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タイムスリップ大阪万博 その17 人間洗濯機

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今回紹介するのは 「ウルトラソニック・バス」 。 三洋電機が 「サンヨー館」      で展示していたもので、 民家、鯉のぼり、滝、池といった 日本の心と伝統的なものの展示とは対照的に、 先端技術を紹介する 未来の家庭生活の姿を展示する ファミリーコーナーにあったようです。 タイムスリップグリコ版 11 ウルトラソニック・バス (人間洗濯機) その後、 「SANYO MUSEUM」  で見ることができたようですが、 2009年6月30日をもって 閉館されてしまいましたので、 ホンモノを観る機会がなくなってしまっています。 「SANYO MUSEUM」        のHPより 流線型のカプセルにゆったり座っているだけで 肌を清潔にするという、 どれだけ横着するねんていう代物。 浴槽内に入って好みの温度を設定して、  スイッチを押すだけで 「かかり湯→マッサージ→あがり湯→乾燥」            まで全てお任せ。 特殊な形をした マッサージボール と 超音波発生装置で 目に見えない汚れを落とすというのが          ウリモノだったようです。 万博会場では6名のモデルさんが交代で、 キレイキレイになってたんだそうですが、 湯あたりはしなかったんだろうかと心配・・・ ただ 虎次郎 の家には 「サンヨー館」 の こいのぼりバッジがあるので、 きっと見たんだろうと思うんですが、 当時3歳ですからね覚えはありません。 ←2006/05/30ブログへ 未来浴槽は ウルトラソニックバス ですが、 髪の毛だけを洗う装置っていうのが 美容室なんかで導入されているところがありますね。 その名も 「オートシャンプー」 。 商品名的には 「アクアバイブロ」 って名があります。 髪は濡れているときに 引っ張ったりこすったりするときに、 傷みが生じることが多いので、 この 「オートシャンプー」 を使えば 髪の毛同士がこすれあわないので、 キューティクルが保護されるってあんばい。 ジェット水流なのでゴシゴシってことではないのです。 おしゃれな東京の代官山とか青山とかには 導入されつつあるようですが、 知り合いの美容室の人にいわせると 結局セットするのが人それぞれで 頭の大きさや肩幅も違うので、 ほったらかしにはできないので 経費節減にはならないとのこと。 タカラベルモント

タイムスリップ大阪万博 その16 『太陽の季節』

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タイムスリップグリコ版  01 太陽の塔  08 三波春夫  ??? 太陽の塔2005 1970年 って 激動の60年安保から10年。 学生たちの一部は70年安保から 目を逸らせるための陰謀だと。 岡本太郎たる人物が国家の お先棒を担いでどうするんだ と 言われたのだという。 「『反博?なに言ってんだい。  一番の反博は太陽の塔だよ』」 これが当時の太郎さんの言葉だ。 タイムスリップグリコは 解説本も渾身の出来映え。 それぞれの想いを伝える。 「 お祭り広場 」のコラムは、 小松左京 さんだ。 実は「太陽の塔」の名付け親は 小松左京 さんだったという話。 「太陽の塔」は『太陽の季節』から *******************  私は東京オリンピックの前から梅棹忠夫 さんや 川添登さん、加藤秀俊さんと 「万国 博を考える会」 を作り、 勝手に日本で最初 の万国博をやるならば、 と人類にとっての 博覧会の意義について 様々な角度 から検討 していた。 シンボルタワーを岡本太郎さん に引き受けてもらい、お祭り広場の模型を みせたと ころ、 「こんなモダニズムの権化 みたいなものは、 この博覧会の性格を表現 したものではない、 俺がぶ ちこわしてやる」 といって、 大屋根を突き破るタワ ーの模型を突き立てた。 それを見て私は 「『太陽の 季節』みたいだ」 と噴き出したのだが、 太郎さんは 「ん、太陽?それは良い、  太陽の塔にしよう」と、 シンボルタワーの名前が「太陽の塔」に 決まったの だ。 始まってすぐ、よど号事件があったり、 太陽の塔の 目玉に登って占拠した男が 現れたわれたりしたのだ が 「あの男に食料と飲み物を与えて、  ずっと居ても らったら  いい宣伝になるんじゃないか」 という話も冗談として出たような時代だった。 体制 も反体制も、元気な時代だったと思う。 「太陽の塔」 に込められた太郎さんの エネルギーは、 現在でも見 る人に大きな パワーを与えてくれている。 小松左京 テーマ館サブ・プロデューサー・ 太陽の塔内部展示担当プロデューサー・作家 ******************* タイムスリップ万博の解説書 の

