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江戸のデリバリー⑱ 響く音色

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《江戸名所百人美女   深川八幡》 歌川国貞( 3代豊国)の代表作 「江戸名所百人美女」、 100の名所を背景に 100人の美女が描かれた、 揃い物の浮世絵のひとつ。 《江戸名所百人美女  深川八幡》 浮世絵には 三味線 や 琴 が 最も多いのですが… 尺八 が描かれたものも。 《国芳模様 正札附現金男  五尺染五郎》 歌川国芳 1854年(弘化2)ごろに 出版された大判錦絵のひとつ、 十人の任侠 を描いた揃いもの。 《今様職人尽百人一首》琴三味線師 「かざりよく渡せる弦の  おく琴は  したてて見れば  よきねじみなり」 と 百人一首の和歌を もじった戯歌句が 添えられています。 本歌は 中納言家持 の、 「かささぎの 渡せる橋に  置く霜の  白きを見れば  夜ぞふけにける」 《江戸名所百人美女  古徳稲荷》 鼓がみえます。 新宿区西落合にある 「 鼓稲荷神社 」に因む。 《今様職人尽百人一首》鼓屋 大江千里 の「月見れば〜」 「打ちみれば  日々にねじみぞ  出でにけれ  我か手調べの  なるにはあらねど」 《近世職人尽絵詞》琴師 職人さんが音出しをする姿。 琴が立て掛けられ、 その前には 張替え台 。 奥には琵琶も吊るされます。 三味線と一緒に並ぶのは、 椋の葉 だそうで、 今でも 三味線の糸巻 の 修理に使われるそうです。 《音楽美人揃  正五位柳原愛子》豊原国周 皇女と女官の楽器演奏の 姿を描いた揃いもの。 豊原国周 は幕末から 明治期の浮世絵師の一人。 《月百姿 足柄山月 義光》  月岡芳年 歴史画や血みどろ絵の 月岡芳年 、 光線画と称した風景画の 小林清親 とともに、 「明治浮世絵の三傑」 の に称される国周。 得意とするのは、師である 三代 歌川豊国譲り の役者絵、 明治新時代に溺れなかった人。 《月百姿 志津ヶ嶽月》  月岡芳年 法螺貝を吹くのは秀吉、 柴田勝家 との激戦 賤ヶ岳の戦 を終え、 勝利宣言の響きが 絵から伝わってきます。 《本所七不思議之内 送撃柝》  歌川国輝 聞こえて欲しくないもの、 送り拍子木 を描く。 本所を舞台とした 本所七不思議 と呼ばれる 奇談怪談に因む画。 「火の用心」と唱えながら 拍子木を打って夜回り… 拍子木の音が繰り返し、 自分を送っていのか? 振...

江戸のデリバリー⑰ 温もりを届ける

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《当盛美人揃之内   しんさがみや、とこ》  二代 歌川国貞 お天気がいいのに オウチにいることが、 ほんと多くなりました。 大好きな散歩?徘徊?も 最近してません(T_T) 寒がりさんでもあり、 暑がりさんでもあります。 《時世粧菊揃 つじうらをきく》  歌川国芳 「いまようきくぞろい」 江戸時代の暖房といえば、 炬燵に火鉢ですね。 《三十二番職人歌合》 より    火鉢売 火鉢の歴史は古く、 そのルーツは奈良時代とも。 『枕草子』 には、その前身の 「火桶」が登場します。 《江戸名所道戯尽  廿二 御蔵前の雪》   歌川広景 江戸中期は小氷期 だったとも、 何度が隅田川が凍ったと 記録に残っています。 こんな大きな雪だるまも、 作ることができる大雪は、 珍しいことでなかったとか… 縁起物の雪だるま 、 お供え物がみえます。 《職人尽歌歌合》より 炭焼・小原女 木炭は生活の燃料である前に、 戦略物資 でもありました。 というのも刀をつくるため、 鉄と木炭を掌握することは、 重要な要素でした。 小原女(おはらめ) とは、 大原女 とも… 黒木(くろぎ) と呼ばれる 薪や炭を頭にのせて 売った人たちでした。 《外と内姿八景 桟橋の秋月》   安藤広重 床を四角く切りぬき灰を敷き、 薪や炭を燃やした 囲炉裏 。 江戸の長屋では、 難しかったようです。 《東京美女ぞろひ 柳橋きんし》  二代 歌川国貞 長火鉢 は湯を沸かしたり、 こちらの浮世絵では、 ひとり鍋を楽しんだり。 《職人尽歌歌合》より硫黄箒売 硫黄箒売 とは… 附木と箒を売る人のこと、 杉や桧の薄き板などの 一端に 硫黄を塗りつけた 附木(つけぎ) とともに、 小さな箒も売り歩き… 箒は カマドの煤払い にう。 『近世商賈尽狂歌合』 より   吉井火打鎌 商売は古くは商賣と書きますが、 商賈 (しょうこ)とは商人 のこと。 200年の歴史を刻む 吉井本家 の 火打鎌・火打石は商標登録、 墨田区東向島の 伊勢公一商店 が 受け継いでおられます。 《新柳二十四時   午後九時 火打石》  歌川国芳 《炬燵の娘と猫》歌川国政 炬燵でググるとヒットする 浮世絵の代表格はこれ! 置きごたつは持ち運びでき、 土製の火鉢を櫓のなかに 入れた移動式でした。 ...

