タイムスリップ大阪万博 その16 『太陽の季節』


タイムスリップグリコ版
 01 太陽の塔
 08 三波春夫
 ??? 太陽の塔2005

1970年って
激動の60年安保から10年。
学生たちの一部は70年安保から
目を逸らせるための陰謀だと。

岡本太郎たる人物が国家の
お先棒を担いでどうするんだ
言われたのだという。
「『反博?なに言ってんだい。
 一番の反博は太陽の塔だよ』」

これが当時の太郎さんの言葉だ。

タイムスリップグリコは
解説本も渾身の出来映え。
それぞれの想いを伝える。
お祭り広場」のコラムは、
小松左京 さんだ。
実は「太陽の塔」の名付け親は
小松左京さんだったという話。
「太陽の塔」は『太陽の季節』から
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 私は東京オリンピックの前から梅棹忠夫
さんや川添登さん、加藤秀俊さんと「万国
博を考える会」を作り、勝手に日本で最初
の万国博をやるならば、と人類にとっての
博覧会の意義について様々な角度から検討
していた。シンボルタワーを岡本太郎さん
に引き受けてもらい、お祭り広場の模型を
みせたところ、

「こんなモダニズムの権化みたいなものは、
この博覧会の性格を表現したものではない、
俺がぶちこわしてやる」といって、

大屋根を突き破るタワーの模型を突き立てた。
それを見て私は「『太陽の季節』みたいだ」
と噴き出したのだが、太郎さんは
「ん、太陽?それは良い、
 太陽の塔にしよう」と、
シンボルタワーの名前が「太陽の塔」に
決まったのだ。

始まってすぐ、よど号事件があったり、
太陽の塔の目玉に登って占拠した男が
現れたわれたりしたのだ
「あの男に食料と飲み物を与えて、
 ずっと居てもらったら
 いい宣伝になるんじゃないか」

という話も冗談として出たような時代だった。
体制も反体制も、元気な時代だったと思う。
「太陽の塔」に込められた太郎さんの
エネルギーは、現在でも見る人に大きな
パワーを与えてくれている。

小松左京テーマ館サブ・プロデューサー・
太陽の塔内部展示担当プロデューサー・作家
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タイムスリップ万博の解説書
ラインナップはこんな感じだ。
04「富士グループ・パビリオン
 漫画家の みうらじゅん さん。
05 「日立グループ館
このタイムスリップグリコ
大阪万博編を企画した
 岡田斗司夫 大阪芸術大学 教授。
06「ガスパビリオン
 漫画家の 唐沢なをき さん。
09「月の石」が
 丹下都市建築設計
12「ワイヤレスフォン」が
 嘉門達夫 さん。
13「ガス館ホステス」が
 評論家の 山田五郎 さん。

まさに「万博の季節」を
生きた言葉だ。

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