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TARO100《雪の女神》

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今日は大阪の 平野部 でも 雪が積もっています。 今週末まで北の大地は、 「さっぽろの雪まつり」 で  にぎわっていますね。 1979年に30回を迎えたイベントは、 岡本太郎さんにバッジ、メダルの デザインを依頼したそうです。 そして雪像 《雪の女神》 「札幌の雪まつりには前々から関心をもち、  一度はぼくの作品を  いかす機会がないかと思っていた。  たまたま数年前、テレビでみていたら  雪まつりでぼくの太陽の女神の  モチーフで作られた雪像が、  自衛隊の戦車で壊され、  女神の顔がごろんと  転がるシーンを目にしたとき、  思わず涙が出た。  芸術家にとって自分の作品は  子供と同じにかわいいし、大事なものだ。  わずか5日間でこわさ れるのは  寂しくてやりきれない。  終了後その雪像を銅像で  復元してくれるのならやり甲斐がある」     と・・・ 実際はデザインの銅像は実現せず。 もし実現していればな〜と思いますが。 「素材は雪、  私のデザインがどう変わってもいい。  それよりもみんなが子供の心にかえって  騒げる雪まつりはすばらしい。  世界のまつりだ。」

永久欠番 大社義規

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ファイターズの初代オーナーの 大社義規(おおこそ・よしのり)さんは、 プロ野球で唯一のオーナーでの 永久欠番になっています。 札幌ドームにそのユニが 展示されていました。 1915年2月1日、 香川県大川郡津田町で生まれた大社さん。 19歳のときに家業が失敗して 当時通っていた旧制高松高等商業学校、 現在の香川大学を中退されます。 叔父が経営していた養豚組合に就職したあと、 27歳のときの1942年に、 徳島に「徳島食肉加工工場」を設立。 今の「日本ハム 株式会社」の前身です。 その後、拠点は大阪市に移します。 食肉加工のトップメーカーを 目指していたのですが、 知名度が低さが営業の悩みのタネ。 そんな時に、 折しも日拓が東映から引き継いだチームの、 身売り話がでてきていたようです。 メインバンクからは反対の意向が 示されていたようですが、 まさに野球好きの大社さんには 千載一遇のチャンス。 旧制高松中学の先輩だった 三原 修 さんとの親交もあって、 食品メーカーとして初めての プロ野球チームが1973年に誕生します。 球団誕生の翌年には売り上げが 前年の850億円が、 1091億円になったのですから、 まさに大英断だったといえるでしょう。 チーム名は「常に戦いを挑む集団たれ」と ファイターズと名付けられたのですが、 10万通の応募から選ばれたのは、 岡山の女子高生で、 「岡山県出身の大杉勝男選手が  ファイターなのでピッタリだと」         というのが理由。 ビジターユニにはお決まりの親会社名。 「Nippon Ham」のロゴが、 スカイブルーに赤文字で彩られたのは、 前年までの日拓の七色ユニよりも、 パジャマにセンセショーなるなものでした。 野球は広告の手段 ではありましたが、 大社さんは球界きっての野球好きオーナー。 足しげく球場に観戦に通い、 よく選手に声を掛けていたようです。 新入団選手発表記者会見には、 ほぼ毎年顔を出しておられたようです。 携帯電話が出始めたころは、 箱形のバッテリーつきの電話を肩から担がせ、 球団職員に1イニングごとの 試合経過を報告させていたとか。 会議に回るメモには試合のスコアが 書かれていたようです。 ファイターズはそんなオーナーの思いが叶い、 1981年にリーグ優勝します。 そのときオーナーが着ていたのが...

サッポロの旅 ジェラる??