タイムスリップ大阪万博 その15 ポートピア?

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京都のOさんという方が作られた ポートピアの UCC館 と ガス館 。 EXPOカフェ に登場というのを mixiのコミュで知りましたので 行ってきました。 ポートピア って1981年に 行なわれたんですよね。 虎次郎は当時中学生やったと思います。 京都のおばあちゃんちの 町内会で行ったけど、 結局どのパビリオンを見たのか?? ただただ人人人ってしか 思い出せません。 団体ツアーだったしね。 UCCコーヒー館って、 カップのなかは コーヒー色 やったんですね。 それもたっぷりでなく 程よく注がれていた ようです。 それにしても精密なモデリング。 手先が器用な人ってホントに羨ましい。 大阪万博とちがってやはり地方博。 サイト検索しても少ない。 いろいろ探って行くと神戸の元町に みなと もの創り匠館 「KOBE波止場町TEN×TEN」 ってとこに、 2001年に閉館となった ポートアイランド記念館にあった 1/500模型が存在するとか? 今日の波止場町 TEN×TEN より ポートピアホテルもポートピアランドも いまやその姿はありませんから。。 果たしてその模型があるかは不明です。 ちょっと探検ネタが増えました。 それにしてもこれ以上の企業館って、 ありえないかもしれません。 そういえばダイエー館もありました。 オレンジのダイエーマーク そのまま。 EXPOカフェの模型はどれも 凄いクオリティーです。 おそらく手前にあるのは 自販機コーナー だろうか? 「 ♪飲むんだったらUCC  いつでもどこでもUCCコーヒー 」 ってCMを思い出しました。 アイドル全盛期でしたが、 隣接するポートピアランドは ターゲーットを徹底的に “ ヤングアダルト ”に 絞り込んでいたようです。 絶叫マシーンを体験することは、 虎次郎にはありえない。 模型のおかげでこないだと レイアウトが変わってました。。 「 世界の国からこんにちわ 」の 人形たちが 太陽の塔のペーパークラフトと 仲良く並んでいました! 今日はランチを すませていったので、 天国でないパフェ を。。 まだまだ 万博ネタはつづきます。