江戸のデリバリー⑯ 粧いをとどける

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《春雨豊夕栄》 歌川豊国 散髪…理美容どちらに行くか… あまり髭が伸びず髪の毛は、 量もいまだ十分な虎次郎。 1ヶ月も行かないと、 寝癖で朝がとても憂鬱。 新コロでの影響を見込んで、 理髪をしてもらったけど。 限界が近づいて来ました(T_T) 《髪結い》西川祐信 『守貞謾稿』 をみると、 大坂の廻り髪結いは、 床場で結うと32文ところ、 「訪問結髪」 では 一ヶ月あたり 150文 。 江戸の廻り髪結いは、 床場だと28文と 大坂よりもやや安いが… 《髪結才三》 歌川国貞 女髪結は 1回200文 だったそうで、 「憧れの髪型に!」 「あの男前に斬られたい?」 いわゆるカリスマが 登場していたやも知れません。 ただ快く思わないのが幕府、 贅沢を禁じて女髪結にも その処分はおよびました。 ちなみに200文だと、 今の4万円くらいです。 《佐野川市松の   べにうりおまん》  奥村利信 江戸中期の女形の歌舞伎役者 佐野川市松が扮する 「紅売り」 の姿。 紅は 口紅 としてはもちろん、 頬紅 や 目元 にも… 《美艶仙女香》 溪斎英泉 文化文政頃… 下唇に紅を重ねて、 玉虫色に光らせる「 笹色紅 」 という化粧法がありました。 紅は重ね塗ると緑色に 光るのでこう呼ばれたと。 ほんのり薄くつけるのが 基本でしたが… 《職人尽歌合》より紅粉解 紅花から抽出する紅は 「紅一匁、金一匁」 、 とても高価なもの。 豪華な化粧法は、 遊女からはじまった トレンドだったのやも 知れませんね。 《浮世五色合 白》  二代 歌川豊国 白粉化粧 の基本は、 化粧下地に化粧水や鬢付け油、 粉末状の白粉を水で溶き、 指や刷毛でのばして塗る。 《浮世五色合 青》  二代 歌川豊国 1813年に発行の美容書 『 都風俗化粧伝 』、 「一回に全ての箇所に白粉を  はじめにつけてしまうと、  白粉が乾いて固まり、のびにくく、  艶もなくしっくりしない。  眉刷毛に水をつけて  丁寧になんども刷けば、  白粉がよくのび、艶もでる。 《職人尽歌歌合》より白粉売  乾いたら紙を顔にあて、  水をつけた刷毛でなんども刷くと  いっそう...