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イタリアの首都ローマって、 北海道でいうと函館の位置にあるそうです。 どちらも「北緯41度」。 道内ではちょっと有名な 函館発祥 の 「MILKISSIMO」 ってお店が、 千歳空港 のなかに出店していた。 実はこの店内にあるマシンでジェラートは すべて作ってるらしい。 函館近郊で生み出される、上質な牛乳を使い、 地元で育まれた果物や野菜との組み合わせ。 びっくりする素材がジェラってた (笑) そういえば。。。 札幌ドームでもジェラートを食べた。 北海道の砂川市で創業された道内では有名な 「本物のお菓子作り」の 「株式会社ホリ」 との コラボレーションで登場していた メット・イン・ジェラート。 タイガース戦は「B☆B」のヘル。。 これからは月ごとに色が変わって、 カラーヘルが限定で登場する予定だとか。 虎次郎がチョイスしてもらったのは、 「 余市産ぶどう」と「 余市産洋なし 」 どちらもジェラートらしい味やったなぁ〜〜。 その他にご当地フレーバーの 「 夕張メロン」 「 美唄産ハスカップ」ってのもあった。 アイスつながりでいえば、 「雪印パーラー」 にも行ったよ。 まあ甘いものは別腹だったので・・・ 永らく続けていた「サッポロの旅」ブログも これでお終いです。   

サッポロの旅 Boys be ambitious !

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北大にある クラーク 像。 遠くを指さすあれ を期待して来ると 「がっかり」することこの上ない。 あまり大きくないので見逃すかも知れない。 いわゆる 札幌三大がっかり名所 のひとつ。 あと二つは 「時計台」 と 「ポプラ並木」 。。 でもクラーク像にはホンモノがあるからね。 冬場なんかはここで済ましてしまうと、 かなりテンションが下がりそうだ。 おなじみの 「Boys be ambitious ! 」 には続きがあり、全文はこんな感じ。 “ Boys be ambitious ! Be ambitious not for money or selfish aggrandizement , not for that evanescent thing which men call fame . Be anbitious for the attainment of all that a man ought to be . ” 「少年よ、大志を抱け。  しかし、金を求める大志であってはならない。  利己心を求める大志であってはならない。  名声という、  つかの間のものを求める大志であってはならない。  人間としてあるべき すべてのものを   求める大志を抱きたまえ。」    このように訳すことが多いようです。 「大志と言われても現実離れしていて、  近頃の若者の心に響かないのでは?」 と、      お嘆きの向きもあるようだが。 全文をしっかりと読むとやはりいいメッセージ。 2004年に北大に立てられた 「北海道大学予科記念碑 」にも 「大志を抱いて」とありやした。 こちらは 「古河記念講堂」 。 フランス・ルネサンス風の緑色の マンサード 屋根 と 両翼の ドーマー窓 が華麗に配置されている。 マンサード 屋根 とは「 腰折れ屋根 」とも言われる。 切妻屋根形状に勾配を更に急にした屋根のこと。 ドーマー窓 は、 屋根上に設けられたさらに小さな屋根をつけた窓のこと。 古河といえば、 当時は足尾銅山を経営していた財閥。 鉱毒事件によって社会から 大きな非難を浴びていた。 その非難を和らげるため、 当時内務大臣であった 原 敬 が 古河財閥の顧問であった関係で、 政府に帝国大学創設費として 寄付された一部が北大の前身である 東北帝国大学農科大学に...