京の冬旅「醍醐寺」

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京都の非公開文化財特別公開 やっぱり 龍馬 にのっちゃう?? テーマは 「幕末と世界遺産に出会う冬」 醍醐寺に行ってきました。 「京の冬の旅」初公開は、    霊宝館の部分です。 秀吉の醍醐の花見でも有名なので、 桜の季節はとっても混むんだろなぁ〜。        と思いつつ。 霊宝館中庭の枝垂桜は 樹齢180年以上。 「醍醐の花見」 は 1598年3月15日。 畿内各地の桜 700本が集結。 当日に開花する木だけが    選ばれたそうだ。 「醍醐花見図屏風」 (部分/国立歴史民俗博物館 蔵) 「醍醐の花見」 は 秀吉 の最晩年のビックイベント。 正室や側室、嫡子の秀頼、 配下の武将に留まらずなんと招待客は1300人。 まさに「豊臣カンパニー」の ご家族招待の大花見パーティーだった。 実は花見前日は猛烈な風雨に さらされていたのだそうだ。 当日は絶好の花見日和。 愛でるのは桜だけではない 女性たちには2回の衣装替えが 命じられていたようであった。 まさに夢のまた夢だったようだ。 実は花見の華やかさとは対照的に、 朝鮮出兵で苦戦を強いられていて 暗いムードが漂う時勢でもあった。 秀吉はこの気晴らしの花見の5ヵ月後に、 その生涯を終えることになった。 実はワイワイと酒宴を楽しむ花見が、 現在のような形になった先駆け。 江戸時代中頃になると花見団子が登場し、 花見が大衆文化として広まるのである。 醍醐寺 の本坊的な存在である 「三宝院」 は歴代座主の居住する坊。 ここの庭園は「醍醐の花見」を契機に、 設計された桃山風庭園。 庭のなかには秀吉を祀る社    「豊国大明神」 がある。 豊臣秀吉 は 五重塔の修復 や 金堂の再 建 など、 醍醐寺 と 秀吉 は切っても切れない存在だ。 とにかく凄い庭。 撮影ができないのが ホントに残念だが。 「静寂」 と 「躍動」 が    入り交じる。 京都市都市緑化協会のHPより 表書院 より眺めて 庭の中心にあるのが 「藤戸石」 。 実はこの石は秀吉の居館であった 聚楽第 (じゅらくだい)にあったもの。 その前は織田信長の 二条第 のものだとか。 秀頼の再建 による西大門を入ると 醍醐寺の本尊が祀られている金堂、 そして醍醐天皇の菩提を弔うために、 第一皇子である朱雀天皇が  936年(承平6)に着工し、 第二皇子の

ザラメ「すきやき」と懐かしい音楽

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大阪の日本橋にある創業130年の 純関西風すきやきを食べてきました。 精肉店を営んでおられるから、 その日に一番よいと思われるお肉を チョイスされるのだそうで、 今回は「宮崎牛」 が選ばれておりました。 いわゆるミナミと呼ばれる 大阪のナンバの一帯は大阪大空襲で、 ほぼ壊滅状態だったので、 この建物は大阪の浜寺にあった別荘が 移築されたものだそうで。。。 ミナミの雑踏のなかに残っている   タイムスリップ・スポット。 特製の「ザラメ砂糖」と 京都から取り寄せられた  こだわりの「醤油」。 テーブルごと、  仲居さんが作ってくれます。 お肉の扱い方に馴れておられるので、 お任せする方がよさそう。 ちょっと甘い関西の味。 いわゆる「わりした」を使わない 出汁を使わないまさに名前の通り     「すき焼き」です。 美味しいものを食べると シャッターチャンスをなくします。 グルメレポーターにはなれない虎次郎。。。 しめはナニワでは「うどん」です。 お肉が旨いと一味違います!! 『本せきぐち』  住所 : 大阪市中央区千日前2-2-7  電話 : 06-6641-2303  営業時間: 4:00PMから10:00PM     (販売8:00AMから6:00PM)  定休日: 日曜 この日は中高のクラブのOB会。 仰々しくない懐かしいひととき。 その宴に参加されていた先輩から 【浜辺の歌〜イノセント・ガーデン〜】  というCDをゆずり受けました。 先輩のオリジナル企画で 日本の唱歌・抒情歌の名曲から厳選し、 ラテンシンガーの 赤穂美紀 さんと シンセサイザー奏者の AZUMA さんの出会いによる 新感覚コラボレーションユニット。 カラーの異なるお二人をあえて カップリングすることで 新しい出会いが生まれています。 従来の古典的・声楽的な唱歌モノとは、 一線を画す日本のウタたち。   かなりおススメです!! インディーズもの ですが ←こちらのサイトで 試聴ができます(・ω・)v