江戸のデリバリー⑮ 灯す人たち

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《徳用奥羽屋》 大政奉還後の政局を諷刺したもの、 戊辰戦争 の戦場が奥州へ移った後、 作られたものです。 ろうそく屋 の暖簾は、 「徳用奥羽屋」とあるが… 横線はかなり極細です。 算盤を弾く大番頭の 着物には 「アイツ」 の字、 ろうそく商の屋号は 奥羽屋 、 旧幕派の東北諸藩。 値段を掛け合うのは、 「モウリ」 の地柄。 《今様職人尽百人一首》蝋燭屋 ろうそく は会津の名産 でした。 会津領主の 芦名盛信 が、 室町時代に漆樹の栽培を勧め、 実から採れる蝋で 作らせたことが始まり。 江戸期になると、 「会津の絵ろうそく」 は 参勤交代の度に 献上されていたそうです。 《職人尽絵詞》 より 櫨の木の実も使われたとか… 搾り取った木蝋を火で溶かし、 天日干し、蝋を塗り重ねて 太くするのは気が遠くなる 作業であったのです。 蝋燭は極めて貴重 で 高価なものだったことが 想像できます。 『千代田之御表』「御謡初」  楊洲周延 画 「 謡初(うたいぞめ) 」とは、 江戸城での正月行事。 戦国時代の夜中の行軍は 松明を手に持ち、 陣中ではかがり火が 焚かれていました。 さすがの江戸城内、 蝋燭が乱立しています。 ここまで灯すと、 明るかったでしょうね。 《江戸名所百人美女 千住》  三代 歌川豊国 外出用の照明器具には、 提灯よりも 行灯 。 行く手の灯り… ルーツが漢字にひそみます。 行灯には 灯油 (ともしあぶら) には、 菜種油や魚油が 用いられましたが、 庶民のほとんどは魚油。 《浮世姿吉原大全 名代の座舗》  渓斎英泉 安かったけれども、 燃えるときに大量の煙、 そして 魚の生臭いニオイ 。 遊郭で使う行灯の灯油は、 当然如く上等な 菜種油 でした。 『岡場所錦絵 辰巳八景ノ内』  香蝶楼国貞  江戸時代中期以降になると、 蝋燭の生産が多少増えたこと、 蝋燭のリサイクル が進んで、 次第に一般にも広く 使われるようになりました。 提灯も徐々に広がりますが、 遊郭で使われる 「ぶら提灯」 は、 一般より少し大きめです。 『岡場所錦絵 辰巳八景ノ内』  香蝶楼国貞  蝋燭に火を灯すと 下に蝋が溶けて流れます。 「蝋燭の流れ買い」 という商売が成立し、 町々を歩き流れた蝋を 量って買っていったとか… 流れた蝋のには美しい名、 「蝋涙 (ろうるい...

江戸のデリバリー⑭ 餅搗屋

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《餅つきの図》 前北斎為一  餅の絡んだ杵を 力の限りに振り上げ、 極まった瞬間… 前北斎為一とは 葛飾北斎 が 60代〜70代半ばの画号。 《職人尽絵詞》 より 餅搗き屋 こちらと比べれば躍動感の 違いがよくわかりますね。 『 守貞謾稿 』より 江戸の搗屋 話が少しそれますが… お餅を 「かちん」 と 呼ぶことがありますね。 「 搗飯(かちめし) 」が 訛った言い方だそうです。 臼で餅を搗くときに、 杵と杵がぶつかり 「かちん」と音が鳴る。  『守貞謾稿』 より 大阪の搗屋 合理的というか… キセルをふかしながら。 これを家門におろして、 まさに捗りますなぁ〜。 『東都歳時記』歳暮交加図 より 誰もかもが忙しいと相場が 決まっていた年の暮れ。 今よりずっと忙しい、 江戸市井のひとたち。 町内のイベントではなく、 この時代の当たり前の光景。 『東都歳時記』歳暮交加図 「餅つき屋」なる 職人、 その頃は実は 「 舂米屋(つきまいや) 」と 呼ばれていました。 お米屋さんのことでして、 年末の仕事として、 従業員が出張したそうです。 「書き入れ時」 は、 いろんな参入があったと 思われます。 《鎌倉栄餅舂》  二代目広重  1837年 登場人物は鎌倉時代の面々、 でも明らかに 「織田がつき 羽柴がこねし  天下餅 座りしままに  喰らう徳川」 の歌が元。 新政府の樹立もそんな風に みられていたの暗示の画。 《十二月之内 師走餅つき》  歌川豊国 江戸期は餅をつくのは 12月15日から年末に、 29日は「苦」に通じ 「 苦をつく“苦餅” 」と 忌み嫌われたとか。 大晦日に搗く餅も 「 一夜餅 」…こだわる からこその招福です。 《尻餅つく》歌川芳梅 「店中の 尻で大家は  餅をつき」 。 江戸時代中期から幕末まで、 ほぼ毎年刊行されていた 川柳の句集の 『誹風柳多留』 にある句。 《甲子春黄金若餅》 (きのえねはる こがねの わかもち)   三世 歌川豊国 1863年 大家は店子に餅を振る舞う 、 長屋の住民にとっても、 餅は正月の必需品。 ではこの餅搗きにかかる お代をどう工面したのか。 『青楼絵抄年中行事』より    餅つきの図 長屋の共同トイレのおかげ で、 餅を食べることができた?? 江戸近郊の農家の下肥に… 肥料とし...