サッポロの旅 ポプラ並木

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北大のポプラ並木 大学の構内にある並木道。 前身の旧札幌農学校の農場内に 実習用に植えられたのが始まりで、 樹齢約100年にもなるそうです。 ポプラは、ヤナギ科ヤマナラシ属の 総称。 雌雄異株で春に花を咲かせるそうです。 実は1959年に台風で 5本のポプラが倒れるなどして 無惨な姿になったことがあるそうです。 札幌市立桑園小学校5年生の 女子児童 が北海道知事にあてた手紙に 「私たちのポプラがかわいそうです。  植え直してください。」 とあったそうです。 残念ながら2004年の台風18号でも 半数近くが倒壊してしまいました。 永らく「立入禁止」になっていたようですが、 近年 再整備され サッポロの風景 は健在でした。 ウッドチップが敷かれ散策路のなかには、 クロユリの群生地が復活 していました。 昔は北大のキャンパスにはたくさん 咲いていた花だったようで、 北大美術部の名は 「 黒百合会 」 と 名付けられています。 時計台にもクロユリが花を 咲かせていました。 「恋の歌のクロユリが咲いてますよ 」って なんのことがわかりませんでしたが、 1954年に 織井茂子 さんが 歌った 「黒百合の歌」 のことだと、 あとでググったらわかりました。 ポプラ並木の手前にあったのが、 ” I wish to be a bridge across the Pacific ” 「願わくば われ 太平洋の橋とならん」 という言葉を残した 新渡戸稲造 像。 戦前の日本を代表する国際人・教育者。 樋口一葉に変わるまでは 「五千円紙幣」の肖像。 1881年に北海道大学の前身である 札幌農学校を卒業。 開拓使御用掛に席をおき 黎明期の北海道開拓に尽力しました。 その後、あらためて東京大学に入学。 アメリカ合衆国やドイツで見識を広めた国際人。 帰国すると母校の札幌農学校の教授として赴任。 1891年から7年間、 当時閉校の危機あった札幌農学校の 立て直しと学制改革に取り組み、 後の北海道大学の基礎を築かれました。   

サッポロの旅 樽前山

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支笏湖ビジターセンターにあった 支笏湖周辺のジオラマ。 左手の山が 「 樽前山」 =「タオロマイ」 っていう アイヌ語が名前のルーツだとか。 でも アイヌの人々は山に山そのものを指す 名前はつけなかったそうで、 「これこれという川の上流の山」 という名づけ方をすることが多く、 「川岸の高いところ」 を示すコトバ。 江戸時代から明治にかけて航路となった 「北前船」 がこの 「樽前山」 を目印に 蝦夷地に目指したって話もある。 山そのものには 「 オフィヌプリ」 。 「燃える山」 という 名前があったようだ。 溶岩ドーム の活火山はまさに 「燃える山」 。 遠い昔の噴火により山頂が吹き飛び、 大きなカルデラの内側に プリン形の溶岩ドーム 。 湖面からもその姿がくっきりと。 日本では珍しい三重式火山だそうだ。 今でも 有毒の火山性ガスがでているため、 立ち入りは外輪山まで となっている。 視界の広がりは湖面とは違った 支笏湖の表情をみせていた。 なかなか 支笏湖観光 でもマニアックなスポットだが、 レンタカーが月曜日に借りたってこともあって、 スバルのレガシーで楽しむことができたので、 支笏湖畔から20分走らせるて砂煙を立ち上らせ、 本格ダートコースで樽前山の7合目に着いた。 実はここまでの山道も 5月末日から使えるようになったとか。 まさにタイムリー・・・・ 約10分の山道を辿るとで展望広場に到着。 展望台から溶岩ドームへの 登山道にはまだ雪が覆っていた。 串状に雪を残し樽前山は、 荒々しい山肌をあらわしていた。 こちらは支笏湖畔にあった リゾート ホテル しこつ湖 鶴雅リゾートスパ 「水の謌(みずのうた)」 のスイーツたち。 樽前山の溶岩ドームをイメージした 「たるまえ山シュー」 (210円)は、 残雪残るサクサク・・・ オレンジ風味のカスタードクリームが。 もう一つの不思議スポット 「苔の洞門」 は、 溶結凝灰岩が侵食されて出来た 回廊状の涸れた峡谷。 崩落の危険性があり今は立ち入り禁止。 幻想的な空間を 楽しみにしていたのだけに(涙)。 高さ10m以上の切り立った岩壁に 約30種類の苔が密生している 幻想的な回廊なんだそうだが。 スバルレガシー と 運転ガンバってくれた後輩 のお蔭で・・・・ 大自然を感じるサッポロの旅ができた!! 実に満喫の三日間...