タイムスリップ大阪万博 その14 七重の塔

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三波春夫 のフィギュアのバックにあるのは、 左から 「サンヨー館」「太陽の塔」 「富士グループ・パビリオン」 「エキスポタワー」「みどり館」 「古河パビリオン」「日立グループ館」 のパビリオンらたち。 タイムスリップグリコ版  08三波春夫より  三波さんは舞台裏?? この中でも一風変わっているが、 当時の万博会場でも 異彩を放っていたのが、 古河パビリオン=七重の塔 だ。 古河・スカンジナビア・ビルマ 長谷川明さんの3D いったんパビリオンに入ると、 当時の最先端技術を使って コンピューターゲームのショーが 繰り広げられていたという。 それもそのはず 古河グループ の 中核企業は、あの「 富士通 」である。 内外から多数の来館者を集めたのは、 その風貌にあったのだともいえる。 実は東大寺の創建当時に大仏殿の 両脇にあったと伝えられる 「七重の塔」を模したもの だったのである。 たった6ヶ月の期間ではあったが 天平時代シンボルタワーが 千里の丘に聳えたったという瞬間が 「大阪万博」その時であった。 万博終了後にこの昭和の 「七重の塔」をそのまま、 東塔があった場所に 移築しようということも、 実は真剣に議論されたことが あったという。 東大寺西塔は 箱崎和久 さんの 「 東大寺七重塔考 」によると 全高70mで7重塔、 相輪の長さ26m。 100mだという 記録もあるのだという。 ちなみに大阪万博に聳えたのは 約85mだったそうです。 この七重塔。 奈良の地への移築は叶わなかったが、 塔のてっぺんを飾る「相輪」は、 奈良の 東大寺大仏殿 のすぐ脇で、 今でもみることができる。 基壇が作られて10年に1回ほど、 塗装がし直されており お堂の1つという扱いを 受けているのだという。 「古河パビリオン」 テーマ:古代の夢と現代の夢  ―東大寺七重の塔とコンピュートピア―   展示館は、周囲に池をめぐらした   庭の中に建てられ、   台地の上に基壇を設け、その上に、   昔奈良時代にあったといわれる   高さ86mの七重の塔を再現します。 (EXPO70スタンプコレクション より) 手前にあるのは「 ビルマ館 」です。。

タイムスリップ大阪万博 その13 EXPOP GIRL

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EXPO カフェ にあった元気な女の子のイラスト。 手に持つのは映画 『20世紀少年』 で ケンヂも持っていたレーザー銃           に似ているような? ケンヂが考えた未来の武器 の「れーざー銃」。 “ともだち”一味は これを開発したが、 実用性はほとんど無くまさしく乱れ飛ぶ。 レーザー照射の方向が定まらなかった。 EXPOP GIRL のも波のように広がってる。 でもこっちの方がずいぶんカッコいい。 EXPOP GIRL は カフェ・コミュの メンバーでもある イラストレーターの イッキーノンさん の 手によるもの。 2009年4月には EXPOカフェ で 個展が開かれていたようである。 『ヤフオクで儲ける100のルール』 の 表紙イラストは イッキーノンさん の作品。 レトロフューチャーなイラスト。。 イッキーノンさん のWEBギャラリーには、 ほかにも楽しいのがいろいろあります。

