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京都の近代化遺産ゆ〜伏見の近代化遺産

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町家や酒蔵が残る京都伏見にある 「 モリタ製作所 」、赤煉瓦の社屋。 もとは「 京都電燈伏見発電所 」。 森田純一が京都市中京区で 歯科用品商として 、 「 森田歯科商店 」を創業したのが 1916年のこと。 廃墟になって荒れ果てていた 旧火力発電所のレンガ建築を、 森田製作所が買い入れたことで、 今に伝えられています。 竣工されたのは 1902年(明治35)ごろ、 「 京都電燈会社 」は、 1888年(明治21)設立された 最初期の電燈会社でした。 京都市中心部への灯火用電力の 供給を主目的に設立されたそうです。 その後、軍需工場への衣替え… 伏見の水利に功績のあった 角倉了以 の碑石。 角倉了以 (すみのくら りょうい) は、 安土桃山時代の海外貿易家。 豊臣秀吉…そして徳川氏から 朱印状を与えられ、 いわゆる朱印船貿易で巨利を得た人。 二条より鴨川の水を引き、 伏見に達する高瀬川を開削。 京都伏見間の水運の祖ともいえます。 十石舟の旧伏見港… 龍馬とお龍の像が立つ。 酒処をひさびさにぶらり・・・ カッパ〜〜〜 早々と一升瓶を手にしたので、 中書島駅にもどりました。 駅近くにたつハイカラ風呂屋さん。 アーチ窓の「温泉」の文字。 「 新地湯 」さんは今も営業中! 浴場内にはタイル絵があって、 奥壁面には海岸の風景が描かれてるとか、 そして 男湯と女湯境目には竹林 …。 いつかひとっ風呂浴びてみますかね。 両脇のアーチ窓には、 ステンドグラス が健在? 昭和初期1931年に創業の銭湯、 実にシブいです。 壁面の装飾もオモシロイ

大阪の近代化遺産をあるく〜大阪市公館

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ながらく閉ざされていた 「 大阪市公館 」、 2016年4月から10年間の 民間事業活用で… アプローチがオープンエリアに。 「旧大阪市公館」のサインの横には、 「 ザ・ガーデンオリエンタル大阪 」。 第5回日米市長および 商工会議所会頭会議が 大阪で開催された時に 「 迎賓館 」として建てられもの。 白亜のタイル貼り、 大きな庇と車寄せのある玄関。 これぞまさに モダニズム という、 そんな建築です。 開放の機会があまりなかったので、 しっかり外観も観たのは、 はじめてのこと。 ただ…「市民開放」とは言うけれど、 結婚式、披露宴の会場なので、 なかなか中は伺い知ることが ムズカシイ(T_T) 設計は住友総本店建築部の出身、 長谷部竹腰建築事務所を 長谷部鋭吉さんと共に創業の 竹腰健造 さん。 ちなみに、 日建設計 の母体です。 建替え前の 宇治電ビルディング も 彼の設計です… タイルの使い方などに 通ずるところが、 あるように思えました。 もと大阪市公館が建つこの地一帯は、 「網島御殿」と呼ばれた 藤田伝三郎 男爵の邸宅を構えた場所。 網島御殿はのうち元西邸部分が、 ちょうどこのあたり。 約4,000坪の広大な敷地には 日本庭園があって、 東庭の茶室「 二水亭 」の両側には せせらぎが流れているそうです。 茶室のあるところを、 市役所のある中之島、 両側のせせらぎを堂島川と土佐堀川、 そして双方のせせらぎが流れ込む池を 大阪湾と見立てた趣向になってるとか…。  裏手に回ってみましたが、 中を伺うべくもなく… どなたかの慶事があれば…と 「大阪市公館」 大阪市長公館→ 竣工年:1959年(昭和34) 設計 :竹腰健造(竹腰建築事務所) 所在地:大阪市都島区網島町10-35

コンクリ寺を行くvol.7 三津寺

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大阪の南北に結ぶメインストリート、 御堂筋に面して建つお寺さん。 インバウンドの人たちが、 盛んにカメラを 向けてはりました。 「 大阪城かな? 」って、 言いながら撮られてるの、 ダメ出しできなかった。 実は… 御堂筋拡幅 のあおりで 建替となった「 寺院庫裏 」、 当時として珍しい 地上3階、地下1階の 鉄筋コンクリート造。 煙り出し口風の櫓、 ボイラーの煙突なのだそうです。 全館スチーム暖房による セントラルヒーティング 完備、 エレベータまであるので、 当時としては超ハイテクビル。 空襲でほぼ壊滅の島之内地区で、 木造本堂が奇跡的に残ったのは 鉄筋コンクリート製の倉裡と 西側の防火壁が効果的だったと 言われています。 「 御堂筋のみってらさん 」… 寺門が開かれてる時間に、 訪れたのははじめて。 七宝山大福院 三津寺 という。 744年(天平16) 行基 が開創の、 聖武天皇の勅願寺。 空爆を免れて現存する本堂は、 1808年(文化5年)の 建立。 「 丸に七宝紋 」 1879年(明治12年)には、 この本堂で 第1回大阪府議会 が 開かれたという歴史をオモシロイ。 本堂扁額の真ん中は「 観世音菩薩 」。 当初の本尊は、このあたりにあたりの 楠の大樹から行基自ら刻んだ 観音像だったと伝えられるが…、 今は御堂筋拡幅で切り倒された 楠の大樹で彫られた 十一面観音像 。 まさにビルに囲まれたお寺さん。 近世の木造建築らしさが、 随所にみられます。 「 おびんずる像 」の撫仏。 かつて戦国時代には 石山本願寺 の支城の一つ 「 三津寺砦 」というのがあって、 織田信長に攻められ敗れているとか。 城だったんですね、かつては…