サッポロの旅 支笏湖をたずねて

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せっかくの北海道なので自然も満喫ということで、 ちょっと足を伸ばして、、、 水質日本一の最も冷たい不凍湖 「支笏湖」に行ってきました。 (実際には2001年には  結氷したことがあるそうですが・・・) 支笏湖はアイヌ語の 「シ・コッ」 がルーツです。 大きな窪地という意味ですが、 現在の支笏湖や支笏カルデラのことではなく、 この湖を水源とする千歳川の開削した 深い谷のことなんだそうです。 千歳川の旧名も実は 「シコツ川」 だったそうです。 松前藩の頃は 「志古津」 (シコツ)という 漢字があてていたようです。 アイヌ語の地名表記は当初は 一音一字だったようですが、 いつしか 「志骨」 とか 「支骨」 になっていたようで、 たださすがに「シコツ」だと「死骨」の連想は 避けられないということで、 1805年に思いっきり縁起の良い 「 千歳 (ちとせ)」と名付けられたようです。 樽前山 や 恵庭岳 、 風不死岳 といった 高い山々が取り囲んでいるカルデラ湖。 最大水深360mは、 秋田県の田沢湖に次いで日本で2番目。 この 「巨大な水がめ」 の湖底は、 海面より約115m下という 深い位置にあるのだそうです。 コバルトブルーの湖を堪能するため 水深2mに窓がある「水中遊覧船」に乗船。 いきなり水族館のように魚たちがワンサカいてました。 6月から8月にかけて解禁される 「チップ」 こと ヒメマスなんかも泳いでいました。 アイヌ語では「平たい魚」という意味の 「カパチェップ」と呼ばれています。 桟橋から離れるといわゆる 「おちこみ」 があり、 水中は マリンブルー一色 に。   左が 「樽前山」 右に 「風不死岳」   観光船のもうひとつの見どころが 「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」 マグマが急激に冷やされ収縮した際にできた 割れ目が見られます。 古代遺跡のような趣があります。 溶岩が水中に流れ込んだケースは とても珍しいらしく。 実際に気軽に鑑賞できるようになったのは、 まさに水中観光船のお蔭 です。 やっぱ支笏湖って不思議スポットなんだと実感。 そういえばこんなのがいましたよ。 その名もアイヌ語のヒメマス ご当地キャラ 「チッピーさん」 ?? そのままやし。。。 「千歳市ポロピナイ出身。一流お魚大学を卒業後に、  5つのお魚レストランに勤務。その後地元千歳市に。  現在...

サッポロの旅 サッポロの赤煉瓦

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サッポロの旅。 スキーでガンガン行ってた時は、 ワンナイトプラスでまさにサッポロは酒宴の地。 ホント観光スポットに 立ち寄ったことがを ありませんでした。 虎次郎の大好きなレンガ造りの建物たち、 ほんとはもっと駆け巡りたかったのですが、 でもデーゲーム観戦だと、 やっぱり昼の時間が限られたのですが。。。 美味しいとこをスポット的に駆け巡りました。 「赤れんが」 の愛称で親しまれている 「北海道庁旧本庁舎」 は、 日本人が設計した本格的な洋風建築の パイオニア的な存在です。 アメリカ風 ネオ・バロック洋式 で、 レンガの総数は約250万個。 天然スレート葺きの大きな屋根、 中央にそびえる 八角形の塔は、 建設当初はあったものは 明治29年に 撤去されていたそうです。 北海道開拓100年の 1968年に ようやく創建当時の 塔が復元されました。 ちなみに ネオ・バロック洋式 とは、 バロック洋式(ドームや柱) と ルネッサンス洋式(規則正しく並ぶ窓) の 特長を併せ持つ建築様式のことだそうです。 シンプルななかにもテラスなどの金具には、 装飾的な要素が見られました。 ここにも北海道のシンボルの 「星」がありました。 北海道では、1869年から1982年までの 13年間を「開拓使時代」と呼ばれています。 1869年は明治2年にあたり 「北海道」と「開拓使」が誕生した年。 この年5月、函館の五稜郭戦争が終結し、 7月には、長い間 「蝦夷地」 と呼ばれていた この北の島が、 「北海道」 と改称され、 翌8月、開拓使が設置されたのがこの 「サッポロの赤煉瓦」 です。