タイムスリップ大阪万博 その12 万博を思う

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タイムスリップグリコ版 01 太陽の塔 ??? 太陽の塔2005 「万国博覧会を思う」 宮沢喜一  万博というのは、 世界万博規則があるんです。 日本での開催のために 本部のあるパリへ行き 「3年後にやりたい」と申請したら 「3年なんかでできるわけがない」 と言われました。 「いや、日本は他の国と違うから 3年で大丈夫」と 問答した覚えがあります。  万博の規則で開催期間の 半年が過ぎたら、 パビリオンは「太陽の塔」以外は 全部撤去しなければいけなんです。 だけど例えば9月は台風が 多いからどんな強風にも 耐えられるものを つくらなければいけないし、 半年で取り払って しまうものでもありながら、 たくさんの人が入っても 壊れないようなものを 作らなくてはならない。 その点が技術者として 一番の苦労だったでしょう。 でもそういった苦労こそが、 後々の技術の進歩に 最も貢献してきたんだと思います。  担当大臣として各国の パビリオンは全部見ました。 中でも一番記憶に残っているのは、 「今日でもうフィナーレ」 というお別れの日、 本部のある建物の庭に どこからともなくとめどもない 数の各国の コンパニオン達がやってきて、 歌を歌って抱き合い、 踊りを踊ったりしたことです。 そんな企画は していなかったものですから 「これが万博というものなんだな」 と感激した覚えがあります。 言葉の壁などは問題ではなく、 誰も何も言わなかったけれど 大きなダンスパーティとなっていたのは、 本当に不思議な夜でした。(談) タイムスリップグリコ  大阪万博編には、 ハガキよりすこし小さな大きさの 解説が入っています。 フィギュアはシルバーの袋に 入っていますが、 その解説書を見ると 中身がわかるようになっています。 これは01太陽の塔の解説です。 当時の万博担当大臣の  宮澤 喜一 さんの談話です。 この解説には各界の著名人が 名を連ねています。 こちらが レギュラーのフィギュアです。 塔の地下には、 実は第4の太陽が存在。 最近になって万博機構が 4つ目の顔「 地底の太陽 」の “捜索”に乗り出してきている。 「地底の太陽は  強化プラスチック製で金色、  顔の直径は3メートル、  

タイムスリップ大阪万博 その11 三波春夫

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タイムスリップグリコ版 08三波春夫 大阪万博で 脳裏に焼き付いているのは、 三波春夫さんが唄う 『世界の国からこんにちは』 さだかではないが、 会場でも何回か聴いたと思う。 ところで、年末年始にかけて ツタヤでDVDをレンタルした。 借りたのは 『 僕の彼女はサイボーグ 』と ディズニーアニメ『 ムーラン 』。 そして『 20世紀少年 』。 第1章「終わりの始まり」と 第2章「最後の希望」、 2日かけて観た。 本当は去年の8月29日に 最終章「 ぼくらの旗 」の 公開中に見たかったのだが。 それも3月には DVD化されるらしいし。 唐沢寿明 さん、 豊川悦司 さん、 常盤貴子 さんの出演。 今から思うと、なぜこんだけ 好きな俳優が出ていたのに、 劇場に足を運ばなかったのか ギモン??? EXPO CAFEにも出現!! 「ともだちの塔」 なんせ 『20世紀少年』は社会現象、 俄かなので深くは触れないが 「太陽の塔」 そのものを着せ替え?てまで、 映画化したのだから。。。 EXPO CAFEのペーパークラフト 「 虹の塔 」(専売公社館) 虎次郎もEXPO70には おそらく20回近くは、 足を運んでいたようだが なんせ幼少で… さすがに記憶にとぼしい。 「太陽の塔」?が  神格化されている この映画を観ると、 パブリックアート が 若者に全然違う次元で 愛され始めているのを実感する。 映画では「ともだちの塔」 ってことになる。 改造費用は8000万円 を かけて大変身したらしい。 2009年1月19日 「ともだちの塔」登場で 浦沢さん「泣きそう」より 第2章「最後の希望」に 「三波春夫」をパロッた? 「 春波夫 」ってのが登場する。 こちらは 「♪ハロハロエキスポ音頭」 ってウタ。  ♪ハロー ハロー えぶりばでぃ 皆々様よ   2015年の ハロハロで 踊れ皆の衆   ハロー ハロー えぶりばでぃ 皆々様よ   こんにちは こんばんは こんにちは こんばんは   こんにちは こんばんは こんにちは こんばんは 「虹の塔」(専売公社館) テーマ:心の調和  弥生式時代の銅鐸に似た塔で、  先端から水を噴霧して虹が描かれます。  ステージでは煙のショーが上演されていた。  (EXPO