サッポロ歩記4 エドウィン・ダン記念館
雪国都市 サッポロには地下鉄が縦横、 南北線の終点が 真駒内駅 … そこに 下見板張、寄棟造、切妻造 、 1887年(明治20)の明治開拓時代に 建てられたもの。 エドウィン・ダン記念館 の看板、 もとは" 北海道庁真駒内種畜場事務所 "、 農商務省所管なので 北海道事業管理局の設計。 正面中央に切妻造の玄関、 そして屋根窓を構える。 背後にある両側面ベランダ付の 部屋は増設されたものだとか。 真駒内というところは、 1972年に開催された 第11回冬季オリンピック の 屋内競技場、屋外競技場、 そして選手村があったところ。 地下鉄の開業は1971年 のこと。 大会運営事務局も真駒内に 置かれたのだそうです。 オリンピックモニュメント 開拓使真駒内牧牛場 の創設は、 1876年(明治9)のこと、 その指導者が エドウィン・ダン 。 開拓使の廃止後は農商務省の所管となり、 1886年(明治19年)には真駒内種畜場と改称、 米軍に接収される1946年まで、 北海道の酪農畜産の中心地でした。 記念館として1964年(昭和39)、 この地に移築されたもので、 畜産技術を指導したダンの業績を 偲ぶ記念館として公開されています。 エドウィン・ダン は、 北海道開拓使 に招かれた 外国人指導者のひとりで、 1873年(明治6)にアメリカから来日、 畜産業の普及に努めました。 牛の飼育・搾乳技術の普及のみならず、 バター・チーズ・ソーセージなどの 乳や肉の加工技術も指導、 北海道の酪農の礎 を築きました。 北海道を離れたあとは、 駐日米国公使館 に勤め、 日清戦争の平和交渉に尽力したとか。 記念館のスタンプは、 彼が24歳のとき、 牛とめん羊を引き連れての姿… 来日から晩年までが描かれた油絵23点、 左の絵は札幌農学校の クラーク博士 、 農学校の ベンハロー教授 、 ダンが手にするのは 甜菜(テンサイ) で、 栽培試験を実施した場所でもありました。 真駒内の鬱蒼たる原生林を切り開き 牛の牧場と酪農場を1876年(明治9)創設、 当時の事務所の一部を移設したもの。 明治天皇の前で農機具を実演するダン。 天覧農作業に着用した礼服 、 戦後物資不足の時代に ダンの長男の 妻こま さんが、 孫のスーツに仕立て直されたもの。 実は ダンのご子孫は大阪在住 、 記念館の方