サッポロの旅 時計大臣とテレビ父さん

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ライラックの彩り が加わった 「札幌時計台」 土佐の「はりまや橋」と並んで、 がっかり名所って呼ばれるけど。 北海道の時を支えた存在は今でも 道民にも愛されています。 近頃はなんでも 「ゆるキャラ」に仕立てあげられる。 テレビ父さんの大先輩であり、 よき友人っていう設定。 イラストレーター「亀」が生み出された。 テレビ父さん のほうが先に登場していたが、 最近出てきたのが 「時計大臣」 。 こっちの方が明治・大正・昭和を生き抜いた。 アナログとデジタルでどちらも時を刻んでいます。 時計台の正式名称は「旧札幌農学校演武場」。 1878年に札幌農学校の演武場として建設。 農学校生徒の兵式訓練や心身を鍛える 体育の授業に使う目的で建設されたので 「演武場」 。 正面にある文字は岩倉具視の揮毫です。 当時アメリカ中・西部で流行した 「バルーンフレーム」 と呼ばれる 木造建築様式をモデルとしているそうです。 動力におもりを利用した機械式塔時計台です。 実は時計台にはもうひとつキャラがあって、 その名も 「とっけ」 。 札幌時計台の中に住んでいる生き物って設定。 夢は「将来は広い丘に引っ越したい。」 。 ビルに囲まれた時計台とともにテレビ塔も、 北の大都会の一風景になっていました。

サッポロの旅 羊との交わり方

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ビールとジンギスカン。。。 ちょっと交わりすぎてしまったようだ。 「大志を抱け」とクラークさんが指し示したのは、 ビール園と信じて疑わなかった虎次郎。 サッポロの満腹レポはこれでお終い。 「羊とは交われませんが大丈夫ですか?」 羊ヶ丘展望台 に入るゲートでたずねられた。 家畜とのふれ合いが難しくなっている昨今。 羊さんのお家にも 「羊は、伝染する病気がはやっているため、  別な場所に移動しました。  しばらくの間、会えませんので、  ご了承ください。」 って張り紙があった。 タクシーの運転手さんが 「羊を見ながら  羊食べるのってなんだかなぁと思います。  でもここのはオーストラリア産とか。  国産のはブランド化してるらしいので。」             って教えてくれた。 二日目の昼食は、 定番すぎるサッポロビール園で 「マ~トン」いや「マトン」を食べた。 「隣の工場で今できたばかりの  爽快な生ビールをどうぞ!」 「テレビ塔から5分」 「生ビール飲み放題・  ジンギスカン食べ放題で1000円」 の キャッチフレーズで始まったのが1966年。 ジンギスカン鍋料理の試食会が札幌市で 行われてたのが1936年。 ただ意外にもジ ンギスカン専門店の 元祖は東京なんだそうだが。 でも、 「サッポロに来たらジンギスカン」 ってのは、 ビール園開園が起爆剤となったことは まちがいのない歴史の事実のようだ。 実は羊肉は牛とか豚のように宗教的に 食べることが禁じられていないそうで、 フランス料理でも羊肉は高級な食材のひとつ。 ただジンギスカンという料理名は日本独自のもので、 中国料理「 コウヤンロウ(鍋羊肉) 」 がルーツだとか。 味のついていない羊肉を焼いてタレにつけて食べるか、 あらかじめタレに つけ込んだ羊肉を焼くのか。 道内では地域によって差がはっきりしていて、 札幌から道南は後付け、 札幌以北および東は味付けが主流だそうだ。 室内で食べると一昔のモクモクは影を潜め、 IH の平たい鉄板で焼く。 「北海道のカタチ」をした鉄板の方が 盛り上がったかもしれないが。。。。 「ライラック」というゾーンでの 昼の食べ放題は60分。 醤油味付け、塩味付け、つけ込みの 三種類のジンギスカンに おにぎりと食後のコーヒーが付いて2,000円 。 焼き野菜に目もくれず...