村野藤吾のファサード⑫読売会館・そごう東京店


東京の村野建築をチョコっと。
百貨店そごうの
初の東京進出を受けて、
読売新聞社が建設した
百貨店と1200名収容の

読売ホールやNTVホールなど
からなる複合ビル。
今はビックカメラ有楽町店

JR有楽町駅前の三角形
不整形な敷地に聳えていました。

有楽町駅の効果とプラットホームの断面実測調査メモ
「蓮見と思われる担当者がチーフの近藤にあてたもの。
 高架下のレンガアーチの形状や地上からホームまでの
 高さなど詳細に実測されている。」

注目されるのは、村野の指示で
担当者に実測させたと
思われる有楽町高架の図面の存在。
駅の改札口の位置やガード下の
形状だけでなく、
地上からのホームの高さまでが
描かれています。
敷地と有楽町駅の調査メモ
「手前の三角形の部分が敷地。
 高架下の駅入口の位置、プラットホームの長さや
 断面形状まで詳細に調査されている。」

村野さんは、
あらゆる方向と高さから
建物がどのように見えるのか
正確に予測し、
設計を進めたのです。




外装も、内部機能や方位を考慮、
水平線を強調したガラスブロック面と、
テッセラ※1と呼ばれる白い大理石の
小片を張り詰めた壁面との
対比的な表現でまとめられた。





ちなみに、フランク永井さん
有楽町で逢いましょう」は、
有楽町そごう の
キャンペーンソングだったとか。



ただ、
当時の建築雑誌では酷評…。
一番の理由は
公共スペースが確保されていない
ということ。
9階平面図
「建物の形を巧みに利用しながら、
 ホールの舞台と客席が配置されている。
 また、内部の機能を踏まえて、
 外周の壁と開口部の変化を
 生み出そうとしていくことが読み取れる。」

論争を大きくしたのは、
同時期に建設中だった
丹下健三の東京都庁舎の存在。

【東京旧都庁】
こちらは1957年建築…
すでに取り壊されています。
実は村野藤吾も
コンペに応募しています。
機能美追求の案が多いなか、
建物の顔となる東京駅側の
立面をうまく処理し、
横連続窓の水平線を強調、
塔屋を東西両面を
全面ガラスブロックという
立体構成を目指していました。

村野さん晩年の発言が残る。
「私が一番非難をこうむったのは
 有楽町のそごうですかね。(中略)
 あそこではピロティーの
 ことも考えたのですが、
 この三角形の敷地というものは
 表面積の割に建物の面積が
 少なくなるわけですね。
 ところが百貨店というのは
 ある面積を確保しないと
 百貨店にならんわけです。(中略)

 そこで私どもは そごう の
 当事者といろいろと研究して、
 面積では百貨店の
 戦艦をつくるつもりで
 やっていける計画をたてたのです。
   (中略)
 だから
 批判する方がむちゃですよ。」※2
こちらは今はなき 心斎橋そごう。
百貨店は敷地にしっかりと、
そんな共通性がみてとれます。

「読売会館・そごう東京店」
→ビックカメラ有楽町店

竣工年:1957年(昭和32)
設 計:村野藤吾
構 造:鉄骨鉄筋コンクリート造
    地下2階・地上8階

このブログは先の文献などを参考にしました。
※『村野藤吾のファサードデザイン:
  図面資料に見るその世界』2013年
 「形態操作と都市への開き方」松隈洋

※1 テッセラとは?
テッセラは2~3cm角ほどで、大理石や貴石、
色ガラス、金銀箔をはったガラスなどが使われ、
しっくいの地に埋め込まれる。
耐久性に富み、
輝かしい色彩が半永久的に得られることで、
建築内部の大規模な装飾に最も効果的に使われた。

※2
対談「仕事の年齢」『学生サロン』1975年1月号

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