓からなにか鬼やら獣やらが、 見下ろしている。 1927年竣工の旧大阪ビル 東京分館一号館を飾っていた 鬼面・獣面 像たちである。 すっとぼけた豚 もおる。 村野さんは 「もう六十年も前のことだから  忘れちゃったが、  でも豚ってかわいいでしょ」と。 こちら大阪ビルディング 東京支店 第二号館   1931年6月に竣工され奥に一号館。 日比谷ダイビルの エントランス両側ともに、 ブロンズ像がある。 こちらも旧ビルの正面 2階外壁にあった男女像。 大阪本社の玄関を飾っている 鷲と少女の像と同じく、 大国貞蔵 の手によるもの。 こちら中之島にある ダイビルの像。 見上げると… 摩訶不思議??? 1987年辺りに解体された、 旧ビルのテラコッタたち。 新ビルの印象を与えたいはずが… ここまで使っているとは、 予想を大きく裏切り、 至る所にそれは飾られていた。 かつては、 こんな目線に近い位置ではなく、 60年あまり見下ろしていた その異型なるものたちが、 時代を超えて間近に。 水まで吐かされていたから、 びっくりである。 普段このビルを使う人は、 あまり気に留めていないようだが。 初めて見ると… 笑わずにはいられない。 旧一号館の通用口にあった 小アーチだというもの。 ここにも羊がおった。 富をもたらした家畜 として、 多くのビルでおなじみ。 南都銀行本店 にもいました。 旧二号館の装飾だという。 一階外壁にあった石のレリーフ。 ブドウの下にいるキツネ。 実はこのビルが建て替えられる時、 ある新聞社を通じて、 金沢の女性が、 豚さんの助命嘆願 があったとか。 ハムにならずによかったなり。 「日比谷ダイビル」 竣工年:1989~1991年 設 計:日建設計(沼口行秀) 構 造:鉄骨造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造)     地上21階・地下3階

村野藤吾のファサード⑬ 日本生命日比谷ビル

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記念碑的な性格 を 施主から求められたビル。 「 日本生命日比谷ビル 」… 日生劇場 が入る。 「建物には商業的な要求は  何一つ与えられなかったが、  天下の大保険会社として、  建物にはいくらかの記念的な  性格のようなものが求められた。   記念的性格 というのは、  あまりに 商業的な性格 は避けて  永久性のある表現の意味である。  時代の建築的変遷とその影響を  あまり敏感に受けないような  建物のことである。  この要望に沿うような  表現をするために、  もっとも相応しい材料を先ず  選定しなければならないが、  今日のところ花崗岩以外に  良質の材料は見当たらないので、  建物の外装として  この材料を用いることにした。」 ※ 岡山産の 万成石 (まんなりいし) に たどり着いたのだそうだ。 石の処理は日本銀行大阪支店を 参考としたとか… ファサードにガラス面を避けたのは、 劇場に窓を必要としない部分が 多いというだけではなくて、 窓のガラスを後退させている。 その外にバルコニー開口周りに 飾り石によるデザインを施し、 黒の紋様の手摺りがみえ、 重厚な印象を持たせている。 一方が会社の 事務用部分 、 他方が 劇場部分 になる建物。 全く機能を異にする要素が、 一つの建物に二分して存在。 「構造的にも  建築的な芸術の点からいっても、  統一と調和を与えることは、  実はそう簡単な問題ではない。」 ※1 と村野さんは語っている。 1階にはピロティという共用部分。 自転車?のような モザイクタイルの奥にある… 20世紀のイタリアの彫刻家 ペリクレ・ファッツィーニ ※2 による 「 話をする人 」という作品。 劇場エントランスまで続く、 モザイクタイルがオモシロい。 長谷川路可 と 《 F.M壁画集団 》 が 手がけたものだという。 村野さんはローマン=スタイルという、 研磨なしを希望していたそうだが、 人々の行き交う場所での 安全性を慮った日生側の要望で 最終的に機械研磨となったそうだ。 建物の半分に劇場=空洞が出来、 他の半分が重層となる 構造的な問題だけでなく、 一方が純然たるビジネスを表現、 そして他方で華やかな劇場の表現。 出入りする人間の表情も、服装